昔は海だった街 埋立地を空中写真でたどる

公開日: 2026 年 8 月 11 日 / この記事は約 12 分で読めます

年代をさかのぼると海面だけが残る場所

古い空中写真を街に重ねたとき、道路も建物も見つからず、一面の海面や砂浜しか写らない場所があります。埋め立てで生まれた土地です。年代を送っていくと、ある世代で不意に、直線的な護岸に囲まれた区画が海の上に姿を見せます。地形をなぞって広がる自然の陸地と違い、埋立地の輪郭は定規で引いたような直線と直角でできています。この形の違いが、写真だけで埋立地を見分ける最初の手がかりになります。

輪郭のほかにも、写真から読める特徴があります。区画の内側では道路が碁盤目に走り、街区の大きさがそろっています。護岸の外側は航路や泊地として掘り下げられ、岸壁には荷役のクレーンや上屋が並びます。埋め立ては区画を沖へ足していく形で進むため、同じ島でも内陸側に住宅や商業施設、沖側に物流施設が集まる並びになりやすいのも共通点です。

埋め立ての土はどこから来たのか

海を陸に変えるには膨大な土砂が要ります。出どころは大きく三つに分かれます。第一は内陸の丘や山を削った土で、削った側にも造成地が残るため、一つの事業で二つの街が生まれます。第二は航路や泊地を掘り下げた浚渫土で、港を深くする工事と土地をつくる工事が同じ現場で進みます。第三は都市が出したごみや建設発生土です。土の出どころが違えば、埋め立てが完成する時期も、その上に置かれる施設の性格も変わってきます。

夢の島・新木場 は、三番目の例として知られる土地です。東京湾の 14 号埋立地はごみの最終処分場として埋め立てが進み、埋め立てを終えた土地には貯木場と木材関連の事業所、そして公園が置かれました。2026 年時点の新木場駅には JR 京葉線、東京メトロ有楽町線、りんかい線の 3 路線が乗り入れます。写真のきめ細かさは 17.8 から 45.2 へ増えています。

昭和のうちに輪郭が定まった東京湾と伊勢湾

豊洲 は、1936〜42 年頃の写真の時点で島の輪郭がほぼ定まっています。土地の主役は造船所で、1961〜69 年の写真にも石川島播磨重工業の大きなドックと工場の屋根が並びます。有楽町線豊洲駅の開業は 1988 年、造船所跡にららぽーと豊洲が開業したのは 2006 年で、敷地には造船所時代のドックが水辺の空間として残されています。2018 年には築地から卸売市場が移ってきました。1961〜69 年と 2026 年時点の画像を比べると、写真のきめ細かさは 16.8 から 40.7 へ増え、画素の明暗差の平均で見た変化の大きさは、掲載地点の中では大きい部類 (上位 2 割) です。

天王洲 も、1936〜42 年頃の写真で輪郭が定まっている埋立地です。運河に囲まれた倉庫と工場の土地でしたが、1992 年に東京モノレールの天王洲アイル駅、2001 年にりんかい線の駅が加わり、倉庫を改装した店舗やホール、事務所ビルが集まる一帯に変わりました。写真のきめ細かさは 19.6 から 38.3 へ増えています。運河の形が変わらないまま、その内側だけが入れ替わりました。

金城ふ頭 の写真は、埋め立てが一度で終わる工事ではないことを教えてくれます。1945〜50 年の名古屋港はまだ海面で、1961〜69 年にふ頭の輪郭が現れ、1974〜78 年、1979〜83 年、1987〜90 年と写真を送るごとに岸壁が沖へ伸びていきます。写真のきめ細かさは 13.2 から 38.7 へ変わりました。

幕末の砲台から放送局の街へ

台場 の名は、1853 年のペリー来航のあとに江戸湾へ築かれた品川台場に由来します。砲台として造られた人工の島のうち、第三台場は公園として、第六台場は手を加えない島として残りました。1936〜42 年頃の写真では、この一帯の大半がまだ海面です。臨海副都心としての姿が形になるのは平成に入ってからで、1993 年にレインボーブリッジ、1995 年に新橋と有明を結ぶ新交通の路線が開業し、1997 年にはテレビ局の本社が移ってきました。写真のきめ細かさは 10.6 から 32.7 へ増えています。

隣の 有明 は、1995 年の新交通の開業と 1996 年の東京ビッグサイトの開館で街の骨格ができました。中心の標高は 9.1 m で、埋立地としては高い側に入ります。写真のきめ細かさは 14.7 から 36.5 へ増え、画素の明暗差の平均で見た変化の大きさは、掲載地点の中では大きい部類 (上位 2 割) です。

造船所とヤードが街区に置き換わった横浜

みなとみらい の 1961〜69 年の写真に写るのは、三菱重工業横浜造船所のドック群と国鉄高島駅の貨物ヤードです。みなとみらい 21 事業の着工が 1983 年、横浜ランドマークタワーの開業が 1993 年、みなとみらい線の開業が 2004 年で、ドックの一つは広場として保存されました。埋め立てで足された土地と、もとからあった造船所の敷地が組み合わさっているため、まっさらな人工島とは写真の読み方が変わります。

