多摩川に沿って標高を読む 殿町 川崎 武蔵小杉 二子玉川
河口から上流へ 高さは 12 m 上がる
多摩川の下流部に並ぶ四つの地点を河口の側から順に開くと、地点の中心の標高が 0.8 m、2.8 m、8.3 m、12.9 m と段を追って上がります。河口部の 浮島・殿町 キングスカイフロント が 0.8 m、東海道の宿場から続く街に接する ラゾーナ川崎 が 2.8 m、中原街道が通る 武蔵小杉 が 8.3 m、川が台地を削った縁に立つ 二子玉川 が 12.9 m です。
四つを直線で結ぶと端から端までおよそ 13.9 km、そのあいだの上がりが 12.1 m ですから、平均すれば 1 km につき 1 m に届きません。歩いても自転車でも坂として意識しない傾きです。それでも 0.8 m と 12.9 m の差は、写真に写るものの違いとしてはっきり現れます。
この記事は、四つの地点の断面の形と、1936〜42 年頃から 1987〜90 年までの空中写真に写るものを、河口の側から上流へ順に並べたものです。全国の街を標高の順に並べた話は 標高くらべ 低い街と高い街を地形から読む にありますので、ここでは一本の川に沿った縦断だけを追います。
「川沿い」と呼ぶ前に川までの距離を測る
四つはいずれも多摩川の街ですが、水面が見える場所とそうでない場所に分かれます。地点の中心座標から河道までの隔たりを概算すると、二子玉川が約 0.3 km、殿町が約 0.5 km で、街区から河原まで歩いて数分の近さです。いっぽうで武蔵小杉は約 0.9 km、ラゾーナ川崎は約 1.2 km あり、駅前に立っても水面は目に入りません。四つをまとめて「川沿い」と呼ぶと、この違いが最初に消えてしまいます。
しかも、川に近いほど土地が低いという順にはなっていません。河道まで約 1.2 km あるラゾーナ川崎が 2.8 m、約 0.9 km の武蔵小杉が 8.3 m ですから、川から遠いほうが低いという並びです。高さを決めているのは川までの隔たりではなく、河口からどれだけ上流にいるかです。河口の側では川が運んだ砂と泥の薄い重なりの上に、上流の側では川が削り残した面の上に、それぞれ街が乗っています。
| 地点 | 河口側からの位置 | 中心の標高 | 最も古い写真の年代と写るもの |
|---|---|---|---|
| 浮島・殿町 キングスカイフロント | 多摩川が東京湾へ出る右岸 | 0.8 m | 1936〜42 年頃 堤の弧と内側の田畑 |
| ラゾーナ川崎 | 殿町から上流へ直線で約 4.6 km | 2.8 m | 1945〜50 年 駅の西に並ぶ建屋の列 |
| 武蔵小杉 | 川崎から上流へ直線で約 6.0 km | 8.3 m | 1936〜42 年頃 畑の区画と工場の一角 |
| 二子玉川 | 武蔵小杉から上流へ直線で約 4.9 km | 12.9 m | 1936〜42 年頃 白い砂礫の河原と一本の橋 |
一枚の平面か、段があるか
地点ごとに、中心と四方の五つの点で高さが測られています。この五つの開きを見ると、街が乗っている面の形が分かります。殿町は 0.8 m から東の 1.7 m までの 0.9 m に収まり、五つのどこを取っても水面との差がほとんどありません。ラゾーナ川崎は東の 1.6 m から北の 4.5 m までの 2.9 m で、四つのなかで最も高い点が川の側にあるのはここだけです。武蔵小杉は中心の 8.3 m が最も高く、川に向いた東が 6.5 m まで下がる 1.8 m の開きで、川へ静かに傾く一枚の面です。
二子玉川だけが別の形をしています。北の 13.6 m、中心の 12.9 m、東の 12.7 m が肩をそろえ、そこから南の 9.0 m、西の 7.6 m へ落ちて、開きは 6.0 m になります。低い二つはどちらも河原に向かう側です。つまり 段差が入るのは二子玉川だけ で、それは川が台地を削った跡が地点の内側まで入り込んでいるということです。河口の側の三つが 3 m 未満で収まるのに対し、上流の一つでは同じ地点のなかに二つの段が同居します。
