名古屋で昔は海だった場所 金城ふ頭と名古屋港の昔の写真

公開日: 2026 年 10 月 11 日 / この記事は約 9 分で読めます

名古屋で昔は海だった場所は、沖から順に陸になりました

名古屋で昔は海だった場所をひとつ挙げるなら、港区の沖に五角形に張り出した 金城ふ頭 がいちばん分かりやすい例です。1945〜50 年の空中写真では、ふ頭が載るはずの位置は画面のほとんどを占める水面で、陸は上の端にわずかに写るだけです。1961〜69 年には潮の引いた干潟になり、1974〜78 年に初めて五角形の平地が現れます。海から陸への切り替わりが、写真の 3 世代のあいだにすっぽり収まっています。

名古屋港を管理する名古屋港管理組合は、1907 年の開港から、熱田の浜を起点に埋立を繰り返して水際線を南へ移してきた港だと紹介しています。写真に写る港のまっすぐな岸は、その埋立が積み重なった跡です。そのなかで写真から読み取りやすいのは、荷を置くために足された岸が、のちに人の集まる場所へ替わっていった順序です。沖の金城ふ頭、その北の 名古屋港 ガーデンふ頭、そして港から運河でつながる都心側の ささしまライブ の 3 か所を、この順に見ていきます。

1945〜50 年の金城ふ頭 砂の模様が透ける浅い海

いちばん古い 1945〜50 年の写真で金城ふ頭の位置を開くと、格子の街路を持つ陸は画面の上の端に少しあるだけで、護岸の線から南は一面の水です。右手の水面に淡い渦のような明るい斑があり、底の砂が上から見えるほど浅い海だったことがまず分かります。

伊勢湾の奥は、北から流れ込む川が長い時間をかけて土砂を運んだ海で、沖へ出ても水深がなかなか増しません。大きな船を通す航路は掘り下げ続けなければ保てず、掘り上げた土の置き場も要ります。掘る側と積む側が同じ海にあったことが、名古屋港の陸を沖へ押し出してきました。

1961〜69 年の一枚では、同じ位置が干潟に替わり、明るい砂の面を暗い水路が枝のように分かれて沖へ細っていきます。東側の暗い水面には白い船の影が斜めにいくつも並び、すでに港として働いている水面と、まだ陸になっていない浅い海が隣り合っています。

干潟が五角形の陸になり、岸壁に車両が並ぶまで

五角形の平地が干潟の位置に現れるのは 1974〜78 年です。内側はまだ黄土色の裸地に区画線を引いただけですが、街区を分ける道路は先に通り、西の縁に細長い上屋が斜めに並び、その外の岸壁には四角い荷が積まれています。建物が埋まるより先に、荷を置く場所として使われ始めた陸です。東の水面には、干潟の枝分かれの模様がまだ見えています。

1979〜83 年には五角形の内側がほぼ舗装で埋まり、西の岸壁に小さな粒が前の年代とは比べものにならない数で整然と並びます。粒は船積みを待つ車両とみられ、完成した自動車を送り出す港としての顔がうかがえます。南東の一区画だけが土の色を残し、造成の最後に回った場所を示しています。

1987〜90 年には、左から水面をまっすぐ渡ってくる高架の道が五角形の西の縁に取り付きます。陸は南へ広がり、道は西から届いたので、土地の広がりと交通の届き方が別の向きから進んだことが年代送りで見えてきます。

荷を置く街区に、人を集める建物が入りました

2026 年時点の写真では、五角形の南半分の様子が大きく替わっています。白い大きな屋根の展示施設や箱型の建物、色の派手な小さな構造物が集まる区画が並び、荷を置いていた街区の一部が人を集める場所になりました。それでも港の働きが消えたわけではなく、西の縁と南の突堤には車両の列と上屋が残っています。南半分に人の集まる区画、西の縁と南の突堤に荷の岸と、両方が同じ五角形に収まっているのが金城ふ頭の特徴です。

