小倉駅の 1958 年の移転と駅の北 3 つの年代の写真で読む
国鉄の小倉駅が今の場所に移ったのは 1958 年だと、北九州市の小倉北区の沿革は記しています。小倉駅北口 で開ける 3 つの年代の写真は、1945〜50 年が移転の前、1961〜69 年と 1974〜78 年が移転の後にあたり、移転の前と後を一つの地点で並べられます。
この記事では、駅の移転と、駅の北に展示と会議の施設が集まった年を写真の年代に重ね、3 つの写真がそれぞれどの時期の姿かを確かめます。
移転の年と 3 つの写真の年代
この地点の 1945〜50 年の一枚は 1947 年から 1948 年の撮影で、移転の 10 年ほど前です。1961〜69 年の一枚は移転から 3 年から 11 年たった時期にあたり、1974〜78 年の一枚は 1975 年 3 月の撮影で、移転から 17 年後です。
| 年 | 出来事 | 移転からの年数 | 写真の年代との位置 |
|---|---|---|---|
| 1958 年 | 国鉄の小倉駅が今の場所に移る | 移転の年 | 1945〜50 年と 1961〜69 年のあいだ |
| 1959 年 | 小倉城の天守閣の復元 | 1 年 | 1945〜50 年と 1961〜69 年のあいだ |
| 1974 年 | 小倉区が小倉北区と小倉南区に分かれる | 16 年 | 1975 年 3 月の撮影の前 |
| 1975 年 | 山陽新幹線の開通 | 17 年 | 1975 年 3 月の撮影と同じ年 |
| 1977 年 | 西日本総合展示場の建設 | 19 年 | 1975 年 3 月の撮影の後 |
| 1985 年 | 都市モノレール小倉線の開通 | 27 年 | 1974〜78 年より後 |
| 1990 年 10 月 | 北九州国際会議場の設置 | 32 年 | 1974〜78 年より後 |
| 1998 年 4 月 | 北九州国際展示場の設置 | 40 年 | 1974〜78 年より後 |
表の 8 行のうち、写真の撮影の時期に重なるのは、撮影と同じ年の 1975 年の 1 行です。8 行のうち 4 行は過去の写真の最後の一枚より後の出来事で、4 行とも駅の北の施設か鉄道の出来事です。駅の移転は 1 つ目と 2 つ目の写真のあいだにあり、駅の北の施設はどれも過去の写真の最後の一枚より後にできました。写真に写るのは、移転した駅の北に施設が来る前の時期です。
1945〜50 年 移転の前の一枚
1945〜50 年の一枚は画面の上の 3 分の 2 ほどが灰色で、写っているのは南の一部だけです。この一枚には、駅の北の土地も港の水面も入っていません。移転の前の時期を写した一枚ではありますが、駅の北の比べには使えません。
1961〜69 年 移転から数年の駅の北
移転から数年のこの時期に駅のすぐ北が線路と港のあいだでどう空いていたかは、小倉駅北口 の地点ページの解説にまとめてあります。この年代の一枚の撮影から、駅の北の施設のうち最初の西日本総合展示場の建設までは、まだ 8〜16 年あります。
1974〜78 年 新幹線の開通と同じ年の一枚
1974〜78 年の一枚は山陽新幹線が開通した 1975 年の 3 月の撮影です。この年代の線路沿いと駅のすぐ北の見え方も、小倉駅北口 の地点ページの解説にあります。
駅の北に集まった展示と会議の施設
北九州市の資料によると、1977 年に西日本総合展示場が建てられ、1990 年 10 月に北九州国際会議場、1998 年 4 月に北九州国際展示場を市が置きました。最初の展示場から 3 つ目の施設までは 21 年で、駅の北は 20 年あまりかけて展示と会議のための土地にまとまりました。2026 年時点の一枚で、駅のすぐ北の空き地に何が載ったかは、小倉駅北口 の地点ページで 1961〜69 年と切り替えて見比べられます。
北九州と下関のほかの地点と比べる
同じ北九州市の 東田 (八幡製鉄所東田地区) と 徳力団地、門司港レトロ、関門海峡の向こうの あるかぽーと (下関臨海部) の写真の年代は次の表のとおりです。製鉄所の土地の読み方は 炭鉱と製鉄所の記憶を空中写真で読む記事 にまとめてあります。
| 地点 | 写真の年代 | 地点の分類 |
|---|---|---|
