台地の街と丘陵の街 ニュータウンはなぜ丘の上か
丘の上のニュータウン、その丘は二種類ある
ニュータウンの造成期の空中写真には、削られた斜面や、木を伐ったばかりの広い平場が写ります。そこから「ニュータウンはなぜ丘の上にあるのか」という問いが出てくるのですが、標高の数値を横に並べてみると、答えは一つではありません。丘の上と呼ばれてきた土地は、高さの帯がまったく違う二つの群れに分かれます。
関西と中部で丘陵と呼ばれる土地に置かれた街は、中心の標高が 千里中央 の 66.6 m から 南大沢 の 115 m までの帯に入ります。いっぽう関東の台地に置かれた街は、千葉ニュータウン中央 の 16.8 m から 常盤平団地 の 26.8 m までで、二つの帯は一つも重なりません。同じ「丘の上」という言葉で語られていても、それぞれの帯の上端を比べれば 115 m と 26.8 m で、4 倍以上の開きがあります。
この記事では後者、つまり関東の台地に置かれた 6 か所を軸に据えます。数値の上では低いのに、なぜそこが「丘の上」に見えるのか。中心と四方の測定値を並べ、空中写真の年代を送ると、台地という土地の性格が数字と画像の両方から出てきます。
関東の 6 地点は 20 m 前後にそろう
まず高さそのものを見ます。千葉県から茨城県にまたがる 6 か所は、中心の標高が 16.8 m から 26.8 m の 10 m の幅に収まります。四方の測定点まで含めても、下端の 7.6 m を除けばすべて 13.9 m 以上 28.3 m 以下です。
| 地点 | 中心 | 四方で最も低い点 | 四方で最も高い点 |
|---|---|---|---|
| 千葉ニュータウン中央 | 16.8 m | 22.7 m (北) | 24.9 m (西) |
| 流山おおたかの森 | 18.2 m | 17.1 m (南) | 18 m (西) |
| 竜ヶ崎ニュータウン | 18.5 m | 7.6 m (南) | 19.9 m (北) |
| 筑波研究学園都市 | 23.8 m | 23.6 m (東) | 26.5 m (北・西) |
| ユーカリが丘 | 25.2 m | 19.4 m (東) | 27.4 m (南・西) |
| 常盤平団地 | 26.8 m | 23.2 m (南) | 28.3 m (北) |
この 20 m 前後という帯は、自治体の説明ともよく合います。千葉ニュータウン中央のある印西市は、市の概要で市域を「標高 20 から 30 メートル程度の下総台地といわれる平坦な台地」と沼や川ぞいの低地から成る、と説明しています。高さを稼ぐための丘ではなく、平らな面がまとまって残っていた土地だったことになります。
中心と四方の 5 点で、面の平らさを測る
高さの次に効いてくるのは、平らさです。地点ページには中心のほかに東西南北の測定値があるので、あわせて 5 点の値の幅を取ると、その街が乗っている面がどれだけ水平かが一つの数字になります。断面の全体を見る高低差とは別で、街の中心から見て至近の 4 方向だけを見る、粗いけれど比べやすい指標です。
| 地点 | 乗っている地形 | 5 点の幅 |
|---|---|---|
| 流山おおたかの森 | 台地 | 1.1 m |
| 筑波研究学園都市 | 台地 | 2.9 m |
| 常盤平団地 | 台地 | 5.1 m |
| ユーカリが丘 | 台地 | 8.0 m |
| 千葉ニュータウン中央 | 台地 | 8.1 m |
| 竜ヶ崎ニュータウン | 台地 | 12.3 m |
| 千里中央 | 丘陵 | 6.8 m |
| 南大沢 | 丘陵 | 12.3 m |
| 泉ヶ丘 | 丘陵 | 13.1 m |
| 高蔵寺ニュータウン | 丘陵 | 19.1 m |
| 高島平団地 | 低地 | 1.0 m |
| 武里団地 | 低地 | 1.2 m |
