掘り込み港湾の地形を空中写真で比べる
海を埋めるか、陸を掘るか
港を新しく造る方法は、大きく二つに分かれます。海側へ土砂を運んで陸を張り出す埋立と、海岸の内側にある陸地を掘り下げて水面をつくる掘り込みです。埋立が選ばれるのは、多くの場合、浅い海が沖まで続き、背後に使える平地の余裕がない場所です。掘り込みはその逆で、水深の浅い砂浜や砂丘が長く延び、背後に用途の限られた土地が広がる海岸で成り立ちます。掘った土砂をそのまま隣接地の造成に回せることも、この方式の利点でした。
陸を掘って水面をつくるという選び方は、空中写真の上で形になって出てきます。年代を順に送ると、埋立の岸は海へ向かって直線的に生えていき、掘り込みの水面は陸の内側へ向かって食い込んでいきます。同じ枠の同じ位置で年代を切り替えるだけで、輪郭が伸びる向きの違いを見分けられます。
掘り込みで造られた港には、もう一つ共通した見え方があります。最も古い年代の写真に、港らしいものがほとんど写っていないことです。入り江や河口を使った港なら、船が着く前から水面はそこにあります。陸を掘る港では、水面そのものが後から現れます。畑や原野、砂の帯が占めていた面が、次の年代で濃い色の水域へ置き換わる。この落差が、掘り込みの港をたどるときの手がかりになります。
| 地点 | 所在 | 最も古い写真 | その写真に写るもの |
|---|---|---|---|
| 鹿島臨海工業地帯 | 茨城県 | 1961〜69 年 | 砂の帯が続く海岸と、隅から隅までの畑 |
| 苫小牧港 (西港) | 北海道 | 1961〜69 年 | 原野と耕地状の区画。水面は南端の水路だけ |
| 富山新港 (新湊) | 富山県 | 1961〜69 年 | 砂州にふさがれた潟湖の広い水面 |
| 田子の浦港 | 静岡県 | 1961〜69 年 | 細長い暗い水面と狭い口、造成中の裸地 |
| 仙台港 (仙台新港) | 宮城県 | 1945〜50 年 | 斜めの砂浜と松の黒い帯、海岸に平行な細長い水面 |
| 八戸港臨海工業地帯 | 青森県 | 1961〜69 年 | 河口を回り込む砂の面と、密な市街 |
砂丘の畑が航路になった鹿島
鹿島灘に沿った砂丘地の上に置かれた工業地では、1961〜69 年、1974〜78 年、1979〜83 年、1984〜86 年の四つの年代がそろいます。砂の畑だった面が設備と原料の山で埋まるまでを、段階に分けて追えます。
最も古い写真は白黒です。海は右上から右辺にかけての一帯だけで、白い波の筋が斜めに並びます。波打ち際は北北東から南南西へ傾いた線をつくり、その内側に明るい砂の帯が幅広く延びます。堤も岸壁も、船を着けるための構造物は一つも写りません。陸へ目を移すと、画面は隅まで畑で埋まっています。内陸寄りは一区画の大きな格子、海寄りは向きのそろわない細長い短冊で、そのあいだに暗い樹林の塊と家の小さな集まりが挟まります。
1974〜78 年へ切り替えると、海だった右側に濃紺の水路が北東から南西へ斜めに差し込みます。両岸は直線の護岸で固められ、奥には白い護岸で囲まれた四角い切り込みがあります。水が外から入ったのではなく、陸の側を通されたことが縁の直線に出ています。畑のあった面には高い塔状の構造物と煙突が集まり、右下には白い円形のタンクが数十基まとまります。畑の格子は残りません。
1979〜83 年では中央の設備が濃さと広さを増し、東側に長い帯が何本も並ぶ暗い面が開きます。1984〜86 年になると、その帯の色が黒と赤褐色の二つに分かれて見えてきます。2026 年時点の写真では、灰紫から黒のヤードと赤錆色の屋根の列が広がり、岸壁に赤い船体の大型船が横付けしています。1984〜86 年に道路の割りつけだけが入っていた右上の区画は、芝と樹の緑とタンクに変わりました。
原野の南端から掘り進んだ苫小牧
