山を削って生まれた街 ニュータウン造成の跡
尾根を削り、谷を埋めて平場を作る
丘陵に街を築く造成は、高い所を削る切土と、低い所へ盛る盛土の組み合わせで進みます。斜面のままでは道路も宅地も置けないため、尾根を削って階段状の平場をつくり、削った土を谷筋へ入れて埋め戻します。切土と盛土の量が釣り合えば土は敷地の中で完結しますが、削る側が多ければ余った土砂を外へ運び出すことになります。空中写真の年代を送ると、この作業の途中が白い裸の大地として写り込んだ世代が見つかります。
工事は敷地の端から一気に進むわけではありません。まず土砂を運ぶための道が丘の上へ延び、区域の一部で木が伐り払われ、そこから平場が広がっていきます。そのため造成中の写真では、樹林と裸地と、すでに区画割りの終わった街区が同じ画面に並びます。どこがまだ樹林で、どこまで平場になっているかを追うと、その丘が削られていった順序まで読み取れます。
削った土砂が海を埋めた神戸
土砂の行き先まで一つの事業として設計した例が神戸市です。名谷 を含む須磨ニュータウンでは、市が須磨の丘陵林を大規模に削り、削り出した土砂をベルトコンベアで海へ送りました。運ばれた土は埋め立ての材料になり、丘の側と海の側で街が同時に生まれます。「山、海へ行く」と呼ばれた事業です。名谷の標高は約 98 m、市営地下鉄の名谷駅が開業したのは 1977 年でした。
土を受け取った側を見ると、高さの差が際立ちます。ポートアイランド は 1966 年に着工し、1981 年に第 1 期が完成、同じ年にポートライナーが開業しました。標高は 3.7〜5.7 m です。六甲アイランド は 1972 年に埋め立てが始まり、六甲ライナーの開業は 1990 年、標高は 4.6〜5.9 m です。丘の上の約 98 m と海際の 5 m 前後が、同じ土を分け合った両端にあたります。海側に生まれた街の側からの眺めは 昔は海だった街 埋立地を空中写真でたどる にまとめました。
神戸市西部の 西神中央 も同じ系統の造成で開かれた街です。標高は約 90 m の台地上で、1979〜83 年の写真には造成の進む白い地面が、1984〜86 年の写真には街区の輪郭が写ります。市営地下鉄西神線が延伸してきたのは 1987 年です。1961〜69 年の写真までさかのぼると、ため池が点在する丘陵の農村が広がっています。
日本で最初の大規模ニュータウンも丘の上にあった
千里中央 の一帯は、日本のニュータウン開発の先駆けとして 1962 年に街びらきを迎えました。中心の標高は 66.6 m で、千里丘陵の尾根と谷を造成した土地です。1961〜69 年の写真には、造成の途中の丘と、できたばかりの街区が同じ画面に写ります。竹林や畑が残る部分と住棟が整列した部分の対比が、この一枚に凝縮されています。
千里中央はその後、北大阪急行の延伸や大阪モノレールの開業で交通の結節点になりました。千里中央駅は地下にあるため、掲載している標高は駅の上の地表面の値です。写真の細かさを数値に直すと、比較の基準にしている 1961〜69 年の 17.2 から 2026 年時点の 51.1 へ増えました。千里中央に近い新千里西町の住宅地の地価公示は、1995 年の 1 平方メートルあたり 44 万円から 2005 年の 23 万 2 千円まで下がり、2025 年は 33 万 8 千円でした。
大阪と名古屋の丘に続いた造成
泉北ニュータウン (泉ヶ丘) は 1967 年に街びらきし、1971 年に泉北高速鉄道の泉ケ丘駅が開業しました。中心の標高は 71.5 m、南の測定点は 84.6 m で、泉北丘陵の起伏が街の中に残ります。1936〜42 年頃の写真では一帯が丘と農地で、1974〜78 年から 1984〜86 年にかけて街区が画面を埋めていきます。
高蔵寺ニュータウン は、中部圏では最大級の規模で 1968 年に入居が始まりました。中心の標高は 50.6 m、写真の細かさは 8.0 から 39.6 へ増えており、造成前の画面がとりわけ均質だったことを示しています。JR 中央線と愛知環状鉄道線が近くを走ります。高蔵寺町北の住宅地の地価公示は 2014 年の 10 万 4 千円から 2025 年の 13 万 2 千円へ上がりました。
多摩丘陵を削った東京の二つの街
多摩センター を拠点地区とする多摩ニュータウンでは、1971 年に諏訪・永山の地区で入居が始まりました。多摩センターの 1974〜78 年の写真は造成の最中で、1987〜90 年の写真になると駅前の拠点地区が形になっています。中心の標高は 88.6 m、南の測定点は 103.8 m、西は 98 m です。のちに多摩都市モノレールが加わり、複数の路線が集まる駅になりました。落合の住宅地の地価公示は 2002 年の 25 万 1 千円から 2012 年の 21 万円まで下がり、2025 年は 25 万 2 千円で、23 年をかけて元の水準へ戻った形です。