造船所と鉄道用地がそのまま置き換わった土地なので、区画の形にも旧敷地の輪郭が残っています。写真のきめ細かさは 16.7 から 40.7 へ増え、中心の標高は 3.0 m です。造船所の時代の写真では、ドックの矩形と船体、クレーンの影が画面の中心を占めています。

山を削った土が海へ運ばれた神戸

ポートアイランド は 1945〜50 年の写真では海面です。神戸市は内陸の丘を削り、その土をベルトコンベアで海へ運んで島を築きました。1966 年に着工し、第 1 期は 1981 年に完成、同じ年にポートライナーが開業して博覧会が開かれ、2006 年には神戸空港が海上に加わります。土を供給した側の丘は 須磨ニュータウン (名谷) として造成され、削った土地と埋めた土地が一組で残りました。写真のきめ細かさは 8.3 から 42.3 へと、5 倍に伸びています。

六甲アイランド は、同じ手法で沖合に築かれた二つ目の人工島です。1945〜50 年の写真には海面しかなく、埋め立ては 1972 年に始まりました。1990 年に六甲ライナーが開業し、島の中央部には集合住宅と商業施設、外周部にはコンテナふ頭と物流施設が配されます。写真のきめ細かさは 13.4 から 42.3 へ増え、標高は 4.6〜5.9 m と島内でほぼそろった値が並びます。

神戸ハーバーランド は、市街地とじかに接する海際の土地です。1992 年に街びらきし、2001 年には市営地下鉄海岸線の駅が加わりました。中心の標高は 2.0 m、写真のきめ細かさは 17.9 から 47.3 へ増えています。人工島のように橋や新交通で渡る必要がなく、三宮や神戸駅の側から歩いて入れる埋立地という点で、同じ神戸の中でも性格が異なります。

空港と博覧会が引き寄せた大阪湾の陸地

りんくうタウン は 1984〜86 年の写真でもまだ海です。関西国際空港が 1994 年 9 月に開港し、対岸の埋立地には 1996 年のりんくうゲートタワービルなどが建ちました。空港という一つの施設の開港予定日に合わせて、対岸の街づくりまでが同じ時間軸で動いた例です。

コスモスクエア は 1928 年頃、1936〜42 年頃、1961〜69 年のいずれの写真にも陸地が写りません。咲洲の北西端にアジア太平洋トレードセンターが 1994 年、55 階建ての超高層ビル (2026 年時点の名称はさきしまコスモタワー) が 1995 年に完成しています。1961〜69 年と 2026 年時点の画素の明暗差の平均は、掲載地点の中では最も大きい値です。

同じ大阪南港でも、南港ポートタウン は住宅のための埋立地です。1928 年頃の写真にこの範囲の陸地はなく、1981 年に南港ポートタウン線が開業して、中層と高層の集合住宅、学校、公園が計画的に配置された街になりました。写真のきめ細かさは 8.8 から 48.4 へ増えました。

干潟と海水浴場だった海辺

海浜幕張 の 1945〜50 年の写真では、海岸線が内陸側の幕張町付近を走り、駅のある場所は海の上です。潮干狩りでにぎわう浅い浜が広がっていた一帯で、1970 年代の埋め立てを経て 1986 年に JR 京葉線海浜幕張駅、1989 年に幕張メッセが姿を見せます。写真のきめ細かさは 7.6 から 42.2 へ増えました。

千葉みなと も 1945〜50 年には登戸や新田町のあたりが波打ち際でした。千葉港の埋立地が写真に現れるのは 1961〜69 年、千葉ポートタワーの開館は 1986 年です。画素の明暗差の平均で見た変化の大きさは、掲載地点の中では大きい部類 (上位 2 割) です。

舞浜 は、1936〜42 年頃の写真では浦安の沖の海面です。埋め立てで生まれた土地に 1983 年に東京ディズニーランドが開園し、1988 年には JR 京葉線の舞浜駅が置かれました。写真のきめ細かさは 10.5 から 40.1 へ増えています。海側に大きな施設、内陸側に住宅という区画の分かれ方が、写真でもはっきり読み取れます。

百道浜 の砂浜は、福岡の人が泳ぎに来る場所でした。1961〜69 年の写真でも西新の北側は砂と海です。1989 年の博覧会に合わせて福岡タワーが完成し、地行浜には 1993 年に球場が建ちます。アイランドシティ の造成はさらに遅く、1987〜90 年の写真でも照葉のあたりは博多湾と和白干潟のままで、写真のきめ細かさは 3.9 から 28.9 へ上がりました。

最も古い一枚に何が写っているか

同じ埋立地でも、写真をさかのぼれる年代と、その一枚に写るものは地点ごとに違います。最も古い写真が海面だけなら埋め立てはその後の工事であり、すでに区画が写っていれば、その土地はさらに前の時代に生まれた埋立地だということになります。

