タワーマンションの街の昔の写真 武蔵小杉 海老名 武蔵浦和
高い棟が一つも写らない最後の年代
武蔵小杉の駅前を 1987〜90 年の空中写真で開くと、高いものが一つも見つかりません。屋根はどれも低く、影は短く、線路が大きな弧を描いて抱き込む工場の敷地がそのまま残っています。二子玉川でも、武蔵浦和でも、同じ年代の写真は同じ景色です。昭和が終わる頃まで、のちに高い棟が並ぶことになる駅前は、上から見るかぎり低い屋根と短い影の街でした。タワーマンションと呼ばれる高い棟が並ぶ 2026 年時点の景色は、写真の年代の上ではいちばん新しい一枚にしか現れません。
棟が立った場所には共通点があります。細かく分かれた土地ではなく、一つの用途に使われていた広い区画が、あるとき一度にまとまって空いた場所です。工場が移った跡、貨車を仕分ける操車場の跡、あるいは駅のすぐ近くに水田が残っていた土地。古い年代へ送るとその広い区画の輪郭がはっきり読め、輪郭の多くは今の街区にも引き継がれています。年代を往復させると、街の骨組みだけが残って中身が入れ替わったことが分かります。
六つの駅前を同じ軸で並べる
高い棟のある駅前を一つずつ眺めるのではなく、同じ軸で横に並べると読み方が変わります。軸は三つ用意しました。中心の標高、その地点で見られるいちばん古い写真の年代、そして棟の前にそこを占めていたものです。
| 駅前 | 中心の標高 | いちばん古い写真 | 棟の前にあったもの |
|---|---|---|---|
| 武蔵小杉 | 8.3 m | 1936〜42 年頃 | 線路の弧に抱かれた工場の敷地 |
| 二子玉川 | 12.9 m | 1936〜42 年頃 | 低い建物と白く抜けた区画 |
| 武蔵浦和 | 7.3 m | 1945〜50 年 | 町と田の境目から続く水田 |
| さいたま新都心 | 11.5 m | 1945〜50 年 | 紡錘形に広がる貨物の操車場 |
| ささしまライブ | 5.7 m | 1945〜50 年 | 扇のように開く貨物の線路群 |
| 海老名 | 21.5 m | 1961〜69 年 | 田の中で線路が集まる交点 |
並べてすぐ気づくのは、標高が 5.7 m から 21.5 m まで散っていることです。高い棟の街は低い土地に集まる、という一枚の説明では六つを束ねられません。もう一つの気づきは、いちばん古い写真の年代がそろっていないことです。海老名で送れるのは 1961〜69 年より後の四つの年代だけで、戦前や終戦直後の一枚がありません。写真の側の都合が、そのまま読める時間の長さを決めています。
工場が一度に抜けた土地 武蔵小杉
武蔵小杉 の写真でいちばん目を引くのは、線路が描く大きな弧です。1945〜50 年の一枚では、その弧に抱かれた一帯が工場地帯で、敷地の中に黒い円形の構造物が一つ据わり、周囲に細長い建屋が向きをそろえて並びます。1961〜69 年になると畑の区画は画面の隅へ退き、家並みが視野のほとんどを埋めますが、弧の内側の工場は輪郭を保ったまま建屋を増やしていきます。1974〜78 年で色が付くと、白く光る大屋根と、樹木に覆われて濃い緑の円になった構造物が見分けられます。
向きが変わったきっかけは二つあります。一つは工場の移転で、まとまった広い敷地が一度に空きました。細かく分かれた土地では起こりにくいことが、一つの用地が抜けたことで一気に進んだわけです。もう一つは鉄道で、東急東横線と南武線が交わる乗換駅に、2010 年 3 月、横須賀線のホームが加わりました。今の写真では駅の北から中央にかけて濃い紺色の高い棟が群れをなし、棟が地面へ倒す細長い影が互いに重なって、その一帯だけ画面が暗く沈みます。それでも線路の弧そのものは 1945〜50 年と同じ曲がり方で残っています。
貨車の帯が空になった土地 さいたま新都心とささしまライブ
同じ「一度に空いた広い用地」でも、その上に載ったものが住宅の棟にならなかった例があります。さいたま新都心 の写真は、どの年代を開いても画面の中央を縦に貫く紡錘形の帯が主題です。1945〜50 年から 1979〜83 年まで、帯の中には貨車の列が隙間なく詰まり、両側の家並みだけが厚みを増していきます。1987〜90 年でその帯が空になります。線路の束が消え、紡錘形の輪郭の内側は灰褐色の裸地に変わり、細い縦縞の痕跡だけが地面に残ります。さいたま市の説明によれば、この操車場の跡地でまちびらきが行われたのは 2000 年 5 月で、さいたま新都心駅と弧を描く大屋根の多目的施設が同じ年に開いています。今の写真で跡地に載っているのは、白い弧の大屋根と、国の出先機関を集めた庁舎、そして南北へ一列に連なる高い棟です。