南大沢 は、同じ多摩ニュータウンの西側にあたります。中心の標高は 115 m で、四方の測定点は 120〜127 m と高く、削り残された尾根に囲まれた低い場所へ駅と街区が置かれた地形です。京王相模原線の南大沢駅が開業したのは 1988 年で、大学のキャンパスと大型商業施設が駅の周りに並びます。住宅地の地価公示は 2001 年の 20 万 3 千円から 2005 年の 16 万 3 千円まで下がり、2025 年は 21 万円でした。
私鉄が沿線ごと開いた横浜の丘
たまプラーザ は、東急の多摩田園都市構想の中核として開かれた街です。田園都市線の開業は 1966 年で、1945〜50 年の写真には谷戸の田と雑木林が広がり、街の姿はまだありません。中心の標高は 54 m、写真の細かさは 15.3 から 42.6 へ増えました。新石川の住宅地の地価公示は 2016 年の 43 万円から 2025 年の 60 万 7 千円へ上がっています。
同じ沿線の 青葉台 には、地価の記録が長く残っています。住宅地の公示価格は 1983 年の 23 万 6 千円から 1988 年の 78 万 5 千円まで上がり、2004 年の 28 万 5 千円まで下げたのち、2025 年は 39 万 2 千円です。5 年で 3 倍を超え、その後 16 年をかけて 3 分の 1 近くまで戻る動きが、丘の上の住宅地の記録として残りました。中心の標高は 37.8 m です。
横浜市の南側では、洋光台 が 1945〜50 年から 1987〜90 年までの 5 つの年代をさかのぼれます。中心の標高は 38.5 m に対して、北の測定点は 49.7 m、南は 57.5 m、西は 55.6 m です。四方がいずれも中心より 8〜19 m 高く、谷筋を選んで駅と街区が置かれたことがうかがえます。市の北部の センター北 では、1974〜78 年の写真に造成中の裸地が写ります。のちに市営地下鉄の 2 路線が乗り入れる駅になり、駅前には商業施設が集まりました。
造成前の丘は写真の上で均質だった
写真に写るものの細かさを数値に直すと、丘陵造成の街には共通の傾向が出ます。西神中央は 10.9 から 38.0、名谷は 15.9 から 39.4、多摩センターは 12.5 から 39.4、南大沢は 16.7 から 37.6、センター北は 17.3 から 33.1 へ増えました。出発点の値が低いのは、造成前の画面が雑木林や山林で埋まり、見た目の起伏に乏しかったことの裏返しです。田畑や集落が先にあった土地では出発点の値がもっと高く、街になった後との差は小さく出ます。
高蔵寺の 8.0 は、次の一覧の中でとりわけ低い出発点です。逆に千里中央は 2026 年時点の 51.1 まで伸びており、住棟や商業施設の密度がそのまま数値に出ています。
| 地点 | 所在 | 中心の標高 | 基準の年代 | 2026 年時点 |
|---|---|---|---|---|
| 千里中央 | 大阪府 | 66.6 m | 17.2 | 51.1 |
| 泉ヶ丘 | 大阪府 | 71.5 m | 23.3 | 38.5 |
| 高蔵寺ニュータウン | 愛知県 | 50.6 m | 8.0 | 39.6 |
| 名谷 | 兵庫県 | 97.7 m | 15.9 | 39.4 |
| 西神中央 | 兵庫県 | 88.9 m | 10.9 | 38.0 |
| フラワータウン | 兵庫県 | 189.5 m | 13.6 | 26.1 |
| 多摩センター | 東京都 | 88.6 m | 12.5 | 39.4 |
| 南大沢 | 東京都 | 115.0 m | 16.7 | 37.6 |
| たまプラーザ | 神奈川県 | 54.0 m | 15.3 | 42.6 |
| センター北 | 神奈川県 | 23.7 m | 17.3 | 33.1 |
| 真駒内 | 北海道 | 94.4 m | 12.1 | 33.9 |
平らにしても起伏は消えない
造成は斜面を階段に置き換える作業なので、段差は街の中に残ります。センター北は駅周辺が 23.7 m、北の測定点が 35.4 m、東が 38.6 m で、数百 m の範囲に 15 m 前後の高低差を抱えます。南大沢は約 115〜127 m、多摩センターは中心 88.6 m に対して南が 103.8 m、西が 98 m です。住区の間を歩くと坂に出会うのは、地形が平らになったのではなく段に組み替えられたからです。
高さの幅は街ごとに違います。北摂三田ニュータウン (フラワータウン) は中心が 189.5 m、南の測定点が 205.9 m で、この一覧では最も高い場所に開かれた街です。平城ニュータウン (高の原) は中心の 55.6 m に対して東が 68.9 m、西が 71.2 m と、周囲が一段高くなっています。一方で 洛西ニュータウン は中心が 23.4 m、四方の測定点が 22.5〜23.8 m にそろい、京都盆地の西縁にあたる平らな土地であることが数値に出ます。
掲載している標高は地表面の測定値であり、水害や地震の想定を示すものではありません。土地ごとの想定は、国土交通省のハザードマップポータルサイトから各自治体の公表資料を参照してください。
造成中の一枚が街の年齢を教える
