武蔵小杉の再開発前 工場の駅前を 7 つの年代の写真で見る

公開日: 2026 年 10 月 13 日 / この記事は約 9 分で読めます

再開発前の最後の姿は 1987〜90 年の工場町

武蔵小杉の再開発前を空中写真で確かめると、駅の周りを占めていたのは工場でした。線路が大きな弧を描いて回り込み、その内側と外側に細長い建屋が向きをそろえて並びます。武蔵小杉で開ける過去の写真は 1987〜90 年が最後の年代で、2026 年から数えると 36〜39 年前にあたります。その一枚でも、白い大屋根と青い屋根と黒い円形の構造物が同じ配置で残り、駅のあたりを拡大しても長い影を落とす建物は見当たりません。

再開発の前はいつも同じ景色だったわけではありません。1936〜42 年頃には畑の細かい区画のなかに工場の一角が点在するだけで、1945〜50 年には弧に抱かれた一帯が工場地帯として形を整え、1961〜69 年には家並みが畑を画面の隅へ押しやります。工場は 7 つの年代を通じて同じ場所にとどまり、変わったのはその周りでした。工場が先に来て、街があとから取り囲み、最後に工場が抜けていきます。

7 つの年代に写る工場と周りの土地

武蔵小杉の駅の周りに写るもの
年代工場の敷地周りの土地多摩川
1936〜42 年頃細長い建屋の一角と白い大屋根が点在・画面の左 1/3 は写真なし畑の細かい区画と道沿いの集落細く暗い水の筋と広い河原
1945〜50 年線路の弧に抱かれた工場地帯と黒い円形の構造物碁盤目の畑が左半分に広がる太く暗い水面
1961〜69 年輪郭を保ったまま建屋が増える家並みが視野のほとんどを埋める水の筋が細り河原に運動場
1974〜78 年白く光る大屋根と平行な建屋の列・濃い緑の円低い建物の密集と点々と残る畑緑がかった帯
1979〜83 年鋸の歯のように折れた屋根畑だった区画が褐色の裸地に濁った黄褐色で幅が広い
1984〜86 年青い屋根の建物が加わる赤い屋根の建物の列が現れる緑がかった細い筋
1987〜90 年白と青の大屋根と円形の構造物が同じ配置低い建物で隙間なく埋まるふたたび濁って幅が広い

工場の列は一度も消えず、周りだけが畑から家並みへ入れ替わりました。

1936〜42 年頃 畑のなかに工場が来た頃

いちばん古い 1936〜42 年頃の一枚でも、線路の弧の内と外には工場の一角がすでに置かれ、そのまわりはまだ畑の区画です。街が工場を呼び寄せたのではなく、工場の側が先に畑のなかへ入ってきた順番が、この一枚から読み取れます。

この風景の前提になったのは鉄道でした。川崎市の小杉駅周辺のまちづくり構想の資料によれば、1927 年に南武線が開業して武蔵小杉の駅が開かれ、1939 年には東横線に工業都市という名の駅が、武蔵小杉駅の 200 m ほど南に置かれています。駅に付けられた名前からも、この一帯に工場を呼び込もうとした当時の見通しが伝わってきます。江戸時代には中原街道の宿場として人が行き交った土地ですが、写真に写る畑と工場の取り合わせは、街道の時代とは別の論理で引かれた線の上にあります。

1945〜50 年 線路の弧が抱えた工場地帯

1945〜50 年になると、弧の内側は一つの工場地帯としてまとまり、画面は工場と畑がほぼ同じ重さで分け合います。家並みが密なのは左上の一角だけです。前述の構想資料には、1945 年に東急の武蔵小杉駅が開設されたことも記されています。駅が整っても、写真の上では工場と畑のあいだに住まいがまだ割り込めていません。