四方の測点や断面の読み方そのものは 昔の航空写真の見かた カコマップの使い方 にまとめてあります。
| 地点 | 中心 | 最も低い点 | 最も高い点 | 開き |
|---|---|---|---|---|
| 浮島・殿町 キングスカイフロント | 0.8 | 0.8 (中心) | 1.7 (東) | 0.9 |
| ラゾーナ川崎 | 2.8 | 1.6 (東) | 4.5 (北) | 2.9 |
| 武蔵小杉 | 8.3 | 6.5 (東) | 8.3 (中心) | 1.8 |
| 二子玉川 | 12.9 | 7.6 (西) | 13.6 (北) | 6.0 |
最も古い写真に写るのは白い河原と堤である
1936〜42 年頃の写真が残るのは、四つのうち殿町、武蔵小杉、二子玉川の三つです。ラゾーナ川崎はこの年代の写真がなく、1945〜50 年から始まります。
三つに共通するのは、川そのものが画面のいちばん明るい部分だということです。二子玉川では多摩川が画面を左上から右下へ斜めに切り、細い水の筋の両側に白く光る砂礫の河原が驚くほど広く開けています。流れは一本にまとまらず、河原の中で分かれて洲を回り込みます。武蔵小杉でも川は暗く細い筋で、その両側に白い河原が続きます。殿町では画面の中ほどを川が斜めに横切り、流れのなかに明るい砂州が横たわります。
三つの地面はどれも田畑です。殿町では堤とその上の道が川の曲がりをそのままなぞって白い弧を描き、弧の内側に家屋の短い列と細長い区画の田畑が続きます。武蔵小杉は畑の細かい区画で埋まり、そのなかに細長い建屋が向きをそろえた工場の一角が点在します。二子玉川では橋のたもとから北東へ伸びる道の両側だけ家並みが濃く、その外は田と畑です。この年代の三枚には、直線に伸びる街路も大きな街区も写りません。なお 1936〜42 年頃の写真は欠損を含み、殿町では画像の下側およそ 3 割、武蔵小杉では左 3 分の 1 が灰色に抜けています。
1945〜50 年 四つの地点がそろう
1945〜50 年になると四つとも写真が残り、初めて横並びで比べられます。この一枚で目を引くのは、河口の側の二つに大きな敷地の輪郭がすでに現れていることです。殿町では堤に沿って細長い建屋が何棟も平行に並び、その南に細い縞の連なる大屋根の塊が据えられます。ラゾーナ川崎では駅の西側に長方形の建屋が整然と並ぶ区画があり、周りの細かい建物の密集とはまるで別の目をしています。
いっぽう上流の二つは、まだ土地の使い分けが緩やかです。武蔵小杉では中央を斜めに貫く線路が大きな弧を描いて合流し、その弧に抱かれた一帯が工場地帯になっていますが、左半分は碁盤目の畑の区画が広がります。二子玉川は砂礫の白がいっそう広く、河原の中に細長い洲が島のように残り、川を渡る橋は一本だけです。
同じ川の 14 km ほどの区間で、河口の側は工場の敷地が先に形をとり、上流の側は田畑と河原が主役のままでした。
1961〜69 年 家並みが河原の縁まで届く
1961〜69 年は、四つの地点で街の面積が一気に増える年代です。武蔵小杉では畑の区画が画面の左端と隅へ押しやられ、家並みが視野のほとんどを埋めます。ラゾーナ川崎では左上に残っていた農地がほとんど市街に置き換わり、駅の構内で束になる線がさらに太くなります。二子玉川でも両岸が家で埋まり、堤の線の内側まで建物が近づきます。殿町では堤の内側が明るい大屋根の工場で密に埋まり、対岸には羽田の滑走路が直線の明るい帯として写ります。川をはさんで空港と工場が向かい合う構図は、この年代からはっきり読めます。
