東京湾岸 60 年 埋立の目的の移り変わり

公開日: 2026 年 8 月 11 日 / この記事は約 13 分で読めます

東京湾の湾岸を年代別の空中写真で古い順に送っていくと、陸地が沖へ広がっていく順序が見えてきます。ただし、新しく作られた土地の使われ方は時代ごとにまるで違います。江戸の防備のために築かれた台場から、貯木場、ごみの最終処分場、物流の拠点、展示場、そして研究開発の街区まで。カコマップに載せた湾岸の地点を、埋立の目的という軸で並べ直してみます。

作り方の手順そのものは、どの地点でもよく似ています。護岸で海面を囲み、土砂で埋め、高さをそろえて区画を切る。写真の年代を送ると、その手順が 1 枚ずつ進んでいく様子が並びます。それでも、できあがった土地の顔は倉庫の島とオフィスの島、公園の島と研究所の島に分かれました。分かれ目は沖へ出た年代です。1950 年代までに囲まれた海面は港と工場の設備で満たされ、1970 年代に平地として現れた区画は物流と展示に割り当てられ、1990 年代以降に空いた産業用地は住宅とオフィスへ入れ替わっていきます。

地点の頁では、年代ラダーで写真を切り替えながら、東西と南北の標高断面を見られます。断面は 1 本あたり 101 点で、水面や測定できない場所では線が途切れます。

湾岸の地点と割り当てられた目的
地点写真で陸が確認できる最初の年代割り当てられた目的
台場1936〜42 年頃 (島のみ)海上の防備、のちに業務と放送の街区
夢の島 / 新木場1945〜50 年ごみの最終処分場と貯木場
平和島 / 大井ふ頭1945〜50 年港湾と物流
有明1945〜50 年 (一部)展示場と大会の会場
豊洲1936〜42 年頃造船と工業、のちに市場と住宅
天王洲1936〜42 年頃倉庫と物流、のちにオフィス
高輪ゲートウェイシティ1936〜42 年頃鉄道の車両基地、のちに市街地
浮島 / 殿町1936〜42 年頃 (一部)臨海の工場、のちに研究開発

江戸の防備が海上に残る台場

台場 の一帯は、1853 年のペリー来航を受けて江戸湾に築かれた品川台場が出発点です。第三台場と第六台場は取り壊されずに残り、第六台場は 2026 年時点も海上に孤立したままです。1936〜42 年頃の写真では画面のほとんどが海で、四角い島と長い突堤だけが浮かびます。1945〜50 年の写真になると島の輪郭がはっきりし、土塁の稜線まで見分けられます。

1961〜69 年の写真では、画面の下半分がまだ水面のままです。左端に倉庫の帯と櫛の歯のような突堤が並び、水面を横切る細い直線として次の護岸が引かれています。1974〜78 年の写真では、その内側が砂色の平地に変わり、未舗装の道が通されました。1979〜83 年と 1984〜86 年の写真でも、この平地は褐色の空き地のままです。土地はできても用途が決まっていない期間です。1987〜90 年の写真では島の北側に等間隔の四角い構造物が並び、橋の工事が進んでいることが読み取れます。

街としての姿が整うのは 1990 年代です。1993 年 8 月にレインボーブリッジが開通し、1995 年 11 月には新橋と有明を結ぶゆりかもめが開業しました。同じ 1995 年には、この一帯を主会場に予定していた世界都市博覧会の中止が決まっています。1996 年に東京テレポート駅が開き、1997 年にはフジテレビが河田町から本社を移してきました。写真のきめ細かさを示す値は 10.6 から 32.7 へ増え、1961〜69 年の写真と比べた見た目の変化は、掲載地点の中ではやや大きい部類 (上位 2〜4 割) です。東西の断面は 101 点のうち 69 点しか値が取れません。線が引けない区間はそのまま水面で、台場が海に囲まれた小さな陸であることが断面の形に出ます。