台地の 6 か所のうち 2 か所は 3 m 以下で、流山おおたかの森の 1.1 m は低地の 2 か所と同じ桁です。丘陵の 4 か所は 6.8 m から 19.1 m で、下端の千里中央を除けば 12 m を超えます。ただし表の並びを見ると、台地と丘陵は途中で入り混じります。竜ヶ崎ニュータウンの 12.3 m は南大沢とまったく同じ値で、台地の上でも場所を選べば丘陵と同じだけ振れるのです。地形の分類名が平らさを決めるのではなく、面のどこに乗ったかが決めています。
谷津に乗った中心と、面に乗った中心
千葉ニュータウン中央の数値は、この 6 か所のなかで並び方が逆です。中心が 16.8 m しかないのに、北 22.7 m、南 23.2 m、東 23.8 m、西 24.9 m と四方はすべて 22 m を超えます。中心だけが窪地に乗り、まわりを平らな面が囲んでいる形です。
印西市の説明にある「谷津といわれる谷に切り込まれ」という一節が、この数値の説明になっています。下総台地の面は、沼や川へつながる細い谷に枝のように刻まれていて、地点の中心はその谷筋にあたります。1961〜69 年の空中写真を見ると、台地の面には四角い畑がまとまり、谷は濃い樹林で縁を取られながら枝分かれして下っていきます。街路が引かれたあとの写真では谷の形は隠れますが、標高の数値には残っています。
ユーカリが丘も同じ読み方ができます。中心 25.2 m に対して南と西は 27.4 m でそろうのに、東だけが 19.4 m まで落ちます。片側だけが低い、台地の縁に近い並びです。反対に筑波研究学園都市は中心 23.8 m、四方が 23.6 m から 26.5 m と、5 点が 3 m の幅に収まります。谷にも縁にもかからない、面のただ中に置かれた街の数値です。
台地の縁は数値で見つかる
6 か所のなかで幅がいちばん広い竜ヶ崎ニュータウンは、縁に乗った例です。中心 18.5 m に対して北は 19.9 m、東は 18.6 m とほぼそろうのに、南だけが 7.6 m まで落ち、西も 13.9 m にとどまります。南へ 10 m 余り下る段差が、水田の広がる低地との境にあたります。
この段差は空中写真でもそのまま見えます。画面を上下に切ると、上半分は樹林と畑が細かく入り組んだ台地の面、下半分はまっすぐな畦で短冊状に割られた水田で、境目が北西から南東へ斜めに走ります。1961〜69 年の一枚と 2026 年時点の写真を往復させると、上半分だけが街に変わり、下半分の畦の形はほとんど動いていません。数値の段差と画像の境目は同じ線を指しています。
台地の縁は、街の側から見れば端です。竜ヶ崎ニュータウンの街区は北と東の面に載り、南の低い側には入っていきません。標高の値が四方でそろわない地点を見つけたら、その低い方位に何があるかを空中写真で確かめます。これが台地の街を読むときのいちばん手早い手順です。
平らで、水田ではない土地を探した結果
なぜ関東では台地、関西では丘陵に街が置かれたのか。大都市圏で住宅用地がまとまって必要になった 1960 年代から 1970 年代に、平らで広い面のうち水田として使われていない土地は、台地や丘陵の上に残っていました。関東平野の低地は早くから水田に開かれていて、簡単には置き換えられません。地形の高さが選ばれたのではなく、使われ方の隙間が選ばれた、という順序です。
印西市の説明でも、低地は河川が運んだ土砂の積もった土地として台地と別に扱われています。空中写真の側にも同じ差が出ます。千葉ニュータウン中央の 1961〜69 年の画面では、台地の面に四角く区切られた畑が淡い灰色にまとまり、谷の底だけに細長い明るい区画が並びます。水田は谷の底の細い帯に限られ、面の大半は畑と林です。
この使われ方の差は、造成の工程の写り方にもつながります。1974〜78 年の写真で先に現れるのは家ではなく区画で、1984〜86 年には一面の黄土色の裸地を鉄道の帯が横切り、その途中に細長い屋根がひとつ乗るだけの状態が写ります。駅と区画のほうが早くでき、建物はあとから面を埋めていきました。台地のニュータウンで繰り返されたのは、この順序です。
