田園都市線 4 駅の昔の写真 二子玉川から南町田へ

公開日: 2026 年 9 月 9 日 / この記事は約 12 分で読めます

同じ年代の写真を 4 つの駅で並べる

丘の上の住宅地を空中写真でたどるとき、ひとつの駅の周りだけを年代順に送っていくと、街ができていく話は驚くほど滑らかにつながります。ところが同じ年代の写真を隣の駅、その隣の駅へと横に並べ替えると、話は急にでこぼこしてきます。ある駅の周りに家並みが詰まりきった年に、数 km 先ではまだ畑の畝が斜面を埋めているからです。

田園都市線沿いの 二子玉川たまプラーザ青葉台南町田グランベリーパーク の 4 地点は、この横並びの読み方に向いています。写真を選べる年代の数がそれぞれ違い、線路が届いた年も 18 年の幅で散らばっているためです。この記事では、4 地点を同じ年代でそろえたときに何がずれて見えるのかを追います。先に結論を書くと、ずれの向きは渋谷からの距離の順とも、土地の高さの順とも一致しません。

起点は多摩川の低地

出発点の 二子玉川 だけが、丘ではなく川の低地にあります。標高の計測点は中心が 12.9 m で、北が 13.6 m、東が 12.7 m と 13 m 前後に肩をそろえ、南の 9 m と西の 7.6 m へ一段落ちます。低い側はどちらも多摩川の河原に向く方角で、6 m の段差が川の削り跡にあたります。丘陵の 3 駅とは高さの桁がひとつ違う土地です。

写真の世代数も、この地点だけが飛び抜けています。1936〜42 年頃から 1987〜90 年まで 7 つの年代を選べるのに対して、丘陵側の 3 地点は 5 つか 6 つです。人と物の行き来が早くからあった土地は、それだけ早くから撮られています。1936〜42 年頃の写真で多摩川を渡る橋はまだ一本きりで、そのたもとから伸びる道の両側だけに家並みが濃く写ります。丘陵の 3 駅の位置には、この年代の写真そのものがありません。写真が始まる時点で、街と丘は 30 年ぶんの時差を抱えていたことになります。

高さの並びは駅の並びと一致しない

丘陵に入った 3 駅を渋谷に近い順に置くと、標高の計測点は 54 m、37.8 m、71.7 m となります。線路が奥へ進むほど土地が高くなるわけではなく、たまプラーザ からいったん 16 m ほど下った鞍に 青葉台 が乗り、そこからさらに奥で 南町田グランベリーパーク が 70 m 台に達します。多摩丘陵は一枚の斜面ではなく、尾根と谷が幾筋も交互に並ぶ地形で、線路はその筋を横切って進むからです。丘を登っていく話としてこの沿線を眺めると、青葉台のところで説明がつかなくなります。

地点の四方を測ると、街になった後の地形の癖も残っています。青葉台は東の 45 m から西の 30 m 台へ下る面の上にあり、四方の差は 14.6 m と 4 地点で最も大きい値です。たまプラーザは西が 57.5 m、東が 47 m で 10.5 m の差、南町田は中心の 71.7 m が四方のどこよりも低く、北は 79.2 m まで上がります。最も高い駅が地点内では谷底にあたるという逆転が、この 4 地点の並びのなかで起きています。境川が刻んだ谷の底に線路と駅を通したためで、標高の絶対値の高さと、その場所が尾根か谷かは別の話だということが数字に出ています。

4 地点の高さと写真の年代
地点中心の標高四方の最高と最低最も古い写真の年代選べる年代の数
二子玉川12.9 m13.6 m と 7.6 m1936〜42 年頃7
たまプラーザ54 m57.5 m と 47 m1945〜50 年6
青葉台37.8 m45 m と 30.4 m1961〜69 年5
南町田グランベリーパーク71.7 m79.2 m と 74.1 m1961〜69 年5

1945〜50 年 写真が残るのは 4 地点のうち 2 地点

横並びの最初のつまずきは、そろえたい年代の写真が全部の地点にあるとは限らないという点です。1945〜50 年の写真を選べるのは 二子玉川たまプラーザ の 2 地点だけで、青葉台南町田グランベリーパーク では最初に選べる年代が 1961〜69 年です。写真が無いという事実そのものが、そこに人の営みがまだ集まっていなかったことの間接的な記録になっています。

その 2 地点の 1945〜50 年を見比べると、対照の付け方が分かります。二子玉川では砂礫の河原が白く広がり、その中に細長い洲が島のように残って、橋のたもとの北東側で家並みが厚みを増しています。同じ年代のたまプラーザは、画面のどこを見ても細長い谷底の田と尾根の畑、そして黒い林です。屋根の集まりは谷の出口や斜面の裾に点々と散るだけで、丘の上に住まいの気配はありません。川辺にはすでに街の芯があり、丘には田を開く場所すら谷の幅ぶんしかなかった時代です。