もう一つ、この年代から始まるのが河原の使われ方です。武蔵小杉と二子玉川では、それまで白いだけだった砂の上に薄い格子の区画が引かれています。運動場として整えられはじめた河原です。
色が付いてから読めるようになること
四つとも 1974〜78 年から写真に色が付きます。色が付くと土地の使われ方は一段読みやすくなります。殿町では街区のほぼ全面が、細長い平行の縞をもつ大屋根の一つの工場に覆われていることが分かります。武蔵小杉では工場の大屋根が白く光り、1945〜50 年から同じ位置にあった黒い円形の構造物が濃い緑の円として写ります。二子玉川では河原の円い区画の正体が見え、内野の土が褐色の丸として並びます。
1979〜83 年の一枚は、同じ川の別の顔です。武蔵小杉と二子玉川ではどちらも水が濁った黄褐色に変わり、砂州を覆って河原の幅いっぱいに広がっています。1984〜86 年へ送ると水は細い筋に戻り、砂州と草地がまた顔を出します。写真が写しているのはあくまで撮影した日に水が乗っていた幅であって、それ以上のことは一枚からは読めません。
殿町の大屋根は 1974〜78 年から 1987〜90 年まで輪郭がほとんど動かず、変わるのは屋根の色と明るさだけです。同じ工場が葺き替えながら使われ続けた時間だと読めます。いっぽう 1987〜90 年のラゾーナ川崎では、駅の東に周りの屋根から抜き出た建物が立ち、その足元に濃い影が落ちるのが写真の上でも分かります。
高さが変わったのは地面ではなく建物だった
1987〜90 年の武蔵小杉と二子玉川の駅前を拡大しても、高いものは写っていません。武蔵小杉では白い大屋根と青い屋根と黒い円形の構造物が同じ配置で並び、その周りは低い建物で隙間なく埋まっています。二子玉川では駅の東側が低い建物と白く抜けた駐車場らしい区画で占められています。
そこから 2026 年時点の一枚へ送ると、同じ範囲の様子が変わります。武蔵小杉では駅の北から中央にかけて濃い紺色の高い棟が群れをなし、棟が地面へ倒す細長い影が互いに重なって、その一帯だけ画面が暗く沈みます。二子玉川では駅の東の一街区だけ屋根の色調が違い、細長い矩形の棟が向きをそろえて数棟並び、その南東の大きな平屋根の上には緑の広場が載っています。
ここで確かめておきたいのは、地面の高さの数値が動いていないことです。武蔵小杉の中心は 8.3 m、二子玉川の中心は 12.9 m で、これはいずれも 2026 年時点で参照できる測量値です。写真の年代を送るあいだに増えたのは、地表から上へ積み上がった高さのほうです。河原の側はといえば、二子玉川の左上の運動場の区画は 1974〜78 年から場所を変えておらず、武蔵小杉の隣の競技場と球場の形も 1987〜90 年からほとんど動いていません。街が縦に伸びたぶん、河原の平らさが際立つ構図になります。
河口の側の二つは屋根が入れ替わった
殿町では 1974〜78 年から 1987〜90 年まで動かなかった縞屋根の輪郭が、今の写真では跡形もありません。独立した中規模の建物が広い街路と空き地を挟んで点々と置かれ、白い駐車の枠が並ぶ舗装地と芝や樹の帯がそのあいだを埋めます。川崎市は 2013 年 3 月にこの一帯をキングスカイフロントとしてまちびらきし、ライフサイエンスや環境の分野の研究施設が集まる区域に整えました。それでも川縁の堤の上の道は 1936〜42 年頃と同じ弧を描いたままで、堤の弧だけが残るという読み方ができます。
2022 年 3 月には、殿町と羽田空港の側を結ぶ延長約 840 m の多摩川スカイブリッジが開通しました。ただし 2026 年時点で最も新しい写真にこの橋は写っていません。撮影が開通より前だったことが、橋の有無から分かる仕組みです。