丘陵のニュータウンと並べてみる
丘陵の側も、数値と写真の対応は同じように読めます。千里中央は中心 66.6 m、泉ヶ丘は 71.5 m、高蔵寺ニュータウンは 91.5 m、南大沢は 115 m で、街ごとに高さの帯が違います。5 点の幅は千里中央の 6.8 m から高蔵寺ニュータウンの 19.1 m までで、台地の 6 か所より上振れします。尾根と谷を段に組み替える工事の跡が、街区の高さの差として残っているためです。
振れの小さい地点が集まるのは台地の側です。谷にかからない場所を選べば 5 点が 3 m の幅に収まりますが、丘陵の 4 か所はすべて 6 m を超えます。いっぽう丘陵の街には、台地の街には見られない眺望と段差の景観が生まれます。どちらが良いという話ではなく、工事の性質が街の骨格に出るという話です。
丘陵側の造成の進み方や街びらきの年代は 山を削って生まれた街 と 三大ニュータウンの 60 年 で扱っています。この記事はそちらへ譲り、台地の側の読み方に戻ります。
低地の団地と、平らさで並ぶ
面の平らさだけを見ると、台地の街は思わぬ相手と並びます。荒川ぞいの 高島平団地 は 5 点の幅が 1.0 m、武里団地 は 1.2 m で、台地の上の流山おおたかの森の 1.1 m とほとんど変わりません。違うのは高さの帯だけで、低地の 2 か所は中心が 3.4 m と 5.2 m、台地の 6 か所は 16.8 m 以上と、範囲が重なりません。平らな面が欲しいという条件は低地でも満たせたので、選択を分けたのは平らさではなく、その面が何に使われていたかです。前身が水田だった団地の成り立ちは 東洋一と呼ばれた団地を空中写真でたどる で追えます。
空中写真で台地を見分ける三つの手がかり
標高の数値を見る前に、写真だけで台地を見分けることもできます。手がかりは三つです。
| 手がかり | 空中写真での見え方 |
|---|---|
| 台地を刻む谷 | 濃い樹林の縁が細かく入り組み、その底だけが細長い明るい区画になる |
| 面の使われ方 | 台地の上は四角い畑と林、低地は畦でまっすぐ短冊に割られた水田 |
| 道の走り方 | 造成前の道は谷の線をなぞって折れ、造成後は格子や曲線の街区に変わる |
三つ目がとくに効きます。台地の上の集落は平らな面の中央ではなく谷ぞいの道に寄って並ぶので、1961〜69 年の写真では家並みが谷を下る向きに一列につながって見えます。造成後の写真ではその列が消え、格子や環状の街区が面を覆います。両方の年代を往復させると、街路の下に隠れた谷の位置が推定できます。
年代の並びの点でも、この 6 か所は比べやすい組み合わせです。6 か所すべてが 1961〜69 年、1974〜78 年、1979〜83 年、1984〜86 年、1987〜90 年の 5 つの年代を持ち、同じ時間の刻みで横に並べられます。丘陵側では千里中央だけが 1936〜42 年頃と 1945〜50 年までさかのぼれ、高蔵寺ニュータウンでは 1984〜86 年が抜けます。同じ 5 世代がそろうのは、台地の 6 か所を横比較する材料としてそのまま使えるということです。
標高と写真を自分で並べてみる
台地の街を読む手順は、三段でまとまります。中心と四方の 5 点を見て幅を取り、幅が広ければどの方位が低いかを確かめ、その方位を 1961〜69 年の写真で見にいきます。低い側に谷の樹林が写っていれば谷津、水田が広がっていれば台地の縁です。
高さの並べ替えや街ごとの断面は 標高くらべ 低い街と高い街を地形から読む に、駅と街ができた順序は 新駅と街が同時に生まれた場所を空中写真で見る にまとめてあります。この記事で取り上げた 6 か所は、いずれも地点ページで年代を送りながら標高の値と見比べられます。想定される浸水の範囲や土砂災害の警戒区域は、国土交通省のハザードマップポータルサイトから各自治体の公表資料をたどれます。