1961〜69 年 4 地点がそろう最初の年代

4 地点を同じ年代で並べられるようになるのは 1961〜69 年からです。そして、この一枚に写る姿の落差が沿線でいちばん大きくなります。二子玉川 では多摩川の両岸がもう家で埋まり、畑の区画は画面の隅へ押しやられ、それまで白いだけだった河原の砂の上にも薄い格子の区画が引かれています。街として完成しかけている土地の絵です。

同じ年代の 青葉台 には、線路が一本も通っていません。濃い樹冠におおわれた尾根が画面いっぱいにうねり、そのあいだを谷底の水田が明るい帯となって枝分かれしていきます。街区を直線で割った跡もどこにも見つかりません。南町田グランベリーパーク も同じで、目に入るのは短冊状に細かく割られた畑と、その畝の縞です。谷筋を蛇行する濃い樹林の帯が水の通り道を描き、画面を斜めに横切る幅の広い道が一本だけ、丘を越えて南西へ抜けていきます。鉄道が来る前のこの谷で遠くとつながっていたのは、その道だけでした。

たまプラーザ はもう少し込み入っています。駅が置かれる場所そのものはまだ畑と谷で、街の輪郭はどこにも現れていないのに、画面の右上のすみだけは事情が違い、同じ形の家が向きをそろえて幾列も並んでいます。1945〜50 年には田と林だった斜面です。丘陵の住宅地化は、駅の到着を待たずに別の場所から先に動き出していました。年代のラベルの幅の内側に 1966 年が入っているにもかかわらず、たまプラーザにも青葉台にも線路が写っていない点にも気をつけたいところです。線路が写っていないことから、この年代の写真はいずれも開業より前の撮影と読めます。

線路が奥へ延びた日

4 地点の写真の落差は、そのまま線路が届いた年の落差です。東急の年譜に残る日付を並べると、丘陵の区間が一度に開通したのではなく、8 年をかけて一駅ずつ延びていったことが分かります。

田園都市線が奥へ延びた日
年月日開通した区間
1966 年 4 月 1 日溝の口から長津田まで
1968 年 4 月 1 日長津田からつくし野まで
1972 年 4 月 1 日つくし野からすずかけ台まで
1976 年 10 月 15 日すずかけ台からつきみ野まで
1984 年 4 月 9 日つきみ野から中央林間まで

たまプラーザ青葉台 は、1966 年 4 月 1 日の同じ一日に線路を得た駅です。丘陵に最初に引かれた 14 km 余りの区間の途中に、両方の駅が置かれました。一方 南町田グランベリーパーク は 1976 年 10 月 15 日の延伸で開いた駅で、10 年半のずれがあります。そのあいだに 1968 年と 1972 年の 2 回の延伸が挟まっており、都県境の谷にたどり着くまで一駅ずつ数年おきに進んだ計算になります。1984 年 4 月 9 日に中央林間まで届いてこの線は全通しました。なお 二子玉川 を含む区間が田園都市線という路線名になったのは 1963 年 10 月 11 日で、それまでは大井町線と呼ばれていました。丘陵の駅が生まれる前に、路線の名前だけが先にできていたことになります。

1974〜78 年 駅が先か区画が先か

延伸の 10 年のずれが写真のなかでどう見えるかを確かめるのに、1974〜78 年はうってつけの年代です。青葉台 では画面の中ほどが一変し、西南西から東北東へ丘を横切る線路と、中央のやや左に駅らしい細長い構造物が写ります。線路の北側には地形に沿って曲がる街路が広がり、向きをそろえた長い集合住宅の列が並びます。南側の街路も曲線で、戸建てが密に入っていますが、そのあいだには茶色い未造成の面や畑が混ざっています。街路の形と建物の入り方から、駅を先に置いてから街を作る順序が読めます。

同じ年代の 南町田グランベリーパーク は、その順序の一段前で止まっています。西側の一角に定規で引いたような道路と細長い区画が敷き詰められているのに、建物はまだ半分も建っていません。白い区画線と褐色の裸地が幾何学模様をつくる、造成地に特有の眺めです。そのうえ画面の中央では幅の広い自動車道が二本並んで走り、立体交差の橋も小さく見えます。鉄道より先に自動車の道が谷を渡っていたわけで、この土地に線路が通じる 1976 年は、まさにこの年代の内側にあたります。

たまプラーザ はさらに別の表情です。駅の北側に街区が密に立ち上がっている一方、画面の南寄りには耕地と土色の造成地が広く残ります。開発が駅を中心に同心円状に進むのではなく、地区ごとの区画整理組合の足並みに従って斑に進んだことが、この濃淡に出ています。開業から 8 年ほど経った駅の周りでも、埋まった側と埋まっていない側が同じ画面のなかに同居しているのです。3 地点を横に見ると、駅と街の到着順は同じ路線の上でも三通りに分かれていたことになります。