ささしまライブ も同じ型です。1945〜50 年の写真では名古屋駅から南へ線路が扇のように開き、1961〜69 年には数え切れない本数の線が南へ延びます。1987〜90 年の一枚では扇の形が地面の色として残るだけになり、光る線路の筋が消えて茶色い裸地が広がります。この空白に鉄道が通り直したのが 2004 年で、名古屋臨海高速鉄道の西名古屋港線が全線開業してささしまライブ駅が置かれました。今の写真では扇の内側に大きな建物の塊が並び、北の端の高い棟が名古屋駅前の高層群と向かい合います。棟に入るのは学校や放送局、店舗と事務所で、跡地の使い道は住宅に限りません。
町と田の境目に十字ができた土地 武蔵浦和
武蔵浦和 の 1945〜50 年の写真は、上下で別の土地に見えます。画面の上 1/3 は屋根が隙間なく並ぶ町で、細い道が幾重にも枝分かれします。中ほどから下は一転して水田で、細長い区画が並び、あぜが薄い網目をつくって下辺まで続きます。1961〜69 年でも境目が少し南へ張り出すだけで、画面の下半分は変わらず田です。1974〜78 年になると境目より南の広い範囲が黄褐色の裸地に変わり、そこへ青や白の屋根が点々と入りはじめます。
線路と駅の順番が独特です。1974〜78 年の写真では、細い線が一本、画面の左端から中央へゆるく下り、そこから東西に向きを変えて右端まで抜けています。線路は通り抜けているのに、駅の形はどこにもありません。1984〜86 年の一枚で、画面の中央を上から下へ幅の広い白い帯が新しく通り、その線が斜めの線路と交差します。二本の線が交わる十字がここで生まれ、1987〜90 年には白い帯が灰色の線路の帯に落ち着いて形が完成します。それでも交差点の周りは低い建物ばかりで、長い影を落とすものはまだありません。今の写真では、十字のすぐ西に細長い矩形の棟が黒く沈んだ色で数棟、南北に点々と並びます。
田の中の交点だった駅 海老名
海老名 は六つのなかで中心の標高がいちばん高く 21.5 m ですが、1961〜69 年の写真はほとんどが田です。細長い区画が斜めの方向にそろって並び、あぜ道が少し傾いた網目をつくります。田の中を斜めに横切る線路が何本か走り、画面の中央でそれらが近づいて一点に集まります。集まる場所の周囲だけ建物がわずかにまとまり、あとはまばらな家並みが川沿いの道と台地の縁に細く連なるだけです。駅はまだ街の中心ではなく、田の中の交点でした。
1974〜78 年で、線路が何本も並んで束になった細長い敷地が現れます。線が扇のように開いてまた閉じる形で、車両を並べて留める場所であることが読めます。その北側には白く光る大屋根の建屋が建ちます。1979〜83 年になると変化の主役が東へ移り、台地の上に細い道で整然と区切られた住宅地が一気に広がります。低地の田はまだ広く残っているのに、台地の側だけが先に街になっていく順番です。今の写真では、駅のすぐ南に周りの低い屋根から頭一つ抜け出した高い棟が数本立ち、足元に濃い影を落とします。そして画面の左半分と下側には、1961〜69 年とほぼ同じ形の耕地の区画が、その棟から数百 m の距離に広がったままです。
低い屋根の駅前が積み上がった土地 二子玉川
二子玉川 は、広い工場も操車場も抜けていません。1987〜90 年の写真で駅の東側を見ると、低い建物と白く抜けた区画が広がるだけで、高いものは何も立っていません。ここで起きたのは、駅に接した街区をまとめて建て替え、事務所と商業施設と住宅を一つの区画に縦へ積み上げるやり方です。事業者の公表によれば、複合施設は 2011 年 3 月に開業しています。
今の写真で色の調子が違うのは、駅の東の一街区だけです。細長い矩形の棟が向きをそろえて数棟並び、屋根の面が濃い灰色に写って周りの白い低い屋根から浮き上がります。その南東には大きな平屋根が続き、屋根の上に円い芝と木立の広場が載っているのが上から見ると分かります。1987〜90 年と往復させると、同じ位置が低い建物と白い区画だったことに気づきます。変わったのは一街区の高さだけで、隣の街区の屋根の細かさは前の年代のままです。
標高で並べ替えると分かること
高い棟の街を標高の順に並べ替えると、一つの数字では説明できないことがはっきりします。地点の中心と、その東西南北で測った値を並べたのが次の表です。
| 駅前 | 中心 | 四方でいちばん高い点 | 四方でいちばん低い点 |