裸の大地が写る世代は街ごとにずれます。名谷とセンター北は 1974〜78 年、西神中央は 1979〜83 年、南大沢は 1980 年代の写真が造成の最中にあたり、多摩センターでは 1974〜78 年の造成を経て 1987〜90 年の写真に駅前の拠点地区が現れます。どの年代に白い地面が写っているかを見れば、その街の丘が削られた時期をおおよそ絞れます。
真駒内 は、1972 年の札幌冬季オリンピックで選手村と競技場が置かれた土地です。1961〜69 年の写真には種畜場の広大な原野が写り、1974〜78 年の写真には住宅市街と競技施設が並びます。中心の標高は 94.4 m、最も古い年代と 2026 年時点の画素の明暗差の平均は 0〜255 の尺度で 27 でした。原野から市街へ入れ替わった落差が、この値に表れています。
フラワータウンは逆の例です。この地点でさかのぼれる写真は 1961〜69 年と 1974〜78 年の 2 つで、どちらにも街が写っていません。まちびらきは 1980 年代、神戸電鉄公園都市線の開業は 1991 年で、写真の年代がすべて造成前に収まっています。三田市には 1980 年代後半から 1990 年代にかけて人口増加率が全国で最も高くなった時期があり、その増加を受け止めた街が、写真には一度も現れないことになります。
街びらきと駅の開業が続いた 30 年
丘を削って開かれた街は、造成が終わっただけでは人が住み始めません。入居の開始と、鉄道が届いた年が別々に並ぶのが、この種の街の共通点です。写真の年代と重ねると、街の年齢を測る目印になります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1962 | 千里ニュータウンで街びらき |
| 1966 | 田園都市線が開業し、たまプラーザ駅が置かれる |
| 1972 | 札幌冬季オリンピックの選手村と競技場が真駒内に置かれる |
| 1974〜78 年 | 名谷とセンター北の写真に造成中の裸の大地が写る |
| 1979〜83 年 | 西神中央の写真に造成の白い地面が写る |
| 1987 | 市営地下鉄西神線が西神中央まで延伸 |
| 1988 | 京王相模原線の南大沢駅が開業 |
地価の記録は街ごとに分かれた
丘を削って開かれた街の地価公示は、記録が始まった年によって形が変わります。1980 年代から記録が続く地点では大きく上がって下がる線が残り、2000 年代以降に記録が始まった地点では上下の幅の小さい線が並びます。名谷に近い竜が台の住宅地は 1991 年に 42 万 5 千円まで上がり、2011 年の 13 万 6 千円まで下げて、2025 年は 15 万 8 千円でした。西神中央に近い竹の台の住宅地は 2010 年の 13 万 5 千円から 2025 年の 16 万 2 千円、センター北の周辺は 2020 年の 34 万円から 2025 年の 40 万 6 千円です。
洛西ニュータウンと真駒内では、記録の中で最も高い年が 2025 年でした。丘の造成でできた住宅地が、街びらきから半世紀を経て記録を伸ばす例もあるということです。次の表の高低は、それぞれの地点の近くで記録が残っている年の範囲での最高と最低にあたります。
| 地点 | 最も高い記録 | 最も低い記録 | 2025 年 |
|---|---|---|---|
| 青葉台 | 1988 年 78 万 5 千円 | 1983 年 23 万 6 千円 | 39 万 2 千円 |
| 千里中央 | 1995 年 44 万円 | 2005 年 23 万 2 千円 | 33 万 8 千円 |
| 名谷 | 1991 年 42 万 5 千円 | 2011 年 13 万 6 千円 | 15 万 8 千円 |
| 高の原 | 1994 年 27 万円 | 2006 年 11 万 2 千円 | 16 万 8 千円 |
| フラワータウン | 1995 年 16 万 2 千円 | 2022 年 6 万 4,100 円 | 6 万 4,100 円 |
| 洛西ニュータウン | 2025 年 41 万 3 千円 | 2004 年 24 万 5 千円 | 41 万 3 千円 |
| 真駒内 | 2025 年 16 万 7 千円 | 2014 年 10 万円 | 16 万 7 千円 |
年代を送って確かめる
丘を削って生まれた街を読むときは、造成前、造成中、街区が固まった後の三つの世代を往復させてみてください。造成前の年代では尾根と谷の形が、造成中の年代では削られた斜面の向きと、まだ土が入っていない谷筋が見分けられます。街区が固まった後の年代へ切り替えると、その谷筋がどの通りや公園になったのかが重なります。
四方の標高を見比べるのも手がかりになります。中心より周囲が一段高い地点では、削り残された尾根の内側に街が置かれています。神戸の二つの人工島と丘の街を続けて見れば、削った土と埋めた土が同じ事業の両端であったことも確かめられます。比較ページで年代を送り、その丘が街に変わる一枚を探してみてください。
本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。