東京湾岸 60 年 埋立の目的の移り変わり
東京湾の湾岸を年代別の空中写真で古い順に送っていくと、陸地が沖へ広がっていく順序が見えてきます。ただし、新しく作られた土地の使われ方は時代ごとにまるで違います。江戸の防備のために築かれた台場から、貯木場、ごみの最終処分場、物流の拠点、展示場、そして研究開発の街区まで。カコマップに載せた湾岸の地点を、埋立の目的という軸で並べ直してみます。
江戸の防備が海上に残る台場
台場 の一帯は、1853 年のペリー来航を受けて江戸湾に築かれた品川台場が出発点です。築かれた台場のうち第三台場と第六台場は取り壊されずに残り (第六台場は 2026 年時点も海上に孤立したまま)、周囲の埋立地とともに写真に写ります。1961〜1969 年の写真では埠頭と倉庫が主で、街としての姿が整うのは 1993 年のレインボーブリッジ開通、1995 年のゆりかもめ開業、1996 年のフジテレビ本社屋の完成を経てからです。写真のきめ細かさを示す値は 10.6 から 32.7 へ増えました。標高は中心で 5.8 m ですが、南と東の測定点はいずれもマイナスの値です。台場が水面に囲まれた位置にあることが、数値の側からも読み取れます。
貯木場とごみの島だった新木場
夢の島・新木場 は、湾岸の埋立が都市の裏方を担った時代の土地です。夢の島と呼ばれる 14 号埋立地はごみの最終処分場として使われ、隣の新木場には深川の木場にあった貯木場が移されました。1936〜1942 年頃の写真では一帯はまだ海面で、陸地が現れるのは戦後の世代の写真からです。標高は中心 5.2 m で、4 方位の測定点も 4.7 m から 5.6 m の範囲にそろい、高さを整えて造成した埋立地の断面が出ます。近くの辰巳 1 丁目の住宅地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2013 年の 35 万 4 千円から 2025 年の 61 万 1 千円へ上がりました。
物流のために整えられた大井ふ頭
平和島・大井ふ頭 (流通センター) は、埋立の目的が物流に振り向けられた区域です。1961〜1969 年の写真には造成の途上が写り、その後の写真では東京流通センターの建物や倉庫、コンテナふ頭が画面を埋めます。写真のきめ細かさは 11.7 から 41.4 へ増え、明暗差の平均は 28 です。この一帯で目を引くのは公示価格の系列で、近くの大森北 3 丁目の住宅地は 1 平方メートルあたり 1991 年の 124 万円から 2012 年の 38 万 1 千円まで下がり、2025 年は 54 万 9 千円です。上がり続けた土地だけが湾岸ではないことが分かります。
展示場と大会の会場になった有明
有明 の変化は数値の上でも大きく、1961〜1969 年と 2026 年時点の画像の明暗差の平均は 34.2 です。1995 年にゆりかもめの新橋から有明までが開業し、1996 年には東京ビッグサイトが開業しました。2021 年に開催された東京 2020 大会でも、この一帯に複数の会場が置かれています。店舗・事務所・倉庫の用地の公示価格は、1 平方メートルあたり 2007 年の 105 万円、2008 年の 120 万円から 2013 年の 92 万 8 千円へ下げ、2025 年は 134 万円です。標高は中心 9.1 m で、西側の測定点の 4.5 m との差が大きく、湾岸の埋立地の中では高い値です。
工場と車両基地の跡に載った街
新しく海を埋めるのではなく、すでに陸だった産業用地を入れ替えた区域もあります。豊洲 は 1936〜1942 年頃の写真の時点で島の輪郭が定まっていて、長く造船所の敷地でした。2018 年には築地から市場が移り、豊洲市場が開場しています。標高は中心 2.4 m に対して、西側の測定点が 5.4 m です。高輪ゲートウェイシティ は湾岸のいちばん内側にあたり、1936〜1942 年頃から 1984〜1986 年の写真まで、画面の大半が車両基地の線路で占められます。基地の縮小で空いた土地に山手線の駅が置かれたのは 2020 年 3 月でした。
研究開発に振り向けられた殿町
浮島・殿町 キングスカイフロント は、多摩川の河口にある川崎市の区域です。臨海の工場地帯だった土地が研究開発の拠点へ切り替えられ、2022 年には羽田空港の側と結ぶ多摩川スカイブリッジが開通しました。明暗差の平均は 16.5 で、この記事で取り上げた地点の中では小さい値です。建物のある画面が別の建物の画面に入れ替わる変化は、海が陸になる変化ほど数値には出ません。標高は中心 0.8 m、4 方位も 0.9 m から 1.7 m で、取り上げた地点の中で最も低くそろっています。
湾岸の 60 年をどう読むか
台場の防備、新木場の貯木とごみの処理、大井ふ頭の物流、有明の展示、豊洲と高輪ゲートウェイシティの跡地利用、殿町の研究開発。年代別の空中写真を古い順にたどれば、東京湾岸は埋立という同じ手順を繰り返しながら、そのつど別の目的に土地を割り当ててきたことがわかります。街の性格を決めているのは、沖へ出た年代と、その時代に求められた用途です。
掲載している標高は地表面の測定値であり、水害や地震の想定を示すものではありません。土地ごとの災害の想定は、国土交通省のハザードマップポータルサイトから各自治体の公表資料を参照してください。
本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。