北谷 (美浜) の約 50 年前と今
沖縄県の北谷 (美浜)周辺の 1974〜1978 年の空中写真と現在の写真を重ねて比較できます。写真はすべて国土地理院が公開しているものです。
昔と今の比較
中央の写真の撮影: 1977 年
この年代の見どころ: 画面の中ほどより左の海岸では、砂浜が半円を描いて海へ張り出しているだけである。今の写真では、そこから沖まで護岸で囲まれた陸地になり、赤い陸上競技場が載っている
操作方法: ドラッグで移動 / 右ドラッグで回転と傾き / ⌘ か Ctrl を押しながらスクロールで拡大縮小操作方法: 2 本指でスライドして移動 / ピンチで拡大縮小 / 2 本指の上下ドラッグで傾き
※ 3D の標高データは現在の測量にもとづくものです。写真の年代当時の地形ではありません。標高タイル: 地理院タイルを加工して作成
3D 表示を読み込めませんでした。通信状態をご確認のうえ、もう一度お試しください。
※ 地形の陰影は現在の測量にもとづくものです。写真の年代当時の地形ではありません。陰影起伏図: 地理院タイルを加工して作成
※ 地図は現在のものです。写真の年代当時の地図ではありません。地図: © OpenStreetMap contributors
出典: 地理院タイル (年代別空中写真 / 全国最新写真 / 単写真) を加工して作成
この周辺を自由に見る地図を動かして、まわりの昔と今も見比べられます。
この地点で見られる写真の年代
北谷 (美浜)周辺では、次の年代の空中写真を比較に使えます。
この地点の昔の写真は 1974〜1978 年の 1 つの年代で、2026 年時点では 49 年前にあたります。それ以降、現在までの間の写真はこの地点にはありません。年代ごとの違いは空中写真の年代ガイドにまとめています。
年代ごとの提供範囲は地域によって異なります。ここには、この地点で実際に写真がある年代だけを載せています。
この地点の標高
北谷 (美浜) の代表地点の標高 (海抜) は 4.0 m です (出典: 国土地理院 標高 API)。あわせて、この地点を中心とした東西と南北の標高の断面を載せています。








断面の位置 (縦の緑の線 = 南北 / 横の青い線 = 東西)
断面のグラフで線が途切れて空白になっている区間は、標高データの提供がない場所 (海や川などの水面) です。
標高は地表面の値です (駅が地下や高架にある場合も、値は地表面のものです)。標高は防災上の一要素にすぎません。実際の水害リスクなどは、ハザードマップポータルサイトや自治体が公表するハザードマップでご確認ください。
断面の標高タイル:地理院タイルを加工して作成
鉄道でのアクセス
北谷 (美浜) の最寄り駅のひとつはてだこ浦西駅で、次の路線が利用できます。
- 沖縄都市モノレール
路線情報の出典:国土数値情報 (鉄道データ / 国土交通省) を加工して作成。
市街地の割合から見た変化のようす
1976 年と 2021 年の土地利用で比べると、半径 500 m の市街地の割合は 23% から 53% へ変わりました。市街地の広がりは、掲載地点の中では中ほどです。下のバーは、この地点の市街地の広がりが掲載地点の分布のどのあたりにあるかを示しています。
出典: 国土数値情報 (土地利用細分メッシュ・1976 年と 2021 年・国土交通省) を加工して作成。写真のきめ細かさ (テクスチャ量) は 66.5 から 31.7 へ変わっています。写真どうしの機械的な比較で、撮影時期や白黒とカラーの違いによる差も含まれるため、あくまで目安としてご覧ください。
地価公示価格の推移
この地点に最も近い地価公示の標準地は「沖縄県 中頭郡北谷町桑江 1 丁目 11 番 9」(直線距離で約 903 m・用途は住宅) です。この標準地の 2017 年から 2026 年までの公示価格 (1 平方メートル当たり) の推移は次のとおりです。2026 年公示では 240,000 円です。
推移を表で見る
| 年 | 公示価格 |
|---|---|
| 2017 年 | 125,000 円 |
| 2018 年 | 141,000 円 |
| 2019 年 | 156,000 円 |
| 2020 年 | 177,000 円 |
| 2021 年 | 185,000 円 |
| 2022 年 | 193,000 円 |
| 2023 年 | 195,000 円 |
| 2024 年 | 203,000 円 |
| 2025 年 | 217,000 円 |
| 2026 年 | 240,000 円 |
出典: 国土数値情報 (地価公示データ / 国土交通省) を加工して作成。公示価格は毎年 1 月 1 日時点の標準地について公表される値で、個々の土地の取引価格を示すものではありません。標準地の選定や所在地は年によって見直されることがあります。
近くの地点
北谷から近い順に並べています。あわせて見比べると、同じ地域がどう移り変わってきたかがつかめます。
地図の印を選ぶと地点名と移動リンクが開きます。
同じ成り立ちの地点
北谷と同じく埋立地として生まれた街を、離れた地域から選んでいます。土地の使われ方や街の形の共通点を見比べられます。
地図の印を選ぶと地点名と移動リンクが開きます。
さいきん見た街
この履歴はお使いの端末の中だけに保存され、サーバーには送られません。ブラウザーの設定によっては、しばらく訪れないでいると自動的に消えることがあります (アプリとして使うと消えにくくなります)。
別の街のうつりかわりも、のぞいてみませんか。
























