江坂の区画整理 碁盤目の街区ができるまで

公開日: 2026 年 11 月 2 日 / この記事は約 8 分で読めます

江坂 の駅の周りに並ぶ四角い街区は、写真の年代でいえば 1961〜69 年と 1974〜78 年のあいだに一度に現れました。それより前の年代は、どの一枚も田の区画で占められています。この記事では、鉄道と道路の開通、土地区画整理、建物で埋まるまでの順番を写真の年代に重ね、格子の軸になった線と、格子に組み込まれずに残った線を見分けます。一枚ずつの細かな見どころは地点ページの解説に譲ります。写真の一つの年代は数年の幅を持つので、出来事の年はその幅と並べて読みます。

格子の前の 3 つの年代

1928 年頃、1936〜42 年頃、1945〜50 年の 3 枚は、どれも田の区画が画面の大半を埋め、駅になる場所にも畦の線しかありません。3 枚を通して目で追っておきたいのは、左下から右上へ斜めに抜ける 1 本の線です。

1928 年頃には黒っぽく写るこの線が、1936〜42 年頃には白い直線の帯に変わって写り、1945〜50 年にも同じ位置を通っています。後の節で見るとおり、この線は格子の時代にまで残ります。1936〜42 年頃からは、画面の下を弧を描いて横切る神崎川も見えるようになります。

高さの差が 0.5 m の土地

地点の 5 つの計測点の標高は 2.1 m から 2.6 m のあいだにあり、中心と南と西が 2.2 m、北が 2.1 m、東が 2.6 m です。いちばん低い北といちばん高い東の差は 0.5 m で、5 点のうち 4 点は 0.1 m の幅に収まります。

吹田市の報告書は、江坂の周りをもとは湿田の広がる土地と記しています。標高の数字の上では、丘や谷の縁のように区画の向きを決める地形の手がかりが乏しい土地といえます。

1970 年の鉄道と道路

北大阪急行電鉄の南北線は 1970 年 2 月 24 日に開業し、大阪市営地下鉄の御堂筋線と相互に直通する形で大阪の都心と結ばれました。同じ年に新御堂筋も開通しています。鉄道と道路が同じ年に南北に通ったので、後の写真では両者が 1 本の太い直線のように重なって写るとみられます。江坂 の駅の路線には、御堂筋線と南北線の 2 つが名を連ねます。

写真の年代でいえば、開業の年は 1961〜69 年と 1974〜78 年のあいだにあり、この 2 枚が開業の前と後を挟みます。1961〜69 年の一枚では、駅になる場所はまだ田の中で、変わりはじめているのは周りの道や川沿いの工場のほうです。

区画整理が引いた格子

吹田市の総合計画の資料では、新御堂筋と地下鉄御堂筋線の延伸に合わせて、江坂駅の周りなどで土地区画整理事業が行われ、道路や公園が整備されたとされています。同じ資料の用語の説明によると、土地区画整理事業は土地の区画の形を変え、道路や公園といった公共の施設を新しく設けたり改めたりする、面としての整備の事業です。

1974〜78 年の一枚では、駅を通る南北の太い直線を軸に四角い街区が並びます。位置から見て、直線は開業した鉄道と新御堂筋の通り道で、街区は事業で田の区画が引き直された後の姿と読めます。格子の向きを決めたのは地形でも古い集落でもなく、この南北の線でした。

吹田市そのものは、1940 年に吹田町と千里村、岸部村、豊津村が一つになって生まれた市です。駅の近くの町名に残る豊津は、この合併に加わった村の名を受け継いでいます。

出来事の年と写真の年代

江坂の出来事と写真の年代
年出来事写真の年代との位置
1940 年吹田市が生まれる1936〜42 年頃の期間の中
1970 年南北線の開業と新御堂筋の開通1961〜69 年と 1974〜78 年のあいだ
1971〜74 年沿線の開発が進まず北大阪急行は毎年損失1974〜78 年の期間の直前から初め
1975 年ごろ沿線の開発が伸びはじめる1974〜78 年の期間の中

北大阪急行の社史によると、開業の翌年から 1974 年までは沿線の開発が進まず、会社は毎年損失を出しました。開発が伸びはじめたのは 1975 年ごろからです。社史の話は路線全体についてのものですが、開業から 1974〜78 年の撮影までは 4 年から 8 年しかたっていません。表の 3 行目の終わりと 4 行目がこの一枚の期間に重なるので、この年代の写真は、道が先に通り建物がまだ追いつかない時期を写していることになります。

格子が埋まる 1974〜78 年から 1984〜86 年

1974〜78 年の一枚では、格子の中に建物と黄色い裸地がまだらに混じります。1979〜83 年には裸地が点のように減り、1984〜86 年には駅の周りで空いた土地を探すのが難しくなります。1979〜83 年には川べりの橙色の大屋根や、画面の左の陸上競技場の楕円の走路も加わり、細かな格子とは別に大きな敷地の使い方も見えてきます。この 3 枚を続けて見ると、道で区切られた枠の中に屋根が順に入っていく過程が読み取れます。道が先、建物が後という順番です。