太平洋に面した砂浜の一角が、内陸へ向かって四角く切れ込んでいます。1963 年に掘込式の港として開港した苫小牧の西港区です。東には勇払原野が広がり、泥炭と砂の低い土地が海岸線まで続きます。大型船を入れられる湾入のない海岸で、掘るという工法が選ばれました。
1961〜69 年の写真では、水面の乏しさが先に目に入ります。画面の大半は淡い色の原野と耕地状の区画で、直線の地割りと縞のような筋が並びます。水が写るのは南の端だけです。丸みのある水面が細い首でつながって角ばった広い水面になり、そこからまっすぐな水路が南へ下って海へ抜けます。口の左右には短い突堤が出ています。掘り下げが海に近い側から始まり、内陸へはまだ届いていない段階と読めます。
1974〜78 年へ送ると、原野だった中央に濃い青緑の水面が大きく開きます。縁は角の立った岸壁で囲われ、耕地状の縞はその線で断たれています。北岸の黒い平場には細長い堆積が何列も並び、湾曲した帯がその周りを回り込みます。北東には赤褐色の方形の区画と白い円形タンクの列が現れ、西岸には緑色の屋根の長い建屋が列をつくります。
2026 年時点の写真では、泊地の北へ張り出したふ頭が広い舗装の平場になり、白灰色の長い上屋と白い車両の列が並びます。1974〜78 年に北岸を占めていた黒い平場は舗装と緑に変わり、黒い堆積は東側の岸へ移りました。それでも、最も古い写真で海へ抜けていたまっすぐな水路と、2026 年時点の港の口は、画面のほぼ同じ位置にあります。水路の向きは動きません。
潟湖の水面を港に切り替えた富山新港
富山湾に向かって開いた砂州の内側には、放生津潟という潟湖がありました。川が運んだ砂と礫が細長く積もった帯が、外海と水面を隔てていた地形です。掘り下げれば深い水を確保でき、外洋のうねりは砂州がさえぎってくれます。掘るべき水面が先にあったという点で、ほかの掘り込みの港とは前提が違います。1968 年に開港しました。
1961〜69 年の写真は白黒で、上半分をほとんど富山湾の暗い海面が占めます。中央から下にかけては大きな暗い水面が横に広がり、これが潟です。潟と海のあいだには砂州が左下から右上へ斜めに伸び、その背に家並みが密に連なり、直線の線が一本、端から端まで通ります。砂州の東寄りには、砂州を断つ細い暗い帯が縦に入るだけです。
1974〜78 年では、その東寄りの一帯がまるごと断たれ、幅の広い水路が潟と外海をつないでいます。港の口です。断たれた両側には家並みがそのまま残り、砂州の背を通っていた線は東と西で行き止まりになります。砂州の北の海面には、細い白線が大きな四角形を囲みます。囲みの内側はまだ水面のままで、護岸だけが先に描かれた段階と読めます。
2026 年時点の写真では、その囲みの内側が陸になり、芝と樹の帯、環状の道、半円形の広場が置かれ、水際に帆をもつ船が係留されています。港の口には 2 本の主塔から扇形にケーブルを張った橋が高く渡ります。2012 年に開通した新湊大橋です。断たれた両岸は、長く県が営む渡船で結ばれていました。左端まで目を移すと、内川らしい細い水路とそれを縁取る密な家並みが、最も古い年代とほぼ同じ位置に残っています。
製紙の街が掘り下げた田子の浦
駿河湾の奥、富士川が運んだ砂と礫が積もった直線の浜に 田子の浦港 があります。背後には製紙の工場が集まり、原料と燃料を大量に運び入れる必要がありました。岬も入り江もない浜辺で、選ばれたのは浜の後ろを掘り下げる方法でした。1960 年代の初めに掘込式の港として開かれています。
1961〜69 年の粗い白黒では、細長い暗い水面が浜の内側に横たわり、外海へ通じる口は狭く絞られています。1974〜78 年になると、水面は三角形の泊地の形に整い、縁が直線の護岸へ切り替わります。1979〜83 年の写真は全体が暗く、港内の水がとりわけ黒く沈みます。突堤の上には白い円筒形のタンクが列をつくり、右下の隅は写真が無いまま抜けています。1987〜90 年では港内の水が青緑に明るくなり、沖には白い矩形が等間隔に並びます。2026 年時点では水面が三方へ枝を伸ばし、東側には芝と園路、赤い屋根の大きな建物が置かれました。