|---|---|---|---|
| ささしまライブ | 5.7 | 2.0 | 1.0 |
| 武蔵浦和 | 7.3 | 6.9 | 5.8 |
| 武蔵小杉 | 8.3 | 7.9 | 6.5 |
| さいたま新都心 | 11.5 | 14.0 | 11.2 |
| 二子玉川 | 12.9 | 13.6 | 7.6 |
| 海老名 | 21.5 | 21.7 | 20.8 |
海老名は五つの計測点が 20.8 m から 21.7 m の 1 m 足らずに収まり、歩いて気づく程度の起伏もありません。武蔵浦和も 5.8 m から 7.3 m の幅で、平らなまま南へゆるく下ります。いっぽう二子玉川は中心の 12.9 m に対して西が 7.6 m で、五つの点のあいだに 5 m を超える段差を含みます。さいたま新都心は東の 14.0 m が中心より高く、貨車を仕分けるのに要る平らさは南北の向きにだけ現れます。ささしまライブは中心の 5.7 m だけが四方から離れており、四方は 1.0 m から 2.0 m にそろいます。土地の高さと雨や高潮の想定は別の話なので、想定される範囲を知りたいときは、国土交通省のハザードマップポータルサイトに各自治体の公表資料がまとまっています。
記録が始まる年が違う地価公示
六つの駅前には、いずれも駅から 470 m から 660 m ほど離れた住宅地に、地価公示の計測点があります。ところが記録の始まる年がそろっていません。2026 年の公示までが手元で参照できる範囲として、それぞれの区間を並べます。
| 駅前 | 記録の始まり | 記録の中でいちばん低い年 | 2026 年 |
|---|---|---|---|
| ささしまライブ | 1983 年 16 万 1 千円 | 2005 年 14 万 9 千円 | 22 万 5 千円 |
| 海老名 | 1992 年 31 万 2 千円 | 2006 年と 2012 年 18 万 7 千円 | 33 万 3 千円 |
| さいたま新都心 | 2000 年 26 万 1 千円 | 2012 年と 2013 年 25 万 3 千円 | 34 万 9 千円 |
| 武蔵小杉 | 2012 年 43 万円 | 2012 年 43 万円 | 90 万 5 千円 |
| 二子玉川 | 2016 年 61 万 5 千円 | 2016 年 61 万 5 千円 | 87 万 1 千円 |
| 武蔵浦和 | 2021 年 34 万円 | 2021 年 34 万円 | 44 万 7 千円 |
始まりの年が 1983 年から 2021 年まで散っているので、六つの数字を横に比べても分かることは多くありません。読めるのは、各地点の中の区間です。ささしまライブは 1983 年の 16 万 1 千円から 1991 年の 34 万 7 千円へ動き、そこから 2005 年の 14 万 9 千円まで下がって、2026 年は 22 万 5 千円です。始まりと終わりの差より、途中の振れ幅のほうが大きい形です。海老名とさいたま新都心も、いちばん低い年を挟んで前後に山と谷を持ちます。武蔵小杉と二子玉川と武蔵浦和は記録の始まりがそのままいちばん低い年で、記録の区間全体が高い棟が建った後の年に重なっています。値の動きを棟の高さと結び付けて読むには、この始まりの年の違いを先に押さえておく必要があります。
年代を送って自分で確かめる
同じ読み方は、高い棟のある駅前ならどこでも試せます。手順は三つです。まず 1987〜90 年か、それより古い年代を開いて、高いものと長い影が写っていないことを確かめます。次に、そこにある広い区画の輪郭を探します。線路の弧、紡錘形の帯、扇のように開く線の束、あるいはあぜの網目です。最後に今の写真へ戻し、その輪郭がどこまで残っているかを見ます。輪郭が残っていれば、街の骨組みは引き継がれ、その内側だけが入れ替わったことになります。
工場が抜けた土地の型は 工場跡地の記事 が、貨物の操車場が空いた土地の型は 操車場跡地の記事 が、それぞれ別の地点で扱っています。標高の数字が気になったときは、地点ページの四方の計測値を見比べてください。年代の送り方に迷ったら 年代ガイド から始めるのが早道です。あとは 武蔵小杉 と 海老名 を交互に開いて、田と工場のどちらが先に街になったのかを、自分の目で並べてみてください。
本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。