埋立地でさかのぼれる最も古い写真と、そこに写るもの
地点所在最も古い写真その写真に見えるもの中心の標高
豊洲東京都1936〜42 年頃定まった島の輪郭2.4 m
台場東京都1936〜42 年頃大半が東京湾の海面5.8 m
舞浜千葉県1936〜42 年頃浦安の沖の海面2.6 m
海浜幕張千葉県1945〜50 年内陸を走る海岸線と浅い浜3.7 m
みなとみらい神奈川県1945〜50 年造船所のドックと貨物ヤード3.0 m
ポートアイランド兵庫県1945〜50 年神戸港の海面4.6 m
金城ふ頭愛知県1945〜50 年名古屋港の海面4.2 m
百道浜福岡県1945〜50 年砂浜と海1.9 m
南港ポートタウン大阪府1928 年頃大阪南港の海面4.1 m
コスモスクエア大阪府1928 年頃咲洲より前の海面4.3 m

街びらきと開業が続いた 1980 年代から 2000 年代

埋立地に街が生まれる決め手になったのは、鉄道や新交通の開業と、博覧会や大型施設の開設でした。土地が完成しただけでは人は移らず、駅ができた年を境に写真の様子が変わります。

埋立地に街が生まれた年
年出来事
1981ポートアイランド第 1 期が完成し、ポートライナーと南港ポートタウン線が開業
1983舞浜に東京ディズニーランドが開園し、みなとみらい 21 事業が着工
1986JR 京葉線海浜幕張駅が開業し、千葉ポートタワーが開館
1989幕張メッセと福岡タワーが完成
1993横浜ランドマークタワーとレインボーブリッジが開業
1994関西国際空港が開港し、咲洲にアジア太平洋トレードセンターが開業
2006神戸空港が開港し、豊洲の造船所跡にららぽーと豊洲が開業

地価の記録は同じ方向を向かなかった

埋立地の周辺の地価公示は、造成された時期と用途によって動き方が分かれます。豊洲に近い住宅地は 2012 年の 1 平方メートルあたり 42 万 9 千円から 2025 年の 100 万円へ上昇しました。地行浜の住宅地は 1999 年の 24 万円から 2011〜2012 年の 21 万 7 千円までゆるやかに下げたのち反転し、2025 年には 42 万 2 千円となっています。一方、みなとみらいに近い御所山町の住宅地は 1993 年の 43 万 5 千円から 2012 年の 24 万 9 千円まで下がり、2025 年は 32 万 3 千円です。りんくうタウンの内陸側の住宅地も 1999 年の 14 万 1 千円から 2014〜2015 年の 6 万 2,100 円へ下げ、2025 年は 6 万 9 千円でした。同じ埋立地でも、大都市の中心に隣接する土地と郊外の臨海部では、まったく違う線を描いています。

住宅以外の用途では、また別の動き方が見えます。ポートアイランドの事務所と倉庫の用地は 2015 年の 8 万 3 千円から 2025 年の 16 万円へ、南港の倉庫用地は 2013 年の 8 万 9 千円から 2025 年の 17 万 3 千円へと、いずれも 10 年ほどで倍近くになりました。物流施設の需要が湾岸の埋立地に集まったとされる時期と重なる動きです。新木場に近い辰巳の住宅地は 2013 年の 35 万 4 千円から 2025 年の 61 万 1 千円、千葉みなとに近い登戸の住宅地は 2013 年の 20 万円から 2025 年の 32 万 5 千円でした。

埋立地の周辺で記録された地価公示 (1 平方メートル当たり)
地点用途記録の始まり底になった年2025 年
舞浜住宅1993 年 51 万 2 千円2013〜2014 年 30 万 5 千円46 万 3 千円
みなとみらい住宅1993 年 43 万 5 千円2012 年 24 万 9 千円32 万 3 千円
百道浜住宅1999 年 24 万円2011〜2012 年 21 万 7 千円42 万 2 千円
りんくうタウン住宅1999 年 14 万 1 千円2014〜2015 年 6 万 2,100 円6 万 9 千円
海浜幕張住宅2009 年 16 万 6 千円2013 年 14 万 7 千円17 万 8 千円
アイランドシティ住宅2019 年 9 万 4,700 円2019 年 9 万 4,700 円13 万 8,000 円
六甲アイランド工場1993 年 25 万円2015 年 5 万 3,800 円9 万 4,500 円

標高と年代送りで確かめる

埋立地の標高は低くそろいます。豊洲の中心で 2.4 m、百道浜で 1.9 m、神戸ハーバーランドで 2.0 m、浮島・殿町 キングスカイフロント では 0.8 m、番の州 (坂出) で 2.7 m、水島臨海部 (倉敷) で 2.8 m です。一方、有明の 9.1 m のように、あとの時代に造られた埋立地では高い値も出ます。埋め立ての設計で求められた高さが時代とともに変わったことがうかがえる並びです。低地の水害などの想定は、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の公表資料がまとまっています。

写真の側では、陸地が現れる一枚がそれぞれの街の誕生の記録です。護岸だけができて内側が空白の年代、区画に道路が引かれた年代、建物が埋まった年代の三つを往復させると、その土地が何年かけて街になったのかが見えてきます。比較ページで、その一枚を探してみてください。

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