1961〜69 年と 1974〜78 年 家並みが畑を押し出す

1961〜69 年に送ると景色の主役が入れ替わり、畑だった土地の大半を家並みが占めます。それでも工場の敷地は輪郭を保ったまま建屋を増やし、色の付いた 1974〜78 年の一枚でも大屋根が白く光ります。

二つの年代を並べると、工場が街の骨格になっていく過程が見えます。家は工場の敷地の外側を埋めていき、敷地の輪郭の内側には入り込みません。広い一区画が動かずに残ったことが、のちにまとめて用途を替えられる条件になりました。

1979〜83 年から 1987〜90 年 屋根を替えながら残る工場

1979〜83 年には工場の一角に鋸の歯のように折れた屋根が読め、1984〜86 年には青い屋根の建物が加わります。1987〜90 年まで送っても、建屋は屋根の色と形を替えるだけで、敷地そのものが割られた跡は見当たりません。

1979〜83 年の多摩川は濁った黄褐色で幅を広げていますが、写真に残るのはその日に水が乗った幅だけです。想定される浸水の範囲を確かめたい場合は、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の公表資料がまとまっています。

駅の側では、この三つの年代と重なる時期に別の工事が進んでいました。構想資料によれば、南武線の武蔵小杉から第三京浜までの区間で 1978 年に高架化の工事が始まり、1990 年に完成しています。線路の高さが変わる工事が終わる頃まで、駅の周りの工場はそのままでした。

写真の外で起きた入れ替わり

川崎市の構想資料は、横須賀線の新駅の整備と並行して、駅の周りにあった工場が次々に土地利用を転換し、研究開発の機能や都市型の住宅、商業の施設が集まる街へ移りつつあると記しています。横須賀線の武蔵小杉駅が開業したのは 2010 年 3 月 13 日で、東横線と南武線の乗換駅に都心へ直通する線が一本加わりました。2014 年 11 月には駅の近くに大型の商業施設が開業しています。どちらも写真の年代の外の出来事で、空中写真の上で順を追えるのは 1987〜90 年までです。

比較の画面で 2026 年時点の一枚に切り替えると、細長い建屋が並んでいた場所は大きな平屋根の建物と四角い区画に置き換わっています。その一方で、左の中ほどの競技場と球場の形は 1987〜90 年からほとんど動いていません。高い棟の群れがどう写るかはタワーマンションの街の昔の写真で読めます。

工場の駅前は武蔵小杉だけではない

駅のそばの広い工場が、ある時期にまとめて別の用途へ替わった土地は、首都圏の線路沿いにいくつもあります。

工場の駅前を 1987〜90 年の一枚で比べる
地点中心の標高過去の写真1987〜90 年の工場跡に入ったもの
武蔵小杉8.3 m1936〜42 年頃から 7 年代白と青の大屋根と円形の構造物高い棟の住まいと商業の施設
ラゾーナ川崎2.8 m1945〜50 年から 6 年代建屋の列が残り構内の裸地が広がる中庭を抱えた大きな商業施設
大崎ガーデンシティ4.2 m1936〜42 年頃から 7 年代駅の西に水色と灰色の大屋根事務所と住まいと広場の街区
恵比寿ガーデンプレイス15.8 m1936〜42 年頃から 7 年代駅の東に水色の大屋根と細長い構内高層の棟を中心にした複合の街区
浮島・殿町 キングスカイフロント0.8 m1936〜42 年頃から 7 年代縞屋根の大工場の輪郭が動かない研究施設が点々と並ぶ区域

五つとも、1987〜90 年の一枚ではまだ工場が写っています。恵比寿・川崎・武蔵小杉では、跡地の街びらきはどれも写真の最後の年代より後に来ました。

ただし、同じ 1987〜90 年の一枚でも工場の写り方は揃っていません。ラゾーナ川崎では建屋のあいだの裸地が前の年代より広がり、入れ替わりの気配が写真に先に出ています。武蔵小杉・大崎・恵比寿では大屋根が前の年代と同じように並び、殿町の縞屋根の輪郭も動きません。武蔵小杉は、工場の姿が最後の一枚まで崩れなかった側に入ります。