浜の後ろに水を通した仙台港
仙台の市街から東へ 10 km あまり、名取川と七北田川が運んだ砂の長い浜と、江戸期に開かれた貞山運河の細い水面が並ぶ低地に 仙台港 (仙台新港) が置かれました。この地点は 1945〜50 年までさかのぼれるため、掘り込みの前の姿をほかの港より一段古い時点から見られます。
その最も古い写真では、海岸線が斜めに走り、内側に松の黒い帯が続きます。陸側は短冊状の田畑で埋まり、中央の下には海岸と平行に細長い水面が延びて、先が鉤の形に折れています。右下の三角は撮影されていません。1961〜69 年へ送っても、この構図はほとんど動きません。浜の後ろに水を通す改変は、次の年代で一度に現れます。1974〜78 年では画面の中央を幅の広い水面が斜めに貫き、右上に円い屋根のタンクが整列します。1971 年に開港しました。1984〜86 年になると航路の両岸に埠頭の直線が加わり、船が 2 隻、航跡を引いています。南側にはまだ砂浜が残ります。
2026 年時点では、南西の岸に赤と青のコンテナと脚の長いクレーンが並び、北西には長い倉庫と白い船体が写ります。南西の隅には暗い水面と草地、白い砂浜が続き、掘り込みが届かなかった側にあたります。2011 年の東日本大震災では、津波がこの沿岸に達しました。
掘るのか、外へ出すのか
同じ工業港でも、水面をどちらの向きに得たのかは写真の縁の形で分かれます。小名浜港 は弧を描く砂の海岸の内側にある港です。1961〜69 年の写真では画面の下半分が一面の海で、岸と平行に白い砕波の筋が走ります。方形の埋立面は右寄りに一つあるだけで、北には黒い屋根の家並みが密に集まり、放射状の道が延びます。左半分は短冊の畑です。1974〜78 年では櫛の歯のような 4 本の埠頭が海側へ張り出し、そのあいだに細長い水面が挟まります。砂浜は直線の護岸に置き換わり、岸沿いには何十本もの線路の束が並びます。陸を掘って水面を得るのではなく、陸を海へ出して水面を囲む形です。2026 年時点でも 4 本の埠頭は同じ位置にあり、線路の束は消えて細かい縞の大屋根に変わりました。中央の埠頭には丸い屋根の建物と緑の植栽が入り、沖の堤はさらに延びています。
八戸港臨海工業地帯 は、馬淵川と新井田川の河口に開けた低地です。1961〜69 年の粒子の粗い白黒では、上半分が波の筋の海で、右上は範囲の外として白く抜けています。明るい砂の面が弧を描いて南東へ延び、河口は狭く、砂州を回り込んで海へ出ます。沖へ出る堤は細い 1 本だけで、下半分は密な市街です。1974〜78 年では砂の弧が消え、直線で縁を切った明るい面に変わり、円形のタンクが数十基並びます。沖の白い堤は何度も角をつくり、その途切れが船の出入口です。南東には櫛の歯状の埠頭が加わります。2026 年時点では中央から沖へ L 字の大きな埠頭が出て、東の離れた面には白く丸い大型のタンク 2 基と長い桟橋が写ります。北西には黒褐色の広い面と暗い長い建屋があり、南から橋が 1 本渡ります。それでも、川が海へ抜ける向きだけは最も古い年代と同じです。
数メートルの土地に並ぶ水面
掘り込みが成り立った土地は、どこも低く平らです。五つの計測点の値を並べると、その平らさが数字に出ます。鹿島臨海工業地帯だけは 8 m の前後でそろい、もとの起伏を削って一つの高さに合わせた造成の跡が読めます。ほかの港は中心の値が 1 m 前後から 4 m に収まり、方位による差も数十センチから数メートルです。方位の点が水面にかかると値は得られないため、表ではその旨を書いています。
| 地点 | 中心 | 北 | 南 | 東 | 西 |
|---|---|---|---|---|---|
