地方博覧会の跡地 ポートピア 横浜博 よかトピアの昔
博覧会の跡地は空き地に戻らなかった
ポートピア、横浜博覧会、よかトピアなど、1960 年代から 1990 年代にかけて各地で開かれた、あるいは開かれる予定だった地方の博覧会の会場を 6 か所たどると、会場の多くは埋め立てを終えたばかりの土地でした。開かれた 5 か所では、閉幕後に会場がまるごと空き地へ戻ったところはなく、パビリオンの一部や会場の区画割り、丘の地形が跡地に引き継がれています。横浜の大観覧車は場所を移して動き続け、福岡ではテーマ館の建物が市の博物館になりました。跡地を探すときは、会場の時期に近い空中写真と 2026 年時点の写真を往復するのがいちばんの近道です。
ここで取り上げる会場跡は 6 か所です。ポートアイランド のポートピア'81、みなとみらい の横浜博覧会、百道浜 のよかトピア、姫路駅北 キャスティ 21 の画面に入る手柄山の姫路大博覧会、和歌山マリーナシティ の世界リゾート博、そして開かれずに終わった 台場 の世界都市博覧会です。会場の時期と写真の年代が重なる地点もあれば、会期の前の姿しか残っていない地点もあり、その違いが跡地の読み方を分けます。
6 つの会場と、会期に近い写真の年代
会場ごとに、開催の年と会期に近い写真の年代を並べました。
| 地点 | 博覧会 | 開催の年 | 会期に近い写真 | 中心の標高 |
|---|---|---|---|---|
| ポートアイランド | ポートピア'81 | 1981 年 | 1979〜83 年 | 4.6 m |
| みなとみらい | 横浜博覧会 | 1989 年 | 1987〜90 年 | 3.0 m |
| 百道浜 | アジア太平洋博覧会 よかトピア | 1989 年 | 1987〜90 年 | 1.9 m |
| 姫路駅北 キャスティ 21 | 姫路大博覧会 | 1966 年 | 1961〜69 年 | 10.8 m |
| 和歌山マリーナシティ | 世界リゾート博 | 1994 年 | 会期の写真なし 最後は 1984〜86 年 | 3.0 m |
| 台場 | 世界都市博覧会 中止 | 1995 年に中止を決定 | 1987〜90 年 | 5.8 m |
表を縦に読むと、会期そのものが写真の年代に収まるのはポートアイランド、みなとみらい、百道浜、手柄山の 4 か所です。和歌山マリーナシティは写真の年代が 1984〜86 年で止まり、博覧会の会場の姿はまだ写っていません。台場は 1987〜90 年の写真が会期の予定より前の造成の姿を伝えるだけで、博覧会の会場として使われた日はついに来ませんでした。
標高の列では、埋立地の 5 か所が中心で 1.9〜5.8 m に収まり、姫路駅北だけが 10.8 m です。姫路駅北の値は駅の北側で測ったもので、手柄山の高さではありません。
ポートピアの跡地 ポートアイランドの 1979〜83 年
神戸市の港の年表によれば、ポートピア'81 は島の完成を記念して 1981 年に開かれた博覧会です。ポートアイランド の 1979〜83 年の一枚はその年をはさみ、島の中央の線に囲まれた空き地に、色の付いた屋根の建物が小さくまとまっています。完成した街というより、会場の区画だけが先に整えられた姿で、1984〜86 年へ送ると同じ区画に背の高い建物が並びます。島の造成と沖への広がりは 大阪湾の埋立地をたどる記事 で扱っています。
横浜博覧会の跡地 みなとみらいの造成地と観覧車
横浜市の略年表によると、みなとみらい 21 事業への着手は 1983 年、横浜博覧会の会期は 1989 年 3 月 25 日から 10 月 1 日までで、会場はみなとみらい 21 地区でした。着手から 6 年後、街区のほとんどがまだ建物を持たない時期に、造成地そのものが会場として使われたことになります。
みなとみらい の写真は 1974〜78 年の次が 1987〜90 年です。間の十数年を飛び越えて送ると、造船所と貨物の線路が占めていた中央の一帯が、砂色の平たい造成地に変わっています。区画を分ける道路の線は引かれていても、その上に載るのは円い輪郭や点々と散らばる建物だけで、街の形より先に道の形が決まっていたことが読み取れます。上寄りの線路の束が細っているのも、この年代の写真の見どころです。