守谷 でも、1984〜86 年の一枚に、建物の少ない造成地へ道の格子が先に引かれた姿が写ります。田に引いた江坂と違い、沼津駅前 の格子は焼け跡に引き直されたもので、市は 1947 年 1 月に戦災復興の土地区画整理の事業認可を受けています。造成の段階の見分け方は 1974〜78 年の航空写真 多摩センターは造成のどの段階か にまとめています。

格子に従わなかった斜めの帯

2026 年時点の一枚でも、1928 年頃に斜めの線が写っていた位置には幅のある帯が通っています。南北の直線にそろえた格子の中で、この帯は田の時代の向きを保ち、中ほどには緑の筋も通ります。帯と格子がぶつかる所には三角に欠けた街区ができました。引き直された格子の中に、田の時代の線が 1 本残ったことになります。

画面の右端の線路の束と下の神崎川の弧も、1936〜42 年頃から位置を変えていません。格子が置き換えたのは田の区画で、川と線路の束はその外で同じ場所にとどまっています。

写真の欠けと色の偏りに気をつける

年代を送って区画を比べるときは、写真そのものの写り方にも注意が要ります。1945〜50 年の一枚は、下寄りの横長の部分が欠けて灰色になっています。土地の模様ではないので、そこで田の区画が途切れて見えても、区画が変わったとは読めません。

1974〜78 年の一枚は上が暗く、中ほどが黄色みを帯びて写ります。黄色い裸地を拾うときは、中ほど全体の黄色みを差し引いて見ます。裸地の色だけで造成の段階を決めない読み方は、前に挙げた 1974〜78 年の記事でも扱っています。

年代ごとの区画の表

江坂の駅になる場所と周りの区画
年代駅になる場所周りの区画
1928 年頃田を区切る畦の線小さな長方形の田と斜めの黒い線
1936〜42 年頃田のまま斜めの線が白い直線の帯に変わる
1945〜50 年田のまま斜めの帯の両側に田が続く
1961〜69 年田のまま南に東西の道、左上に曲線の道路
1974〜78 年南北の幅の広い直線格子の街区に黄色い裸地が混じる
1979〜83 年直線の両側に建物裸地は点々と残るだけ
1984〜86 年直線の両側に建物空いた土地はほとんど見当たらない
2026 年時点直線沿いに大きな建物格子の端に三角に欠けた街区

南北の直線が初めて写る 1974〜78 年の行を境に、駅になる場所の欄が田から直線に替わります。それより前の 4 行では、駅になる場所はずっと田で、周りの区画の欄が少しずつ変わるだけです。

豊津町の地価公示

地点の中心から 510 m 離れた豊津町の住宅地の地価公示は、記録が始まる 1991 年の 1 平方メートルあたり 90 万円が、2026 年公示までの記録でいちばん高い値です。2026 年公示までの底は 2011 年、2012 年、2013 年の 20 万円で、2026 年は 23 万 5 千円です。翌 1992 年には 64 万 8 千円で、1 年で 25 万 2 千円下がっています。1991 年から 1996 年までの 5 年で 90 万円は 33 万円になり、下がり幅は 57 万円に達しました。2004 年に 21 万 5 千円まで下がってからは、2026 年まで 20 万円から 23 万 5 千円のあいだにとどまります。2026 年の 23 万 5 千円は、1991 年の 90 万円の 4 分の 1 をわずかに上回る水準です。2023 年の 21 万円から、2024 年の 21 万 4 千円、2025 年の 22 万 1 千円、2026 年の 23 万 5 千円と、2024 年から 2026 年は続けて上がっています。記録は 1991 年からなので、この記事で並べた 1984〜86 年までの写真の年代とは重なりません。

5 年ごとの豊津町の住宅地の地価公示 (1 平方メートルあたり)
年価格
1991 年90 万円
1996 年33 万円
2001 年26 万円
2006 年20 万 4 千円
2011 年20 万円
2016 年20 万 2 千円
2021 年20 万 8 千円
2026 年23 万 5 千円

地点ページで確かめる順番

江坂 の地点ページでは、まず 1961〜69 年と 1974〜78 年を行き来して、田が格子に替わる境を確かめます。次に 1974〜78 年から 1984〜86 年へ送ると裸地が屋根で埋まっていき、最後に 1928 年頃と 2026 年時点を並べると、斜めの帯が同じ向きのまま残ったことが分かります。三角に欠けた街区は、2026 年時点の一枚で帯に沿って目を動かすと見つけやすく、そこから 1928 年頃へ切り替えると、同じ位置を斜めの線が通っていたことを確かめられます。1936〜42 年頃と 1984〜86 年を並べれば、右端の線路の束と神崎川の弧が動いていないことも分かります。

同じ吹田市の 健都 (吹田操車場跡) も江坂と同じ 8 つの年代の写真がそろう地点で、こちらは田ではなく操車場の跡の土地が街に変わりました。操車場の跡地の読み方は 操車場の跡地に生まれた街を空中写真で見る に、年代ごとの写真の撮られ方の違いは 航空写真を年代別に比較 1928 年から 2007 年度まで にまとめています。

本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。

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