| 鹿島臨海工業地帯 | 8.1 m | 8.0 m | 8.1 m | 8.0 m | 8.2 m |
| 苫小牧港 (西港) | 3.9 m | 4.6 m | 2.9 m | 5.8 m | 水面のため値なし |
| 富山新港 (新湊) | 3.6 m | 3.1 m | 2.3 m | 2.2 m | 2.2 m |
| 田子の浦港 | 3.7 m | 3.0 m | 9.3 m | 1.8 m | 4.4 m |
| 仙台港 (仙台新港) | 3.4 m | 値なし | 値なし | 1.5 m | 4.3 m |
| 小名浜港 | 2.0 m | 2.6 m | 1.8 m | 1.3 m | 3.3 m |
| 八戸港臨海工業地帯 | 0.9 m | 値なし | 1.0 m | 値なし | 2.4 m |
田子の浦港の南で 9.3 m という値が出るのは、駿河湾に迫る斜面の側に点が当たるためです。高潮や津波でどこまでが想定の範囲に入るかは、それぞれの市が公開しているハザードマップに範囲として示されています。空中写真から読めるのは地形の形までで、想定の線は図の側にあります。
港のまわりで付く値
港の敷地そのものには、地価公示の参照点が置かれないことが多いです。表に挙げたのは、港から数百メートルから 3 km ほど離れた住宅や事業所の土地で、価格は 1 平方メートルあたりの値です。記録の始まる年が地点ごとに違うため、同じ年で横に並べる比較はできません。読み取れるのは、それぞれの参照点で最初の年と 2025 年がどちら向きに離れているかです。
| 地点 | 参照点と用途 | 港からの距離 | 記録の始まり | 2025 年 |
|---|---|---|---|---|
| 鹿島臨海工業地帯 | 神栖市奥野谷・事務所 | 約 2.9 km | 2011 年 2 万円 | 1 万 7,200 円 |
| 苫小牧港 (西港) | 苫小牧市船見町・住宅 | 約 1.1 km | 2013 年 1 万 9,300 円 | 1 万 7,400 円 |
| 富山新港 (新湊) | 高岡市石丸・工場 | 約 1.4 km | 2003 年 1 万 9 千円 | 1 万 5,400 円 |
| 田子の浦港 | 富士市鈴川中町・住宅 | 約 433 m | 2005 年 7 万円 | 3 万 4,100 円 |
| 仙台港 (仙台新港) | 仙台市宮城野区港 4 丁目・事務所と倉庫 | 約 1.7 km | 2013 年 3 万 1 千円 | 7 万 1 千円 |
| 小名浜港 | いわき市小名浜字燈籠原・住宅 | 約 1.2 km | 2013 年 2 万 9 千円 | 4 万 3,700 円 |
| 八戸港臨海工業地帯 | 八戸市新湊 1 丁目・住宅 | 約 645 m | 1994 年 4 万 9 千円 | 2 万 8,400 円 |
仙台港と小名浜港の参照点では、記録の始まりより 2025 年が高い値です。八戸港の参照点は 1999〜2002 年に 5 万 4,400 円を付けたあと、2025 年が記録のなかで最も低い値になっています。田子の浦港の参照点も 2025 年が最も低い値です。港の設備が置かれた面の値ではなく、その周りで人が住み、事業を営む土地の値として読むことになります。
年代を往復させて見る点
掘り込みの港を写真で確かめるとき、手がかりは三つあります。一つは水面が伸びる向きです。埋立の岸は沖へ、掘り込みの水面は陸へ向かいます。二つ目は縁の直線です。掘って通した水路の岸は角が立ち、砂浜の弧や河口の砂州のような曲線が途中で断たれます。三つ目は掘られなかった部分です。仙台港の南西の隅に残る池と草地、富山新港の左端に残る細い水路と家並みは、改変の前からあった形です。残った形が前史を語るという読み方は、年代を切り替えるだけで試せます。
本記事の価格は各時点の実例であり、執筆後の市場価格を反映するものではありません。