1980 年代 空き地の埋まる速さと写真の欠け

1979〜83 年から 1987〜90 年までは、写真を送るごとに空き地が屋根に置き換わっていく時期です。たまプラーザ では 1979〜83 年、1984〜86 年、1987〜90 年と進むにつれて街路樹と庭木が枝を広げ、画面の色が濃くなっていきます。1987〜90 年になると、空き地を探すほうが難しくなります。青葉台 では 1979〜83 年に色調の違いが消えて画面全体が一続きの市街地になりますが、左上から左のはしには明るい裸地と区画割りだけが引かれた面が広く残り、市街化の波が西へ動いていく途中の姿が写ります。その裸地の多くが屋根に変わるのは 1984〜86 年で、1987〜90 年には丘の上に学校らしい広い平面と茶色い運動場が現れ、林はほぼ姿を消します。

南町田グランベリーパーク の 1980 年代を追うときは、撮影そのものの都合が壁になります。1979〜83 年と 1987〜90 年の写真は中央に帯状の欠けがあり、駅前がちょうど写らないのです。そこで手がかりになるのが 1984〜86 年で、この年代だけは駅の周りまで画面に入ります。駅の南東側に大きく整地された裸地が現れ、その内側に弧を描く運動場らしい区画が見えます。西側の造成地は屋根で埋まり、区画だけだった街がようやく街として動きだしています。駅前が写らない年代は、前後の年代から見当をつけるほかありません。

土地の値の記録も二つの世代に分かれる

4 地点の近くには地価公示の計測点が置かれていますが、記録が始まった年が二つに分かれています。青葉台南町田グランベリーパーク の参照点は 1983 年から、二子玉川たまプラーザ の参照点は 2016 年からです。同じ沿線でも 40 年余りの物差しが手に入る駅と 10 年ぶんしか手に入らない駅が混じっており、4 つの数字をそのまま横に並べて優劣を語ることはできません。

長い記録が残る 2 地点を比べると、丘の上と谷の底の違いが 1980 年代の値の付き方に出ています。青葉台の参照点は 1983 年の 1 平方メートルあたり 23 万 6 千円から、1987 年に 47 万 5 千円、1988 年には 78 万 5 千円へと駆け上がりました。同じ 1988 年、境川の谷にある南町田の参照点は 65 万 3 千円で、その差は 13 万 2 千円です。1983 年の時点では両者の差が 4 万 1 千円しかなかったことを思えば、値の上がる勢いの差がそのまま開きになったことになります。

下がり方にも違いが残りました。青葉台は 1996 年に 40 万円、2000 年に 33 万 6 千円と下げ、2004 年と 2005 年に 28 万 5 千円まで落ちます。南町田は下げがさらに長く続き、2005 年と 2006 年に 19 万 5 千円となりました。これは記録の始まった 1983 年と同じ値で、この 3 つの年が掲載の系列でいちばん低い値の年です。20 年余りをかけて出発点まで戻った形です。そこから 2026 年までに青葉台は 40 万 9 千円、南町田は 31 万 4 千円となり、2026 年時点で参照できる範囲では、どちらも 1988 年の値には届いていません。

近くの住宅地に残る地価公示の記録 (1 平方メートルあたり)
地点参照点までの距離記録の始まり1988 年2026 年
二子玉川約 560 m2016 年 61 万 5 千円掲載の系列に無し87 万 1 千円
たまプラーザ約 270 m2016 年 43 万円掲載の系列に無し64 万 4 千円
青葉台約 510 m1983 年 23 万 6 千円78 万 5 千円40 万 9 千円
南町田グランベリーパーク約 360 m1983 年 19 万 5 千円65 万 3 千円31 万 4 千円

2016 年から記録がある 2 地点は、10 年間の動きだけが分かります。二子玉川の参照点は 2016 年の 61 万 5 千円から 2026 年の 87 万 1 千円へ、たまプラーザの参照点は 43 万円から 64 万 4 千円へ動きました。丘の上の街と川辺の街が、この 10 年についてはよく似た向きの記録を残しています。

4 地点を年代送りで見比べる

この沿線を写真で読むときの段取りは、三つに分けられます。まず年代をそろえて 4 地点を横に送り、どこに街の輪郭があってどこに無いかを確かめます。次に、写真の欠けや撮影の継ぎ目に出会ったら、隣り合う年代と隣の駅の同じ年代で補います。最後に標高の数字に戻って、その場所が尾根の背か谷の底かを確かめます。この順に見ると、丘の街が一斉に生まれたのではなく、区画整理組合ごとの足並みと延伸の日付に従って斑に埋まっていった経緯が、画面の色の濃淡として読めるようになります。

低いところに水がどう集まるかは写真だけでは判断できません。境川沿いの土地について知りたい場合は、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の公表資料がまとまっています。

二子玉川 の白い河原から始めて、たまプラーザ の谷戸、青葉台 の尾根、南町田グランベリーパーク の畑の畝へ。それぞれの地点ページでは、同じ場所の写真を年代ごとに切り替えて、標高の断面とあわせて見られます。60 年前の一枚を開いたときに、いま歩いている坂と階段がどの谷と尾根に対応していたのかを、順に確かめてみてください。

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