昔の名前をたどる 町名が変わった日の街
名前が付く前の土地には別の名前があった
みなとみらい の旧町名は緑町でした。洋光台 は笹下町・矢部野町・日野町・栗木町・峰町という五つの町に分かれ、流山おおたかの森 の駅前一帯は市野谷という字の、入台・牛飼沢・立野と呼ばれる場所でした。センター北 の周囲は牛久保町・大棚町・勝田町などの町名で覆われていました。2026 年時点の地図に並ぶ名前は、いずれも土地よりずっとあとから与えられたものです。
町名が入れ替わる日には、必ず手続きの記録が残ります。土地区画整理事業の換地処分や住居表示の実施に合わせて、自治体が字の区域と名称を変更する手続きを踏むためです。日付が分かれば、その前後で空中写真を挟むことができます。名前が付く前の写真に何が写り、その土地が標高何メートルなのか。新しい名前が土地の姿を言い当てている場所と、名前だけが先に飛んだ場所を、この二つの手がかりで見分けます。
名前が変わる日付には二つの型がある
町名の切り替わり方は、大きく二つに分かれます。ひとつは区画整理の完了に合わせる型です。事業区域の土地の割り当てが確定した公告の翌日から新しい町名と地番に移るため、日付が一日単位で特定できます。流山市は流山おおたかの森駅の周辺について、2019 年 5 月 10 日に換地処分の公告を行い、翌 5 月 11 日からおおたかの森北・東・南・西の各丁目を施行しました。
もうひとつは住居表示の実施に合わせる型で、造成や埋め立てが終わった区域に丁目を割り当てていきます。横浜市が磯子区の洋光台地区で住居表示を実施したのは 1970 年 4 月 1 日です。五つの旧町名にまたがっていた区域が洋光台一丁目から六丁目に整理され、団地の住所が一気に読みやすくなりました。どちらの型でも、切り替えの日付は自治体の公表資料に残ります。
造船所とヤードが名前ごと入れ替わった横浜
みなとみらい の名前は、街ができるより先に決まりました。計画と事業の名称が「みなとみらい 21」と決まったのは 1981 年 10 月です。この時点で区域の水際を占めていたのは、石造りのドックと国鉄高島駅の貨物ヤード、そして三菱重工業横浜造船所の建屋でした。造船所の移転が決まったのは 1980 年 3 月、移転が完了したのは 1983 年 3 月です。事業の着工は同年 11 月です。つまり 名称の決定が造船所の退去より早い という順序になっています。
住所としての「みなとみらい」が登場するのは、さらにあとです。横浜市が西区で住居表示を実施し、旧町名の緑町からみなとみらい一丁目から五丁目へ切り替えたのは 1989 年 10 月 2 日でした。2005 年 10 月 31 日には高島一丁目の一部がみなとみらい五丁目に加わっています。1945〜50 年、1961〜69 年、1974〜78 年の写真はいずれも「緑町の時代」の記録で、1987〜90 年の写真がちょうど町名の切り替わりをまたぎます。
みなとみらいの標高は中心で 3 m、四方を見ても 3.4 m から 4.5 m の範囲に収まります。海面を埋めて造った平らな土地なので、名前が示す「みなと」と地形がよく一致しています。地点ページに出る最寄りの地価公示地点は西区御所山町で、区域から 1 km ほど離れた住宅地です。1 平方メートルあたりの価格は 1993 年の 43 万 5 千円から 2012 年に 24 万 9 千円まで下がり、2026 年の公示では 33 万 6 千円でした。街の名前が定着していく時期と価格の動きは、必ずしも同じ向きを向いていません。
五つの町名が一つの丘の名にまとまった
洋光台 は、名前と地形の関係が少しねじれている場所です。「台」と付くとおり、この一帯は丘の上にあります。標高は駅を含む中心で 38.5 m、北で 49.7 m、南で 57.5 m、東で 47.1 m、西で 55.6 m です。中心の数字だけが四方より 10 m から 19 m 低くなっています。つまり丘のいちばん高いところではなく、丘を削って通した谷筋のような場所に駅と商店が置かれています。
町名としての洋光台が生まれたのは 1970 年 4 月 1 日です。それまでこの区域は笹下町・矢部野町・日野町・栗木町・峰町という五つの町にまたがっていました。丘を五つに分けていた古い区分が、団地の区画に合わせて一本化されたわけです。1945〜50 年の写真はその五町時代のもので、1961〜69 年の写真には造成の進みぐあいが写る世代が含まれます。1974〜78 年、1979〜83 年、1987〜90 年と送っていくと、住居表示のあとに街並みが埋まっていく過程を追えます。
洋光台の地価公示は記録の窓が短く、地点ページに出るのは 2022 年からの系列です。磯子区洋光台四丁目の住宅地で、1 平方メートルあたり 2022 年の 24 万 5 千円から 2026 年の 29 万 5 千円まで記録されています。町名が付いてから半世紀を経た区域について、2020 年代の数年ぶんだけが数字として残っている状態です。
区が生まれた日に町名も生まれた港北ニュータウン
