阿倍野の再開発前 木造の家並みを 8 つの年代の写真で読む
阿倍野の再開発の前の街は、空中写真で見るかぎり、細かい木造の家並みでした。阿倍野 の写真を古い順に送ると、天王寺駅の南西に詰まった小さな屋根の目は、1928 年頃から 1974〜78 年まで 5 つの年代を通してほとんど形を変えません。大阪市の阿倍野地区第二種市街地再開発事業の都市計画が 1976 年 9 月に決まった後も、写真の上では 1985 年 6 月の一枚まで古い家並みが大半を占めます。
この記事では、事業の区域が広がった年と、この地点の写真が撮られた月を重ねて、どの一枚が事業のどの段階を写しているかを確かめます。
再開発の前の最後の一枚は 1984〜86 年
この地点の 1984〜86 年の一枚は 1985 年 6 月の撮影で、事業の区域はその 2 年あまり前の 1983 年 2 月に約 21.4 ha まで広がっていました。市の資料が事業の理由に挙げるのは、古い木造の建物の密集と、道路や公園の不足です。市はこの地区を、住環境と防災の両面から整備が要る地域としていました。
過去の写真のうち最後の 2007 年度の一枚は、区域が約 28.0 ha になった 1994 年より後で、再開発ビル 29 棟の整備が終わる 2012 年度末より前にあたります。
事業の決まり方と撮影の月
大阪市の資料にある決定の年月を、この地点の写真の撮影の月と並べます。1974〜78 年の一枚は 1975 年 3 月、1979〜83 年の一枚は 1979 年 9 月、1984〜86 年の一枚は 1985 年 6 月の撮影です。
| 年月 | 出来事 | 区域 | 写真との前後 |
|---|---|---|---|
| 1975 年 7 月 | 都市再開発法の改正で第二種市街地再開発事業ができる | 決定の前 | 1975 年 3 月の撮影の後 |
| 1976 年 9 月 | 都市計画の決定 (B1 地区と C1 地区) | 約 7.2 ha | 1975 年 3 月の撮影の後 |
| 1978 年 8 月 | B1 地区と C1-1 地区の事業計画の決定 | 約 7.2 ha | 1979 年 9 月の撮影の前 |
| 1978 年 11 月 | 施行区域の拡大 | 約 10.6 ha | 1979 年 9 月の撮影の前 |
| 1981 年 8 月 | 施行区域の拡大 | 約 20.4 ha | 1979 年 9 月の撮影の後 |
| 1983 年 2 月 | 施行区域の拡大 | 約 21.4 ha | 1985 年 6 月の撮影の前 |
| 1984 年 6 月 | A1 地区の事業計画の決定 | 約 21.4 ha | 1985 年 6 月の撮影の前 |
| 1985 年 5 月 | B2 地区の事業計画の決定 | 約 21.4 ha | 1985 年 6 月の撮影の直前 |
| 1989 年 3 月 | 施行区域の拡大 | 約 22.1 ha | 2007 年度の撮影の前 |
| 1994 年 3 月 | 施行区域の拡大 | 約 28.0 ha | 2007 年度の撮影の前 |
| 1997 年 3 月 | A2 地区の事業計画の決定 | 約 28.0 ha | 2007 年度の撮影の前 |
| 2012 年度末 | 再開発ビル 29 棟の整備が終わる | 約 28.0 ha | 2007 年度の撮影の後 |
| 2018 年 3 月 | 事業の完了 | 約 28.0 ha | 2007 年度の撮影の後 |
1975 年 3 月の一枚は都市計画が決まる 1 年半前で、1979 年 9 月の一枚は最初の区域の拡大の後、1985 年 6 月の一枚は B2 地区の事業計画が決まった翌月です。1979 年 9 月と 1985 年 6 月の一枚は、区域は決まっていても建物の建て替えはまだ先という段階を写しています。
区域の拡大とは別に、地区ごとの事業計画も順に決まりました。1978 年 8 月に B1 地区と C1-1 地区、1982 年 1 月に C1-2 地区、1983 年 8 月に D 地区、1984 年 6 月に A1 地区、1985 年 5 月に B2 地区です。1979 年 9 月の撮影までに事業計画が決まっていたのは B1 地区と C1-1 地区だけで、1985 年 6 月の撮影までには 6 つの地区の計画がそろっています。
1928 年頃から 1974〜78 年 決定の前の家並み
1928 年頃から 1974〜78 年までの 5 つの年代の細かな見どころは、阿倍野 の地点ページの解説にまとめてあります。この記事の軸で見ると、5 つの年代はどれも都市計画の決定より前の撮影です。1974〜78 年の南西の家並みを 1936〜42 年頃の一枚と交互に切り替えても、目の大きさに目立つ違いは見つかりません。
第二種市街地再開発事業という仕組みは、1969 年 6 月に公布された都市再開発法の 1975 年 7 月の改正でできたもので、1975 年 3 月の一枚はその改正の 4 か月前の撮影です。阿倍野の都市計画は、改正から 1 年 2 か月後の 1976 年 9 月に決まりました。
1979〜83 年と 1984〜86 年 区域が広がる途中
1979 年 9 月の一枚は、区域が約 10.6 ha に広がった 10 か月後の撮影です。この一枚で初めて、南西の家並みのなかに大きな白い屋根が混じります。左から下へ回り込む太い弧の線も、この年代から写ります。