標高の欄は 0.8 m から 15.8 m まで散っていて、低い土地だから工場が来た、高い土地だから残った、という一つの物差しでは五つを束ねられません。大崎は中心 4.2 m に対し西 15.8 m・南 12.5 m の谷の底、恵比寿は南と西へ上っていく斜面の下、殿町は四方とも 2 m に届かない多摩川の河口です。共通しているのは、線路のすぐそばに一つの用途の広い敷地があったことでした。

並べて見えるもう一つの違いは、跡に何が入ったかです。駅前の四つが住まいや商業、事務所へ替わったのに対し、河口の工場地だった殿町は研究の側へ向かいました。同じ多摩川の下流でも、駅の目の前か、河口の工場地かで、工場の次に来るものが分かれています。

市街地の割合では目立たない入れ替わり

高い棟の群れが立った武蔵小杉は、写真の上で大きく変わった土地のように思えます。ところが、半径 500 m の市街地の割合で見ると、武蔵小杉は 1976 年の時点ですでに 75% で、2021 年は 97% です。ラゾーナ川崎は 80% から 96%、殿町は 84% から 91% で、大崎ガーデンシティ (99% → 95%) と恵比寿ガーデンプレイス (99% → 100%) はほとんど動きません。

1976 年にすでに市街地だった駅前は、再開発で建物が替わっても割合の増え方が小さく出ます。畑や海が街になった土地では、画面の色そのものが一変します。工場の駅前で起きたのは、建物で覆われた敷地が、別の建物で覆われた敷地に替わる入れ替わりでした。高さの変化は棟の影の長さで読みます。

地価公示で見る武蔵小杉と殿町

駅前と河口の工場地の記録を、住宅地の公示価格で並べます。値は 1 平方メートルあたりです。範囲は 2026 年 10 月時点で参照できる 2026 年の公示までです。

武蔵小杉と殿町の近くの公示価格 (2026 年公示までの系列)
地点公示地点と隔たり記録の始まり最も低い年最も高い年2026 年
武蔵小杉小杉町 2 丁目・約 590 m2012 年 43 万円2012 年 43 万円2026 年 90 万 5 千円90 万 5 千円
浮島・殿町 キングスカイフロント川崎区台町・約 1.2 km2016 年 25 万 7 千円2016 年 25 万 7 千円2026 年 32 万 4 千円32 万 4 千円

武蔵小杉の記録は 2012 年に始まり、横須賀線の駅が開いた 2010 年より後の値しかありません。2012 年の 43 万円から 2026 年の 90 万 5 千円までの 15 年分は、入れ替わりが進んだ後の区間です。

殿町の近くの記録も 2016 年からで、どちらの表も工場が写っていた時代までは届きません。工場の駅前の残り 3 つの開業の年と地価の記録は、工場跡地の再開発を空中写真で比べるにまとめています。

弧の線路を目印に年代を往復する

武蔵小杉の比較の画面では、1945〜50 年の一枚で線路の弧と黒い円形の構造物を先に見つけておくと、年代を送っても場所を見失いません。そこから 1961〜69 年、1974〜78 年と送れば畑が家並みに替わり、1987〜90 年まで進めても工場の敷地だけは形を保っています。最後に 2026 年時点の一枚へ切り替えれば、同じ弧の内側で中身が入れ替わった様子が一度に見えます。

比べる相手を替えると、同じ工場の駅前でも読み方が変わります。恵比寿ガーデンプレイスでは駅の東の水色の大屋根を、ラゾーナ川崎では駅の西に並ぶ建屋の列を、大崎ガーデンシティでは谷の底に収まる大屋根を、それぞれ 1987〜90 年の一枚で確かめてから、2026 年時点の一枚へ送ってみてください。

本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。

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