貯木場の筏はどこから消えたか 新木場 有明 豊洲の昔の写真
東京湾の奥で筏が最初に消えたのは、豊洲の運河です。年代別の空中写真を同じ順に送ると、豊洲 の水面は 1987〜90 年の一枚でほぼ空になり、有明 の水路はその年代でもまだ筏で詰まり、夢の島・新木場 の池は同じ 1987〜90 年に密度がいちばん高くなります。消えた順は豊洲、有明、新木場です。3 か所は数 km しか離れていないのに、豊洲は 1987〜90 年までに、有明は 2026 年時点までに水面が空き、新木場は 2026 年時点でも一部の池に筏が残ります。
貯木場とは、丸太を筏に組んで水に浮かべたまま貯めておく水面のことです。陸の倉庫ではなく、護岸で囲った海や運河そのものが置き場になります。そのため空中写真では、茶色や黒の細長い塊が水面を格子のように覆う姿として写り、使われなくなると同じ枠が空の水面に戻ります。
| 年代 | 豊洲 | 有明 | 新木場 |
|---|---|---|---|
| 1961〜69 年 | 筏らしい細長い区画 | 細い水路を筏が埋める | 護岸の内側はまだ水面 |
| 1974〜78 年 | 筏がびっしり並ぶ | 中央上の水面に筏 | 池を筏の格子が覆う |
| 1979〜83 年 | 褐色の帯として健在 | 筏がむしろ増える | ほぼ隙間なく埋まる |
| 1984〜86 年 | 面積が目に見えて減る | 筏は健在 | 中央下の池だけ空く |
| 1987〜90 年 | ほぼ消える | 左上と右の端に残る | 密度が最も高い |
| 2026 年時点 | 左手に水面だけが残る | 短冊状の水面だけ | 破線の枠と左下の池の点々 |
豊洲 運河の筏が最初に退いた
1936〜42 年頃の写真で、豊洲はすでに運河に囲まれた四角い島として姿を見せ、戦後は岸に造船台の並ぶ工業の土地として写ります。その後に住宅と市場の街へ移っていく経過は地点ページで年代を送れば追えるので、ここでは運河に浮かんだ筏の増減に絞ります。
1961〜69 年の写真では、造船台の手前の水面に細長い区画が浮かび、光を受けて縞に見えます。材木を組んだ筏らしい姿ですが、この年代ではまだそう見えるという段階です。色の入る 1974〜78 年になると迷いはなくなり、褐色の筏が水面にびっしりと並びます。1979〜83 年でも同じ区画は筏の帯で覆われたままです。
変化が来るのは 1984〜86 年です。筏の面積が目に見えて減り、空いた水面が広がります。1987〜90 年の一枚では、筏がほぼ消えました。同じ画面の上寄りには何も建っていない広い裸地が現れ、運河の外側でも土地が次の使い道を待っています。運河の輪郭は 1936〜42 年頃の写真から動いていないので、変わったのは水の上に何を置くかだけです。
有明 草地の脇で水路が筏を抱え続けた
有明の 1961〜69 年の写真では、倉庫と工場の屋根が画面の左上を覆い、建屋のあいだの細い水路に黒く粗い塊がびっしりと浮かびます。豊洲の同じ年代が「筏らしい」にとどまるのに対し、有明の水路は塊の形がはっきり読み取れます。画面の中央から右下は、波の筋が見える一面の海のままです。
1974〜78 年になると、その海が黄土色の広い裸地に置き換わります。陸はできても建物はほとんどなく、中央上の水面には筏が並び続けます。1979〜83 年には裸地が草に覆われてくすんだ緑に変わりますが、水面の筏はむしろ増え、画面の左上と中央、右の端に沿って濃い帯をつくります。豊洲の筏が減りはじめる 1984〜86 年にも、有明の筏はまだ健在です。
1987〜90 年でも、右の端と左上には筏の塊が残っています。豊洲の運河がほぼ空になった年代に、すぐ南の有明では水面がなお使われていたことになります。この一枚では造成地の中央に細長い区画が何十本も平行に並び、草地が街に変わる準備が始まっています。
新木場 囲った池が最後まで埋まっていた
色の入る 1974〜78 年から、新木場の池は茶色い長方形の格子に覆われます。豊洲と有明の筏が帯や塊として写るのに対し、ここでは区画の割り付けまで読み取れるほど整った並び方です。池ごとの埋まり方を年代順に送る作業は 夢の島・新木場 の地点ページに任せ、3 か所を並べるうえで要になる一枚だけを挙げます。
それが 1987〜90 年の写真です。筏が池の水面を隙間なく覆い、密度は写真の並びのなかで最も高くなります。豊洲がほぼ空になった年代に、新木場では池が最も込み合っていました。
新木場の駅には 2026 年時点で 3 線が集まり、池のまわりの倉庫と工場の屋根は途切れずに続いています。木材の街として整えられた土地だけに、水面の使われ方は 3 か所のうちで最も遅くまで保たれました。
消えた順は周りの土地の行き先と重なる
3 か所の写真を同じ年代でそろえると、筏が水面から退いた時期は、周りの陸に次の用途が来た時期とよく重なって見えます。豊洲では 1987〜90 年に運河の筏がほぼ消え、同じ画面に何も建っていない広い裸地が現れました。工場の島が別の街へ移る準備と、水面が空く動きが同じ一枚に並んでいます。
有明では、造成地が草地のまま置かれていた 1979〜83 年と 1984〜86 年に筏がむしろ厚くなり、街の下地となる区画が並ぶ 1987〜90 年でも筏はまだ残っていました。水面が空いた姿は、その次の 2026 年時点の写真で初めて確かめられます。新木場はもともと木材を扱うために整えられた場所で、まわりの陸が別の用途へ移る理由を持ちませんでした。そのため池が最後まで埋まっていたと読めます。