北谷 (美浜) のあゆみ
東シナ海に面した浅い海を埋め立てて、北谷町の美浜はつくられた。地点のすぐ西は、1974〜78 年の空中写真では砂浜と珊瑚礁の広がる海で、そこに陸地が築かれ、陸上競技場などが載りはじめたのは 1980 年代の末である。南隣には飛行場が一本の滑走路を海岸に沿わせていた。写真は 1970 年代の一枚と今の一枚の二つしかないが、その二枚のあいだに、海と飛行場が町に置き換わる過程がまるごと挟まっている。
上陸の浜と基地の村
北谷はもともと、海岸の低地と東の台地からなる農村だった。字北谷を中心に広がる水田は県内でも名の知られた美田だったと北谷町は伝えている。その農村の暮らしは沖縄戦で途切れる。北谷の海岸は米軍が沖縄本島へ上陸した地点となり、村の全域が占領地となって、田畑は兵舎や飛行場へと姿を変えた。戦後も基地は村の土地の大半を占め続け、2023 年に更新された北谷町の資料でも、町の面積の約 51.6 % を米軍基地が占めると記されている。
基地のあいだに残された土地で暮らしを立て直すため、村は幹線道路を整え、海の埋立と山あいの宅地開発を進めた。人口が 1 万 5 千人を超えた翌年の 1980 年に町制へ移る。その翌年の 1981 年に、ハンビー飛行場とメイモスカラー射撃場が返還された。海岸に沿った軍用地が町に戻ったことで、西海岸のまちづくりが本格的に動き出す。
1974〜78 年の海岸線
画面の左半分は、1974〜78 年の写真では海の色で占められる。岸に近いところは白く明るい砂地で、沖へ向かって淡い青緑の浅瀬が広がり、ところどころに濃い青の深みが筋のように入り込む。地点のすぐ西の海岸では、砂浜が半円を描いて海へわずかに張り出し、その内側には草地と小さな屋根が点在するだけである。後に美浜の埋立地となる場所の大半は、この時点ではまだ海である。左端の黒い欠けは写真の提供範囲の外にあたり、海の一部が写っていない。
南へ目を移すと、海岸と並行に白く細い滑走路が一本、南北にまっすぐ延びている。両端には丸く白い円が描かれ、周りは乾いた草地に覆われる。これがハンビー飛行場で、北谷町の資料では返還された跡地の広さを 42.5 ha としている。滑走路のすぐ東には太い道路が平行に走り、その東側には四角い屋根の建物、野球場の菱形、楕円のトラック、青いプールが詰め込まれた基地の区画が続く。
中心のすぐ南には、小さな白い四角が何列にも整然と並ぶ一角がある。車両か資材を並べて置いた区画に見え、住宅の屋根とは並び方の規則が異なる。北側では、斜めに下ってくる幹線道路と海岸のあいだに、同じ形の屋根が曲がった道に沿って繰り返し並ぶ住宅地がある。画面の右半分は緑の濃い丘で、その谷あいや尾根の上にも、曲線の道に沿って同じ形の住宅が並ぶ区画がいくつも見える。日本の町の家並みよりも一棟ずつの間隔が広く、芝の面が建物を囲んでいる。
49 ha の埋立地と跡地
美浜の埋立は、返還された軍用地の跡地を効率よく使うことと、運動公園や住宅、産業の用地を確保することを目的に計画された。北谷町の記録では、桑江地先の公有水面を埋める工事が 1986 年 4 月に始まり、1987 年 9 月に完了し、1988 年に竣工した。広さは 49 ha の埋立地である。その上と周りには、1986 年から 1992 年にかけてソフトボール場、サンセットビーチ、陸上競技場、プールが順に整えられた。陸上競技場の工事は 1988 年 10 月から 1990 年 9 月までかかっている。
埋立地の上では、町が「美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ」と名付けた商業と観光の街区が 1990 年代の末から順に開業した。南の北前の地区では飛行場の跡地で土地区画整理が行われ、2003 年 3 月にはキャンプ桑江の北側が返還されて、ここでも跡地のまちづくりが始まる。返還、埋立、区画整理が、海岸に沿って南北に連なるように進んだ。
1974〜78 年に海だった場所には、今の写真で直線の護岸に縁取られた陸地が張り出し、その中に赤い陸上競技場の楕円と、隣の野球場が並んでいる。北寄りには大きな屋根の商業施設と広い駐車場が続き、海岸には弓なりの白い砂浜がつくられた。埋立地の南の縁には水路が東から海へ抜け、その南側の滑走路があった細長い帯は、細かい屋根で埋め尽くされている。滑走路の線そのものは写真から消えたが、海岸と東の太い道路に挟まれた帯の幅は、そのまま街区の幅として残る。
陸地の張り出しは美浜だけで終わらない。画面の左上も、1974〜78 年には白い砂浜が弧を描いて北へ続くだけだったが、今の写真では海側にもう一段の陸地が築かれ、防波堤に囲まれた船だまりと、海岸線に沿って背の高い建物の列が並ぶ。北谷町は、桑江地先の埋立に続けて浜川漁港の水面の埋立やフィッシャリーナ地区の開発を進め、西海岸に新しい街並みが生まれたと記している。1974〜78 年の海岸線を基準に取れば、その線より海側に立つ建物は、どれもこの撮影より後に海の上へ築かれた土地に載っていることが分かる。陸上競技場も、船だまりも、背の高い建物の列も、かつての波打ち際の外側にある。
右半分の丘と、曲線の道に沿った同じ形の住宅の区画は、今の写真でも大きくは変わっていない。滑走路の東にあった野球場の菱形も同じ位置に見える。海側で大きく姿を変えた土地と、ほとんど動かない丘の側とが、二枚の写真のあいだでくっきり分かれる。
埋立地も飛行場の跡も海に接した低い土地で、標高は中心で 4 m、南の計測点では 2 m しかない。津波や高潮の想定は、北谷町や沖縄県のハザードマップに住所を入れて調べるほかない。