その後、区域は 1980 年 2 月に約 14.6 ha、1981 年 8 月に約 20.4 ha、1983 年 2 月に約 21.4 ha と広がりました。1979 年 9 月から 1985 年 6 月までの 5 年 9 か月で区域は約 2 倍になっていますが、写真の上の変わり方は小さく、1984〜86 年の一枚でも古い家並みが大半を占めます。区域の広さと写真の変化は、この時期には同じ速さで進んでいません。1981 年 8 月の約 20.4 ha は最初の約 7.2 ha の 2.8 倍で、決定から 5 年足らずのうちに、区域は最終の約 28.0 ha の 7 割あまりの広さになっていました。
区域は 4 倍近くに広がった
最初の決定から約 28.0 ha になる 1994 年 3 月までは 17 年半で、区域は約 3.9 倍に広がりました。事業の期間は 1976 年度から 2017 年度までで、都市計画の決定から 2018 年 3 月の完了までは 41 年半あります。権利者の数は 3,000 人以上です。1983 年 2 月から 1989 年 3 月までの 6 年あまりは区域が約 0.7 ha しか広がらず、1994 年 3 月の拡大で一度に約 5.9 ha 加わりました。最後の区域の拡大の 1994 年 3 月から完了までは 24 年です。市の資料では、区域は阿倍野区の阿倍野筋 1〜3 丁目と旭町 1〜3 丁目、西成区の山王 1〜3 丁目のそれぞれ一部にまたがります。
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 住宅 | 施行の前の約 900 戸から、施行の後は約 3,100 戸の計画 |
| 夜間の人口 | 施行の前の約 6,300 人から、施行の後は約 8,000 人の計画 |
| 施設建築物 | 29 棟 (2012 年度末に整備完了) |
| 都市計画の施設 | 道路 17 路線と公園 3 か所 (公園は計約 2.2 ha) |
| 自転車駐車場 | 2 か所 |
| 事業費 | 約 4,810 億円 |
住宅の戸数は計画で 3 倍あまりに、夜間の人口は約 1.3 倍になります。どちらも施行の後の値は計画の値で、写真で数えた値ではありません。
2007 年度と 2026 年時点の一枚
2007 年度の一枚は、区域が広がりきった後で、建物の整備が終わるより前の途中の段階です。都市計画の決定から 2007 年度までは 31 年で、この一枚は 決定から完了までの 41 年半の 4 分の 3 ほどを過ぎた時点にあたります。その前には、1997 年 3 月に A1 地区を広げる形で A2 地区の事業計画が決まり、2002 年 5 月には A2 街区の建築面積と延べ床面積を変える都市計画の変更が、2005 年 9 月には阿倍野南北線という道路と 2 か所の自転車駐車場を加える変更がありました。道路は 2015 年度までに全路線で工事に着手し、29 棟の整備は 2012 年度末に終わりました。2026 年時点の一枚で区域の内側と外側がどう分かれて見えるかは、阿倍野 の地点ページの解説にあります。
大阪のほかの地点と比べる
大阪のほかの 4 地点の元の土地は次の表のとおりで、工場の跡地どうしの比べ方は 工場跡地の再開発を比べる記事 にまとめてあります。
| 地点 | 元の土地 | 替わったもの |
|---|---|---|
| 阿倍野 | 戦前からの木造の家並み | 再開発ビルと道路と公園 |
| 森之宮 (大阪砲兵工廠跡) | 砲兵工廠の敷地 | 公園と線路の束と建屋 |
| うめきた (グランフロント大阪) | 梅田貨物駅 | 大きな建物の街区 |
| 京セラドーム大阪 (岩崎町) | ガスの施設 | 大阪ドーム |
| 江坂 | 田の区画 | 碁盤目の街区 |
標高と地価公示で確かめる
地点の中心の標高は 10.7 m で、東の測点は 11.8 m、南と西はともに 15.4 m、北は 16.4 m です。中心は四方のどの測点よりも低く、北とは 5.7 m の差があります。
地価公示の標準地は、中心から 472 m 離れた天王寺区大道 3 丁目の住宅地です。再開発の区域は阿倍野区と西成区にあるので、この値は区域の外の住宅地の値で、事業の効果を測る値ではありません。2026 年公示までで最も高いのは記録の始まる 1994 年の 82 万 7 千円で、2026 年公示までで最も低いのは 2011 年と 2012 年の 44 万 3 千円です。1994 年から 2011 年までの 17 年で 38 万 4 千円下がり、そのうち 33 万 1 千円は 2000 年までの 6 年の下げです。2012 年から 2026 年までの 14 年では 17 万 7 千円上がりました。完了の直前の 2018 年公示の 47 万 7 千円から 2026 年の 62 万円までは、8 年で 14 万 3 千円の上がり幅です。2026 年の 62 万円は、2026 年公示までで最も高い 1994 年の 82 万 7 千円の 4 分の 3 ほどです。
| 年 | 価格 |
|---|---|
| 1994 年 | 82 万 7 千円 |
| 2000 年 | 49 万 6 千円 |
| 2005 年 | 44 万 7 千円 |
| 2008 年 | 50 万 3 千円 |
| 2011 年 | 44 万 3 千円 |
| 2012 年 | 44 万 3 千円 |
| 2018 年 | 47 万 7 千円 |
| 2026 年 | 62 万円 |
年代を送って確かめる
阿倍野の地点ページで 1984〜86 年と 2026 年時点を交互に切り替えると、細かい家並みが大きな建物に替わった範囲と、替わらなかった外側の境が分かります。
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