筏の有無は、木材の取引量だけで決まったのではなさそうです。写真から読み取れるのは時期の差と隣の陸の変化までで、各社の事情までは分かりません。
なぜ貯木場の水面は空になったのか
国土交通省の港湾局は、輸送の形が変わって原木よりも製材の形で輸入される木材が増え、水面貯木場の一部が使われなくなりつつあると説明しています。丸太を水に浮かべて貯めるのは、まだ加工されていない原木を扱うための方法です。板や角材に挽かれた状態で届く木材は、水に浮かべる必要がありません。
写真の上では、この流れが一度に起きたわけではありません。豊洲で筏が減りはじめた 1984〜86 年に、新木場では空いた池が 1 つだけで、残りはまだ埋まっていました。原木の扱いが細っていく大きな変化のなかで、どの水面から先に手放されたかは、場所ごとの事情に左右されたことになります。
2026 年時点の写真に残る池の輪郭
貯木場が 2026 年時点でどう写るかを確かめると、3 か所とも水面そのものは消えずに残っています。消えたのは筏のほうです。
新木場では、2026 年時点の写真で池の水面から材木がほぼ見えなくなり、区画を示す破線の枠だけが水の上に残ります。周囲は倉庫と工場の屋根で埋まり、左下の池にだけ材木の筏が点々と写っています。有明では、画面の右の端に細長い水面が短冊のように並ぶ一帯があり、筏を浮かべていた頃の水の割り方を形だけ伝えています。豊洲では、画面の左手に埋められなかった水面が残り、そこを斜めに橋が渡ります。
同じ「残った水面」でも、新木場は区画の枠まで、有明は短冊の割り方まで、豊洲は水面の広がりだけが残りました。筏が早く消えた場所ほど、貯木場だった手がかりが薄くなっています。どの池が 2026 年時点で実際に使われているかは写真からは決められないため、ここでは見え方の違いだけを記します。
神戸 宇品 富山新港 筏とは言い切れない水面
東京の外にも水面に何かが並ぶ港がありますが、筏とは読み切れません。
神戸ハーバーランド の 1961〜69 年の写真で上屋の北側に残る四角く暗い水面は、港の古い岸を並べた記事 でも触れたとおり、船だまりとも貯木の水面とも決められません。宇品・広島港地区 の 1987〜90 年の写真では、街区に囲まれた四角い水面の岸壁沿いに橙褐色の細長い塊がびっしり並びます。筏のようにも見えますが、写真だけでは断定できません。富山新港 (新湊) の 1961〜69 年の写真には、港になる前の放生津潟が写り、その北岸に細長い塊が群れをつくって並びます。こちらも筏か桟橋かは写真からは分かりません。
| 地点 | 見られる写真の年代 | 水面に見えるもの | 読み取りの限度 |
|---|---|---|---|
| 神戸ハーバーランド | 1945〜50 年から 1984〜86 年 | 1961〜69 年に囲われた暗い水面 | 船だまりか貯木の水面か決められない |
| 宇品・広島港地区 | 1945〜50 年から 1987〜90 年 | 1987〜90 年に岸壁沿いの細長い塊 | 筏のようにも見える |
| 富山新港 (新湊) | 1961〜69 年と 1974〜78 年 | 1961〜69 年に潟の北岸の塊 | 筏か桟橋か決められない |
3 か所とも、筏の有無を年代ごとに追えるだけの手がかりがありません。神戸ハーバーランドには 1987〜90 年の写真がなく、宇品には 1984〜86 年の写真がなく、富山新港は 2 つの年代しか写真がそろっていません。東京湾の 3 か所で消えた順番まで追えたのは、7 つの年代の写真が切れ目なく並んでいるからです。地方の港の水面は、区画が見えるという事実を手がかりに、地点ページで年代を送って確かめてください。
2 枚ずつ往復して消えた順を確かめる
筏の増減は、1 枚の写真を眺めるより、隣り合う 2 つの年代を往復させたほうがはっきり出ます。
| 地点 | 往復させる年代 | 目を向ける場所 | 見えてくる変化 |
|---|---|---|---|
| 豊洲 | 1979〜83 年と 1984〜86 年 | 運河の水面 | 褐色の帯が細り、空いた水面が広がる |
| 豊洲 | 1984〜86 年と 1987〜90 年 | 運河と上寄りの裸地 | 筏がほぼ消え、隣に広い裸地が現れる |
| 有明 | 1974〜78 年と 1979〜83 年 | 中央上と右の端の水面 | 裸地が草地に変わる一方で筏が増える |
| 有明 | 1987〜90 年と 2026 年時点の写真 | 右の端 | 筏の塊が短冊状の水面だけになる |
| 夢の島・新木場 | 1984〜86 年と 1987〜90 年 | 中央の下側の池 | 空いた池がふたたび筏で埋まる |
| 夢の島・新木場 | 1987〜90 年と 2026 年時点の写真 | 池の全体 | 最も密な水面が破線の枠だけになる |
湾岸の埋立地が年代ごとに何へ割り当てられてきたかは 東京湾岸 60 年 埋立の目的の移り変わり に、写真の年代ごとの写り方の違いは 空中写真の年代ガイド にまとめています。筏の消えた順を確かめたあとは、昔は海だった場所の記事 で、水面を囲った土地がその後どんな街になったかを見比べてください。