閉幕後も残ったものの代表が大観覧車です。よこはまコスモワールドによると、コスモクロック 21 は横浜博覧会のパビリオンとして生まれ、博覧会の終了後も存続が決まりました。その後、地区の開発に合わせて 1999 年 3 月に位置を移し、遊園地とともに場所を変えて動き続けています。会場のための設備が、跡地の開発に合わせて引っ越しながら街の目印になった例です。
会期の年と写真の年代が同じ 1987〜90 年に揃うのは、ここと百道浜の 2 か所です。1987〜90 年の一枚には、会場として整えられた直後の地面が、高層の建物が建ち並ぶ前の姿で残っています。そこから 2026 年時点の写真へ切り替えると、空いていた区画のほとんどが建物で埋まり、半径 500 m の市街地の割合も 1976 年の 10% から 2021 年の 81% へ広がりました。造船所のドックと貨物ヤードの時代から読みたい場合は、埋立地をたどる記事 が入口になります。
よかトピアの跡地 百道浜に残ったテーマ館
福岡市博物館の資料によると、よかトピアの名で親しまれたアジア太平洋博覧会は、1989 年にシーサイドももち地区で開かれた市制施行 100 周年の記念の博覧会です。会場となったシーサイドももち地区の埋立地でも、土地の完成と博覧会の開催がほぼ同じ時期に重なりました。
百道浜 の 1987〜90 年の一枚は、建物の少ない広い区画が会場に使われていた時期の地面を写しています。2026 年時点の写真へ切り替えると、同じ区画に福岡タワー、博物館、高層の集合住宅が入り、空いていた面がほぼ埋まっています。
跡地の使い道を決めた建物の一つが博物館です。福岡市博物館は 1990 年 10 月に開館した館で、開館に先立って 1989 年の博覧会ではテーマ館として使われました。博覧会で使われた建物が、閉幕の翌年には市の博物館として扉を開いたことになります。横浜の観覧車が場所を移して残ったのに対し、福岡では建物が同じ場所に残ったという違いがあります。
会場の区画は閉幕後、博物館やタワーのある文化と業務の一帯、南寄りの住宅の街区へと分かれていきました。百道浜の半径 500 m の市街地の割合は、1976 年の 0% から 2021 年の 31% へ広がりました。埋め立て前の浜の姿は、この記事では扱わず、百道浜 の地点ページの古い年代の写真に任せます。
姫路大博覧会の跡地 手柄山は画面の左下に入る
6 か所のうち、会場が埋立地でないのは姫路だけです。姫路市によると、1966 年に開かれた姫路大博覧会の会場は手柄山で、会場と姫路駅を結ぶ約 1.8 km の区間にモノレールが開通しました。モノレールは利用の低迷から 1974 年に休止し、1979 年に廃止されています。
姫路駅北 キャスティ 21 は駅の北側の貨物の構内跡を中心に据えた地点ですが、画面の左下に手柄山の丘がかかります。1961〜69 年の写真では、田畑の広がる駅の南の先で、丘に池と園地が造られているのが見えます。博覧会の開催年を含む年代の一枚で、会場として整えられた丘の輪郭をとらえていることになります。
1974〜78 年へ送ると、丘の緑のなかに陸上競技場の楕円が白く抜けて見えます。閉幕からおよそ 10 年後の一枚で、会場の丘は運動施設を抱える公園の姿になっています。丘の緑と池の輪郭は 2026 年時点の写真にも残っており、埋立地の会場跡が数年で建物に埋まったのとは対照的に、会場の地形そのものが半世紀以上残っています。
モノレールの名残も、施設として受け継がれました。姫路市によると、運行していたころに手柄山駅として使われた建物は、2011 年 4 月 29 日に手柄山交流ステーションとして開かれ、2 階がモノレール展示室になっています。博覧会のための交通が 8 年で休止し、駅舎が開業から 45 年後に展示の場へ変わったという時間の幅は、埋立地の会場跡にはない読みどころです。
世界リゾート博の跡地 和歌山マリーナシティは写真の後に生まれた
和歌山県の広報紙の年表では、1994 年に和歌山マリーナシティが完成し、世界リゾート博が 72 日間の会期で開かれています。ここでも土地の完成と博覧会が同じ年に重なりますが、ほかの会場と違うのは、会期に近い年代の写真が手元にないことです。