センター北 の住所は、区の誕生と同じ日に決まりました。横浜市で港北区と緑区が再編されて青葉区と都筑区が新設されたのは 1994 年 11 月 6 日です。同じ日、港北ニュータウンの平成 6 年度地区で住居表示が実施され、牛久保東一丁目・二丁目や中川中央一丁目といった町名が生まれました。それまでこの区域を覆っていたのは牛久保町・大棚町・勝田町・北山田町・新吉田町・茅ケ崎町・中川町・東山田町・南山田町・荏田町という、いずれも「町」で終わる古い地名でした。
港北ニュータウンの住居表示は一度で終わっていません。横浜市の資料では 1989 年度から 1995 年度まで、年度ごとの地区に分けて実施されています。造成が終わった区画から順に住所を割り当てたため、同じニュータウンの中に町名の誕生日が何通りも並びました。名前の新しさが工事の進み方の記録になっている例です。
標高を見ると、センター北の中心は 23.7 m で、北が 35.4 m、東が 38.6 m、南が 22.7 m、西が 22.4 m です。東と北に 10 m 以上高い場所を控え、南西に向かってひらけた谷寄りの地形にセンター地区が置かれたことが読み取れます。1961〜69 年の写真はまだ牛久保町・大棚町の時代で、1974〜78 年、1979〜83 年、1984〜86 年と送ると造成の帯が広がり、1987〜90 年の写真は町名の誕生より前の最後の世代になります。牛久保東一丁目の住宅地の地価公示は、1 平方メートルあたり 2020 年の 34 万円から 2026 年の 43 万 3 千円まで記録されています。
仮の住所で暮らした街に町名が付いた日
流山おおたかの森 は、駅が先に開き、住所があとから追いついた街です。区画整理事業の途中は仮の区画番号で住所を書く必要があり、それが解けたのが 2019 年 5 月 11 日でした。流山市はこの日から、おおたかの森北一丁目から三丁目、東一丁目から四丁目、南一丁目から三丁目、西一丁目から四丁目を施行しています。駅を中心に東西南北で名前を分ける、迷いようのない付け方です。
旧字名の対照表を読むと、駅前の顔ぶれが見えてきます。おおたかの森南一丁目になった区域は市野谷の入台・牛飼沢・立野と西初石六丁目、北一丁目は十太夫と東初石・西初石の各丁目、東三丁目は駒木の中橋上・駒木橋上・堂台・中溜上でした。谷や沢、台という字が並ぶのは、そこが水の流れと段差で区切られた土地だったことの名残です。区画整理を経ても駒木は名前を変えずに残っています。
旧字名は地形の言葉でできています。標高を見ると、流山おおたかの森の中心は 18.2 m、四方は 17.1 m から 18 m で、差はわずか 1 m 前後です。下総台地の平らな面に区画を引いた土地なので、写真を送っても劇的な切土や盛土は目に入りません。1961〜69 年、1974〜78 年、1979〜83 年、1984〜86 年、1987〜90 年の写真はすべて市野谷や十太夫だった時代のもので、駅も区画もまだありません。おおたかの森南一丁目の地価公示は、1 平方メートルあたり 2020 年の 24 万 1 千円から 2026 年の 42 万 8 千円まで記録されています。町名の施行から数年のうちに記録が始まった、若い住所の若い系列です。
元号が地名になった大田区の島
平和島・大井ふ頭 の一帯には、島の名を持つ町名がいくつも並んでいます。平和島、昭和島、京浜島、城南島、そして令和島です。大田区は中央防波堤埋立地のうち区に編入された区域について、2020 年 6 月 1 日に町区域を新設し、令和島一丁目と二丁目の住居表示を実施しました。名前が土地の年齢をそのまま示しているのは、埋立地ならではの性質です。陸ができた順に名前が並ぶため、町名の一覧が造成の年表を兼ねてしまいます。
写真の世代は 1936〜42 年頃から 1987〜90 年まで七つそろっていますが、いちばん古い世代は像のある範囲が狭く、この地点の真上には写真そのものがありません。足元が水面だったと確かめられるのは 1945〜50 年からです。1961〜69 年の写真では水面にまっすぐな護岸線が引かれ、その内側に平らな裸地の帯が南へ続きます。1974〜78 年には倉庫の大屋根が整列し、右半分は区画線と道路だけが引かれた黄土色の裸地です。1979〜83 年になるとその裸地に草が生え、埋めた土地がすぐには使われないことが二つの世代の対比で分かります。
標高は中心で 3.8 m、北で 4.2 m、南で 4.1 m、西で 7.6 m です。東の値がないのは、その方向が運河の水面にあたるためです。南北にほとんど起伏がなく西だけが一段高い並びは、平らに造成した面の上に地点があることを示しています。最寄りの地価公示地点は運河を越えた本土側の大田区大森北で、1 平方メートルあたり 1991 年の 124 万円から 2012 年と 2013 年の 38 万 1 千円まで下がり、2026 年の公示は 59 万 4 千円でした。島の名を持つ町の価格ではなく、その対岸の住宅地の記録である点は読み分けが必要です。
旧名と新しい名前を一覧で挟む