人を運ぶ手段が届いたのは、陸ができてからずいぶん後のことです。名古屋臨海高速鉄道によると、愛称あおなみ線で知られる西名古屋港線は 1950 年に貨物線として営業を始め、旅客の路線としての開業は 2004 年 10 月です。1974〜78 年の写真で五角形が現れてから、終点の金城ふ頭駅に旅客の列車が入るまでに、およそ 30 年がかかった計算になります。貨物のための線路が、人を港へ運ぶ線路に替わったわけです。

この路線を名古屋駅まで戻った一つ手前に、3 か所目のささしまライブがあります。

ガーデンふ頭 突堤の隙間を埋めた岸

金城ふ頭から北へ戻ったガーデンふ頭は、1945〜50 年の写真の時点ですでに陸の側にあり、上屋を載せた細い突堤が櫛の歯のように海へ突き出していました。金城ふ頭が干潟を陸にして沖へ足したのに対し、ガーデンふ頭は突堤の隙間を埋めて内側で面を広げた岸です。上屋の列から人の集まる岸へ替わっていく年代ごとの姿は 港の昔の写真と岸の入れ替わり で追っています。

運河の行き止まりの四角い水面は、70 年以上同じ位置にあります

名古屋駅のすぐ南に広がる一帯が、ささしまライブの地点です。ここは海だった場所ではありません。1945〜50 年の写真の時点で、名古屋駅から南へ扇形に開く線路の束が画面を占め、周りは細かな区画の市街で埋まっています。それでも港とのつながりははっきり写っていて、構内の南の端で水面が四角く行き止まり、そこから南西へ水路が延びています。港から運河をさかのぼってきた船が、貨車へ荷を渡すための結び目です。

1987〜90 年の写真で線路の光る筋はほとんど消え、構内は茶色の更地になります。2026 年時点の写真では、扇の内側に大きな建物の塊が並び、線路は南西へ抜ける細い束だけになりました。そのなかで、行き止まりの水面だけは四角い輪郭のまま街区のあいだに残っています。1945〜50 年から 2026 年まで位置を変えていないものは、この地点では水面のほうでした。貨物の駅の跡が街に替わった他の都市の例は 操車場の跡 で並べています。

標高の値を見ると、この地点の性格がもう一つ見えてきます。中心の計測点こそ 5.7 m ですが、北は 1.5 m、南は 1.3 m、東は 2.0 m、西は 1.0 m で、四方はいずれも 2 m 以下です。港から運河をさかのぼった奥の低い土地に、荷の結び目が置かれていたことになります。

標高の並び 中心の値と四方の幅

四方の計測点の幅で比べると、沖の金城ふ頭は 4.1〜6.2 m、1945〜50 年の時点ですでに岸だったガーデンふ頭は 2.1〜3.8 m で、金城ふ頭のほうが高い位置に並びます。ガーデンふ頭の中心の 1.8 m は四方のどの値よりも低いので、中心どうしで比べると差が実際より大きく見えます。また 1974〜78 年に現れた新しい陸でも、四日市 霞ヶ浦地区の四方は 2.4〜3.2 m で金城ふ頭より低く、陸になった時期だけで高さの順は決まりません。

中心の標高と四方の計測点の幅
地点中心四方の幅写真をたどれる最も古い年代
金城ふ頭4.2 m4.1〜6.2 m1945〜50 年
名古屋港 ガーデンふ頭1.8 m2.1〜3.8 m1945〜50 年
ささしまライブ5.7 m1.0〜2.0 m1945〜50 年
四日市 霞ヶ浦地区3.6 m2.4〜3.2 m1961〜69 年
高蔵寺ニュータウン91.5 m81.3〜100.4 m1961〜69 年
三好丘 (三好ヶ丘ニュータウン)74.9 m75.8〜90.7 m1961〜69 年