ラゾーナ川崎でも、六つの年代にわたって同じ位置を占めていた建屋の列が最後の一枚で消え、駅の西には中庭を抱えた大きな建物と、周りより背の高い建物が並びます。それでも駅の構内の線の束は古い年代と同じ向きに斜めに走り、河川敷の野球場の扇形も、東に並ぶ二つの楕円のコースも輪郭を保っています。四つの地点を通して言えるのは、写真から消えたのは屋根と建物で、川と線路と堤の線は残るということです。
標高の順と土地の値の順は途中で入れ替わる
高さの並びと土地の値の並びがどこまで重なるのかも見ておきます。参照できるのは地点そのものではなく、それぞれの近くにある住宅地の公示地点です。殿町では約 1.2 km 内陸の川崎区台町、ラゾーナ川崎では約 520 m の幸区幸町 2 丁目、武蔵小杉では約 590 m の中原区小杉町 2 丁目、二子玉川では約 560 m の世田谷区瀬田 1 丁目にあり、いずれも工場や研究施設の地面の値ではない点は割り引いて読む必要があります。
2026 年の公示価格は、1 平方メートルあたり台町が 32 万 4 千円、幸町 2 丁目が 55 万 2 千円、小杉町 2 丁目が 90 万 5 千円、瀬田 1 丁目が 87 万 1 千円です。標高の順は 0.8 m、2.8 m、8.3 m、12.9 m と上流へ向かって上がりますが、値の順は三番目と四番目で入れ替わります。上流へ行くほど高くなるという単純な並びにはなりません。
記録の長さも同じではありません。ラゾーナ川崎の公示地点だけが 1989 年の 56 万 5 千円から追えて、最も高いのは 1991 年の 59 万円、最も低いのは 2005 年の 28 万 7 千円、そして 2026 年は 55 万 2 千円です。1991 年の値には 2026 年でもまだ届いていません。残る三つは記録が 2012 年か 2016 年から始まり、いずれも始まりの年が最も低く 2026 年が最も高い並びになります。
| 地点 | 公示地点と地点からの隔たり | 記録の始まり | 記録のなかで最も低い年 | 2026 年 |
|---|---|---|---|---|
| 浮島・殿町 キングスカイフロント | 川崎区台町 約 1.2 km | 2016 年 25 万 7 千円 | 2016 年 25 万 7 千円 | 32 万 4 千円 |
| ラゾーナ川崎 | 幸区幸町 2 丁目 約 520 m | 1989 年 56 万 5 千円 | 2005 年 28 万 7 千円 | 55 万 2 千円 |
| 武蔵小杉 | 中原区小杉町 2 丁目 約 590 m | 2012 年 43 万円 | 2012 年 43 万円 | 90 万 5 千円 |
| 二子玉川 | 世田谷区瀬田 1 丁目 約 560 m | 2016 年 61 万 5 千円 | 2016 年 61 万 5 千円 | 87 万 1 千円 |
四つの地点を河口の側から送ってみる
同じ川に沿った四つの地点を並べて分かるのは、地面の高さは河口からの位置でおおよそ決まり、写真に写るものの入れ替わりはそれとは別の理由で進むということです。読み方としては、まず 1936〜42 年頃か 1945〜50 年で河原の白さと堤の弧を確かめ、次に 1961〜69 年で家並みがどこまで届いたかを見て、最後に 1987〜90 年と 2026 年時点の一枚を往復させると、四つの違いがいちばん分かりやすく出ます。
浮島・殿町、ラゾーナ川崎、武蔵小杉、二子玉川 の各ページでは、年代のスライダーと四方の標高、近くの公示地点の値を同じ画面で確かめられます。低い土地について公表された想定を見たいときは、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の資料がまとまっています。河口の先に続く埋立地の並びは 東京湾岸 60 年 埋立の目的の移り変わり で扱っています。
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