和歌山マリーナシティ で切り替えられる過去の写真は 1984〜86 年までで、どの年代にも会場の姿はありません。2026 年時点の写真へ飛ぶと、桟橋に並ぶ艇の列と南半分の広い舗装が現れます。会場として整えられた土地は、閉幕後に遊びと船を置く場として引き継がれ、マリーナの名が残りました。
開かれなかった世界都市博覧会と台場の 1987〜90 年
博覧会の会場跡を探す話のなかで、台場だけは跡地という言葉が当てはまりません。東京都の年表によると、臨海副都心で開く予定だった世界都市博覧会は 1995 年 5 月に中止が決まり、同じ年の 11 月にゆりかもめが開業しました。会場へ人を運ぶはずだった新交通が、博覧会のないまま走り始めたことになります。
台場 の写真は 1936〜42 年頃から 1987〜90 年まで 7 つの年代がそろいますが、どの年代にも博覧会の会場らしい区画の動きは見当たりません。13 号埋立地の裸地から橋の工事までの移り変わりは、地点ページで年代を送ると追えます。
ポートアイランドでは、会場のために整えた区画が閉幕後の街の骨組みになりました。台場では、その手順が途中で止まり、整えられた敷地は博覧会を経ずに別の用途を待つことになります。1987〜90 年から 2026 年時点の写真へ切り替えると、裸地だった面に建物と道路が載っています。博覧会という同じ出発点を持ちながら、開かれた会場と開かれなかった会場の両方を写真で比べられるのは、この 6 か所を並べたときの面白さです。
会場跡に残ったものは三つの型に分かれる
6 か所を閉幕後に何が残ったかで並べ直すと、跡地の受け継ぎ方はおおむね三つの型に分かれます。
| 地点 | 会場跡に残ったもの | 往復したい年代 |
|---|---|---|
| ポートアイランド | 会場の区画に背の高い建物が並ぶ | 1979〜83 年と 1984〜86 年 |
| みなとみらい | パビリオンだった大観覧車 1999 年に移設 | 1987〜90 年と 2026 年時点 |
| 百道浜 | テーマ館の建物が 1990 年 10 月に博物館として開館 | 1987〜90 年と 2026 年時点 |
| 姫路駅北 キャスティ 21 | 丘と池の輪郭 旧手柄山駅は 2011 年に交流ステーション | 1961〜69 年と 1974〜78 年 |
| 和歌山マリーナシティ | 遊びと船を置く場 | 1984〜86 年と 2026 年時点 |
| 台場 | 会場にならなかった敷地 | 1974〜78 年と 1987〜90 年 |
一つ目は、会場として整えた土地と区画がそのまま街に引き継がれる型で、ポートアイランドと和歌山マリーナシティがこれに当たります。ポートアイランドでは、博覧会の年ごろの写真で街区を囲んでいた線が、数年後の写真では建物の並ぶ街区の輪郭になっています。二つ目は、会場の建物がその場で別の役目を得る型です。福岡のテーマ館が博物館になり、姫路の駅舎がモノレール展示室を抱える施設になりました。三つ目は、設備が場所を移して生き残る型で、横浜の大観覧車がその例です。
三つの型のどれに当たるかによって、写真で探すべきものも変わります。区画が残る型では道路の線を、建物が残る型では会期と同じ年代の一枚にある建物の位置を、場所を移した型では会場の時期と 2026 年時点の両方を見比べる必要があります。台場は、会場の敷地が博覧会を経ないまま街になった型の外の例です。
写真の年代を送って会場跡を確かめる
どの会場跡も、起点は会期に最も近い年代の一枚で、そこから前後へ一つずつ送ります。ポートアイランド なら 1979〜83 年、みなとみらい と 百道浜 なら 1987〜90 年、姫路駅北 キャスティ 21 なら 1961〜69 年が起点になります。会場の時期の写真がない 和歌山マリーナシティ は 1984〜86 年と 2026 年時点の二枚を往復し、台場 は 1974〜78 年の裸地から 1987〜90 年の工事の姿までを順に追ってください。
博覧会の前に海や港の構内だった時代の姿は、埋立地をたどる記事 と 大阪湾の埋立地の記事 が詳しく扱っています。