数字の高低は土地の成り立ちを映していますが、水につかる想定まではこの表から読めません。それぞれの場所の想定は、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の公表資料がまとまっています。

地価公示の記録 ふ頭の上ではなく内陸の点

土地の値の記録は、どれもふ頭や構内の上ではなく、少し離れた内陸で測られています。金城ふ頭の記録は約 2.1 km 離れた空見町の事務所と工場の用途の地点、ささしまライブは約 600 m 離れた深川町の住宅地です。ガーデンふ頭の背後の記録は 港の昔の写真と岸の入れ替わり で並べています。

地価公示の記録 (1 平方メートルあたり・2026 年 10 月時点で参照できる 2026 年公示まで)
地点記録の始まり途中の山と谷2026 年
金城ふ頭1985 年 5 万円1991 年 7 万 4,500 円 / 2006 年 3 万 3,400 円5 万 2 千円
ささしまライブ1983 年 16 万 1 千円1991 年 34 万 7 千円 / 2005 年 14 万 9 千円22 万 5 千円
四日市 霞ヶ浦地区1993 年 5 万 1 千円2018・2019・2021・2022 年 2 万 2,600 円2 万 5,100 円

記録の始まりと 2026 年を比べると、ささしまライブの地点は 1.4 倍ほどに、金城ふ頭の地点は始まりの 5 万円をわずかに上回る水準にあります。

伊勢湾の西岸の比較 四日市の五角形は同じ年代に現れました

名古屋市の外になりますが、伊勢湾の西岸の比較として三重県の 四日市 霞ヶ浦地区 を並べます。こちらも 1961〜69 年の写真では画面のほとんどが灰色の水面で、陸は左上の隅と左端の細い縁だけです。島も区画も道もまだありません。そして 1974〜78 年に、同じように大きな五角形の陸が画面の中央に現れます。湾の両岸で、浅い海を角張った形に切り取って陸にする作業が、写真の同じ世代のうちに進んでいたことになります。

違いが出るのは次の 1979〜83 年です。金城ふ頭では岸壁に車両の列が整然と並びましたが、霞ヶ浦地区では造成を終えて格子の道路で区切られた街区の中身が、草の生えかけた裸地のまま広く残っています。1987〜90 年になっても中央から南には草地と裸地のまだらが目立ち、空いていた区画がほぼ埋まるのは 2026 年時点の写真です。同じ年代に生まれた陸でも、荷を置く場所として使われ始めるまでの速さには大きな差がありました。

対照の丘 高蔵寺と三好丘の標高

春日井市の 高蔵寺ニュータウン は中心の標高が 91.5 m、みよし市の 三好丘 (三好ヶ丘ニュータウン) は 74.9 m で、土を足して平らな面をつくった港とは逆に、起伏を削って面をつくった土地です。丘の街の造成の読み方は 台地と丘陵のニュータウン に譲ります。

年代の切り替えは金城ふ頭の干潟から

名古屋の昔の海を写真で確かめるなら、最初に金城ふ頭を開き、1961〜69 年の干潟と 1974〜78 年の五角形を行き来するのがいちばん早い方法です。海が陸に替わる瞬間が、隣り合う 2 つの年代に収まっています。次にガーデンふ頭へ移り、1945〜50 年の櫛の歯の突堤と 1979〜83 年の埋まった隙間を見比べると、同じ港でも陸の足し方が違うことが分かります。最後にささしまライブで、1945〜50 年と 2026 年時点の写真を切り替え、運河の行き止まりの水面がどこにあるかを探してみてください。荷が海から運河をさかのぼって届いた最も奥の場所が、そこです。

沖の新しい陸、港の古い岸、都心の南の跡地と 3 か所を続けて見ると、荷のための土地が人の集まる土地に替わる動きが、場所ごとに違う年代で起きていたことも見えてきます。全国の埋立地は 海を埋め立ててできた街 で並べています。

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