貯木場とごみの島だった新木場

夢の島 / 新木場 は、湾岸の埋立が都市の裏方を担った時代の土地です。夢の島と呼ばれる 14 号埋立地はごみの最終処分場として使われ、隣の新木場には深川の木場にあった貯木場が移されました。1936〜42 年頃の写真では一帯はほぼ海面で、陸地が現れるのは戦後の写真からです。1945〜50 年の写真には角の立った四角い島が浮かび、1961〜69 年の写真ではその島が北へ育っています。

1974〜78 年の写真は最初の色つきで、囲われた水面の用途がはっきりします。水面を筏が覆い、木材を浮かべて保管する貯木場だと読み取れます。1979〜83 年の写真では池の縁に切妻屋根の建屋が並び、1984〜86 年の写真では中央下の池が黒く空きます。1987〜90 年の写真では筏が再び水面を覆い、貯木場としての密度がこの年代で最も高くなります。木材の集積地としての盛りは、写真の並びの終わり近くに来ています。

新木場に鉄道が通じたのは 1988 年で、湾岸の中でも早い時期に足の便が整いました。標高の東西の断面は 2.2 m から 6.8 m の狭い範囲に収まり、海を埋めて高さをそろえた区画がほぼ平らな線として出ます (南北の断面は運河で途切れ、1.9 m から 10.8 m まで幅があります)。約 1.9 km 離れた辰巳 1 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2013 年の 35 万 4 千円に対し 2026 年は 69 万 4 千円です。

物流のために整えられた大井ふ頭

平和島 / 大井ふ頭 (流通センター) は、埋立の目的が物流に振り向けられた区域です。1936〜42 年頃の写真は像の範囲が狭く、地点の真上には写真がありません。1945〜50 年の写真では灰色の面が右へ延び、1961〜69 年の写真になると画面の左半分が別の土地に変わって、護岸と裸地が広がります。1974〜78 年の色つきの写真では、地点の真上に大きな建屋が載っています。倉庫と物流の施設が、造成からわずかな年数で画面を埋めたことになります。

近くの大森北 3 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 1991 年に 124 万円、2012 年に 38 万 1 千円、2026 年に 59 万 4 千円です。湾岸の地価は一方向ではありません。ここは埋立地そのものではなく内陸側の住宅地の値ですが、同じ湾岸でも系列の形は地点ごとに違います。

南北の断面には -0.5 m の点も含まれます。ふ頭と内陸側を 1 本の線で切ると、護岸や高い構造物のぶんだけ線が跳ね上がります。

展示場と大会の会場になった有明

有明 の変化は数値の上でも大きく、1961〜69 年の写真と 2026 年時点の画像を比べた見た目の変化は、この記事で取り上げた地点の中で最も大きいものです。1936〜42 年頃の写真ではほぼ全面が水で、1945〜50 年の写真にかぎ形に折れた陸が現れます。1961〜69 年の写真ではまだ水面が広く残ります。1974〜78 年の写真では中央から下が一変し、1979〜83 年の写真では裸地がくすんだ緑に覆われます。

1984〜86 年の写真では斜めに走る道の帯が育ち、拡大すると橋の脚が並んでいるのが見えます。1987〜90 年の写真には、細長い区画が何十本も平行に並ぶ一角が写ります。街びらきはその後です。1995 年にゆりかもめの新橋から有明までが開業し、1996 年には東京ビッグサイトが開業しました。2021 年の東京 2020 大会でも、この一帯に複数の会場が置かれています。

店舗 / 事務所 / 倉庫の用地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2007 年の 105 万円、翌 2008 年の 120 万円のあと 2013 年の 92 万 8 千円まで下げ、2026 年は 143 万円です。標高は中心 9.1 m で、湾岸の埋立地の中では高い側にそろっています。

造船所の敷地から市場と住宅の街へ

新しく海を埋めるのではなく、すでに陸だった産業用地を入れ替えた区域もあります。豊洲 は 1936〜42 年頃の写真の時点で島の輪郭が定まっていて、運河に囲まれた区画の順序がそのまま写ります。1945〜50 年の写真には長い切妻屋根の建屋の列が並び、1961〜69 年の写真がもっとも工業らしい時期です。長く造船所の敷地だった土地で、運河の輪郭は 1984〜86 年の写真まで動きません。