| 小倉駅北口 | 1945〜50 年 / 1961〜69 年 / 1974〜78 年 | 再開発 |
| 東田 (八幡製鉄所東田地区) | 1945〜50 年 / 1961〜69 年 / 1974〜78 年 | 工場跡 |
| 徳力団地 | 1945〜50 年 / 1961〜69 年 / 1974〜78 年 | ニュータウン |
| 門司港レトロ | 1961〜69 年 / 1974〜78 年 | 埋立地 |
| あるかぽーと (下関臨海部) | 1961〜69 年 / 1974〜78 年 | 埋立地 |
市街地の割合で見る駅の北
国土数値情報の土地利用で見ると、この地点の半径 500 m の市街地の割合は、1976 年の 85% から 2021 年の 92% へ 7 ポイント増えました。1976 年は過去の写真の最後の一枚の翌年、2021 年は 2026 年時点の一枚の 5 年前にあたります。1976 年は西日本総合展示場が建てられる前の年ですが、半径 500 m で見ると、その時点ですでに円の 8 割を超える範囲が市街地でした。比べの 4 地点では、徳力団地が 51% から 93% へ 42 ポイント増え、東田は 20 ポイント、あるかぽーとは 10 ポイント、門司港レトロは 9 ポイントの増え方です。
標高と地価公示で確かめる
地点の中心の標高は 2.6 m で、北は 2.5 m、南と西は 2.6 m、東は 2.0 m です。5 つの値の差は 0.6 m に収まり、線路と港のあいだの土地が海面からわずかな高さで平らに続くことが、数字にも表れています。
地価公示の標準地は、中心から 1,289 m 離れた小倉北区下富野 2 丁目の住宅地で、駅の北の施設の一帯からは離れています。2026 年公示までで最も高いのは 1992 年から 2000 年までの各年の 10 万 3 千円で、2026 年公示までで最も低いのは 2015 年から 2021 年までの各年の 6 万 1,300 円です。2000 年から 2015 年までの 15 年で 4 万 1,700 円下がり、2021 年から 2026 年までの 5 年で 2,500 円上がりました。2026 年の 6 万 3,800 円は、1992〜2000 年の 10 万 3 千円の 6 割あまりです。
| 年 | 価格 |
|---|---|
| 1991 年 | 10 万円 |
| 2000 年 | 10 万 3 千円 |
| 2003 年 | 9 万 7 千円 |
| 2005 年 | 8 万 8,300 円 |
| 2009 年 | 7 万 2 千円 |
| 2010 年 | 6 万 9 千円 |
| 2015 年 | 6 万 1,300 円 |
| 2021 年 | 6 万 1,300 円 |
| 2026 年 | 6 万 3,800 円 |
比べの 4 地点の近くの住宅地の標準地も、記録の始まりの値と 2026 年の値を並べます。
| 地点 | 標準地 | 記録の始まり | 2026 年 | 始まりに対する 2026 年 |
|---|---|---|---|---|
| 小倉駅北口 | 小倉北区下富野 2 丁目 | 1991 年 10 万円 | 6 万 3,800 円 | 0.64 倍 |
| 東田 (八幡製鉄所東田地区) | 八幡東区帆柱 1 丁目 | 1995 年 6 万 2 千円 | 2 万 4,100 円 | 0.39 倍 |
| 徳力団地 | 小倉南区徳力 6 丁目 | 1995 年 8 万 3,300 円 | 8 万 8,600 円 | 1.06 倍 |
| 門司港レトロ | 門司区清滝 3 丁目 | 1983 年 7 万 600 円 | 4 万 8,700 円 | 0.69 倍 |
| あるかぽーと (下関臨海部) | 下関市上田中町 4 丁目 | 1983 年 6 万 8,100 円 | 5 万円 | 0.73 倍 |
5 か所のうち、2026 年の値が記録の始まりの値を上回るのは徳力団地の近くだけで、5,300 円の上がり幅です。
年代を送って確かめる
出来事の表と見比べながら年代を送ると、どの一枚が移転と施設の建設のどの段階にあたるかを追えます。
本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。