町名の切り替わりを一覧にすると、写真をどの世代で挟めばよいかが一目で決まります。日付より前の世代が旧名の時代、あとの世代が新しい名前の時代です。
| 地点 | 旧名 | 新しい名前 | 施行日 |
|---|---|---|---|
| みなとみらい | 緑町 | みなとみらい一〜五丁目 | 1989 年 10 月 2 日 |
| 洋光台 | 笹下町・矢部野町・日野町・栗木町・峰町 | 洋光台一〜六丁目 | 1970 年 4 月 1 日 |
| センター北 | 牛久保町・大棚町・勝田町ほか | 牛久保東一〜二丁目・中川中央一丁目ほか | 1994 年 11 月 6 日 |
| 流山おおたかの森 | 市野谷・十太夫・駒木ほかの字 | おおたかの森北・東・南・西の各丁目 | 2019 年 5 月 11 日 |
四つを日付順に並べると、洋光台が 1970 年、みなとみらいが 1989 年、センター北が 1994 年、流山おおたかの森が 2019 年です。半世紀のあいだに一つずつ、丘の団地、港の再開発、ニュータウンのセンター地区、新線の駅前という順で新しい住所が生まれてきました。
標高で並べ替えると名前の言い分が見える
名前が土地の高さを言い当てているかは、標高を並べると判定できます。中心の標高と四方の標高の幅を横に置いてみます。
| 地点 | 中心の標高 | 四方の標高の幅 | 名前が指しているもの |
|---|---|---|---|
| 洋光台 | 38.5 m | 47.1〜57.5 m | 丘そのもの |
| センター北 | 23.7 m | 22.4〜38.6 m | 街の中心という役割 |
| 流山おおたかの森 | 18.2 m | 17.1〜18 m | 森と鳥 |
| みなとみらい | 3 m | 3.4〜4.5 m | 港と将来 |
| 平和島・大井ふ頭 | 3.8 m | 4.1〜7.6 m | 島と物流の拠点 |
洋光台は四方がすべて中心より高く、その差は 8.6 m から 19 m に及びます。「台」を名乗る土地の駅が、台のいちばん低い切れ目にあるという構図です。センター北も東と北に 10 m 以上高い場所を控え、南と西は中心とほぼ同じ高さです。流山おおたかの森は幅が 1 m あまりで、地形の起伏を名前に写す余地がありません。みなとみらいと平和島・大井ふ頭は 3 m 台から 4 m 台の平らな埋立地で、名前が地形ではなく用途を語っています。丘の名前は地形を、埋立地の名前は役割を指します。この対比が、名前の付き方の分かれ目です。
住所から消えた名前の行き先
町名が変わっても、古い名前がそのまま消えてしまうとはかぎりません。洋光台になった五つの町のうち笹下町と日野町は、隣の港南区側で別の住居表示に引き継がれました。横浜市が 1972 年 6 月 5 日に笹下北部地区で港南一丁目から六丁目と港南中央通を、1977 年 8 月 1 日に笹下地区で笹下一丁目から六丁目を施行しています。丘の北側では「洋光台」という新しい名前になり、南側では「笹下」が丁目付きの町名として残りました。同じ旧町名が、区境をまたいで別々の行き先をたどった例です。
港北ニュータウンでは、いったん姿を消した名前が戻ってきています。1994 年に牛久保東と中川中央が生まれたあと、1999 年 10 月 25 日の関耕地土地区画整理事業地区では、荏田町と中川町の区域から「あゆみが丘」と「牛久保町」が生まれました。古い町名が新しい町名として復活した形です。流山市の側でも、おおたかの森の四方位の町名が生まれた 2019 年の手続きで、駒木は名前を変えずに残されました。
住所以外にも旧名は残ります。自治会や町会の名称、小中学校の校名、バス停の名前です。地名の由来をめぐる伝承は土地ごとに語り継がれていますが、ここでは写真と標高で確かめられる範囲に話をとどめます。
名前の前を写真で確かめる
名前が付いた日付を押さえてから写真を送ると、街の見え方が変わります。みなとみらい は 1989 年 10 月 2 日より前の三つの世代が緑町の時代で、ドックと貨物ヤードの輪郭がそこに写ります。洋光台 は 1970 年 4 月 1 日より前の 1945〜50 年と 1961〜69 年が五町時代で、丘が削られていく段階を挟めます。センター北 と 流山おおたかの森 は過去の写真がすべて旧名の時代のもので、名前が付いたあとの姿は最新の写真との比較で確かめる形になります。
地点ページでは年代を選んで写真を切り替えられます。標高の断面と地価公示の系列も同じページにまとまっているので、名前が付く前の地形と、名前が付いたあとの記録を続けて追えます。街と駅の生まれた順序をたどるなら 新駅と街が同時に生まれた場所を空中写真で見る が、東京湾側の埋立地をまとめて見るなら 東京湾岸 60 年 埋立の目的の移り変わり が、年代の送り方そのものを確かめるなら 空中写真の年代ガイド 1928 年から 1990 年 が続きになります。旧町名をひとつ覚えて写真を開くと、そこはもう名前のない土地ではなくなります。
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