動くのは水面の中身です。1974〜78 年から 1979〜83 年の写真には材木の筏が浮かび、1984〜86 年の写真ではその面積が減り、1987〜90 年の写真ではほとんど消えます。木材を水に浮かべて保管する使い方が、この区画から退いていった順序です。2018 年には築地から市場が移り、豊洲市場が開場しました。

標高は中心 2.4 m と低く、南北の断面には 0 m の点も含まれます。運河が幅を持って残っているため、断面の途切れ方は台場に近い形になります。豊洲 4 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2012 年の 42 万 9 千円に対し 2026 年は 116 万円です。

倉庫の島が水辺の街になった天王洲

天王洲 は、埋立の目的が倉庫と物流から水辺のオフィスへ移った島です。1936〜42 年頃の写真の時点で島の輪郭はすでに直線で、人の手で切られた形だと分かります。1961〜69 年の写真は産業設備で満たされた時期で、1974〜78 年の色つきの写真から水面と建物の区別が読みやすくなります。1979〜83 年の写真では水面が黄土色に写り、建物の密度が上がります。1984〜86 年の写真では水面が濃い青に変わり、西側の運河には艀が並びます。

島に鉄道の駅が置かれたのは 1992 年で、東京モノレールの天王洲アイル駅が開きました。2000 年代のはじめには、臨海部を通る鉄道の駅も加わっています。写真のきめ細かさを示す値は 19.6 から 38.3 へ増え、市街地の割合は 1976 年の 41% から 2021 年の 53% へ増えています。島の形が早くから決まっていたぶん、数値の増え方は水面から埋め立てられた地点よりおとなしい値にとどまります。

標高は中心 2.8 m で、東西の断面は 1.5 m から 6.1 m のあいだに収まります。東品川 1 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2013 年の 70 万円に対し 2026 年は 149 万円です。

車両基地の線路が街区に替わった高輪

高輪ゲートウェイシティ は、この記事で取り上げた地点のうち湾岸のいちばん内側にあたります。1936〜42 年頃の写真では、画面の中央を南北に何十本もの細い白線が走ります。線路の束です。1945〜50 年の写真では東側の埋立地の姿が変わり、1961〜69 年の写真で線路の束は幅が最大になります。1974〜78 年の色つきの写真から 1984〜86 年の暗く濃い調子の写真まで、線路の面積はしばらく変わりません。1987〜90 年の写真では画面が明るくなり、格子状に見えていた面が水色や緑がかった色に写ります。

車両基地の縮小で空いた土地に山手線の駅が置かれたのは 2020 年 3 月でした。

ここは断面の形が湾岸の他の地点と大きく違います。標高は中心 3.4 m ですが、断面の最高は東西で 28.1 m、南北で 28.3 m に達します。内陸側の台地の斜面が断面に入るためです。海側の埋立地と台地のふもとが 1 枚に収まる位置で、湾岸としては例外的な高低差です。高輪 2 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2016 年の 106 万円に対し 2026 年は 195 万円です。

研究開発に振り向けられた殿町

浮島 / 殿町 キングスカイフロント は、多摩川の河口にある川崎市の区域です。1936〜42 年頃の写真は下側の 3 割ほどが無データの灰色で、写真の像が河口の先まで届いていません。1945〜50 年の写真では欠損がなくなり、堤の内側が一変しています。1961〜69 年の写真では明るい大屋根の工場が密に並び、1974〜78 年から 1987〜90 年の写真まで、大屋根の輪郭はほとんど動かず色調だけが変わります。臨海の工場地帯として、写真の年代を通じて姿が安定していた区域です。

その土地が研究開発の拠点へ切り替えられ、2022 年には羽田空港の側と結ぶ多摩川スカイブリッジが開通しました。見た目の変化は、この記事で取り上げた地点の中では最も小さいものです。建物のある画面が別の建物の画面に入れ替わる変化は、海が陸になる変化ほど数値には出ません。

標高は中心 0.8 m で、南北の断面は -1.8 m から 3.9 m の範囲です。取り上げた地点の中で最も低く、最も平らな断面です。約 1.2 km 離れた川崎区台町の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2016 年の 25 万 7 千円に対し 2026 年は 32 万 4 千円です。

断面と地価で横に並べる

地点ごとの話を横に並べると、湾岸の作り方の違いが 2 つの表に集まります。断面は、値が取れた点の数と高さの幅が、どこまで水面だったかを映します。

東西の断面に出る高さの幅 (101 点のうち値が取れた点)
地点中心の標高東西の断面の最低と最高値が取れた点
台場5.8 m-3.3 m 〜 9.9 m69
夢の島 / 新木場5.2 m2.2 m 〜 6.8 m101
平和島 / 大井ふ頭3.8 m2.7 m 〜 11.7 m93
有明9.1 m2.9 m 〜 10 m88
豊洲2.4 m0.4 m 〜 5.8 m77
天王洲2.8 m1.5 m 〜 6.1 m87
高輪ゲートウェイシティ3.4 m0.6 m 〜 28.1 m101
浮島 / 殿町0.8 m-0.8 m 〜 2.8 m101

値が取れた点が 101 に届かない地点は、断面の線がどこかで途切れています。台場の 69 点、豊洲の 77 点は、断面を引いた向きに水面が広く残っていることの表れです。反対に殿町と新木場は端から端まで線が続き、高輪ゲートウェイシティは最高が 28.1 m まで伸びます。

各地点の頁で参照している公示価格 (1 平方メートルあたり)
地点参照した用地の用途早い年の値2026 年
夢の島 / 新木場住宅2013 年 35 万 4 千円69 万 4 千円
平和島 / 大井ふ頭住宅1991 年 124 万円59 万 4 千円
有明店舗 / 事務所 / 倉庫2007 年 105 万円143 万円
豊洲住宅2012 年 42 万 9 千円116 万円
天王洲住宅2013 年 70 万円149 万円
高輪ゲートウェイシティ住宅2016 年 106 万円195 万円
浮島 / 殿町住宅2016 年 25 万 7 千円32 万 4 千円

参照できる年の範囲は地点ごとに違い、同じ長さで比べられるわけではありません。それでも、1991 年から追える大井ふ頭の周辺だけは早い年の値を 2026 年が下回り、2010 年代から追える豊洲や天王洲では早い年の値より 2026 年が高いことは読み取れます。表の値は各地点の頁で参照している 1 地点のもので、区域全体を代表するものではありません。

湾岸の 60 年をどう読むか

台場の防備、新木場の貯木とごみの処理、大井ふ頭の物流、有明の展示、高輪の車両基地の跡地、殿町の研究開発。年代別の空中写真を古い順にたどれば、東京湾岸は埋立という同じ手順を繰り返しながら、そのつど別の目的に土地を割り当ててきたことが分かります。街の性格を決めているのは、沖へ出た年代と、その時代に求められた用途です。

もう 1 つ言えるのは、目的が変わる速さです。海を埋めて陸にする工事は 10 年単位で進み、写真の年代を 2 つか 3 つ送るあいだにようやく形になります。ところが、いったん陸になった土地の使われ方は、写真 1 枚ぶんの間隔で入れ替わることがあります。貯木場の筏が消え、車両基地の線路が減り、工場の大屋根が研究棟に替わる。土地より用途のほうが速く動きます。年代ラダーを行き来しながら、どの年代で何が入れ替わったのかを探すのが、湾岸の写真の読み方です。

掲載している標高は地表面の測定値であり、水害や地震の想定を示すものではありません。土地ごとの災害の想定は、国土交通省のハザードマップポータルサイトから各自治体の公表資料を参照してください。

本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。

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