毘沙門台の約 60 年前と今

広島県 / 毘沙門台周辺の 1961〜1969 年の空中写真と現在の写真を重ねて比較できます。写真はすべて国土地理院が公開しているものです。

昔と今の比較

1961〜1969 年1961〜69 年 (出典: 国土地理院)
現在今 (出典: 国土地理院)

この年代の見どころ: 右手の細長い谷に段々の区画と小さな集落がある。十数年たっても丘の上が森のままだと分かる

出典: 地理院タイル (年代別空中写真 / 全国最新写真) を加工して作成

この周辺を自由に見る地図を動かして、まわりの昔と今も見比べられます。

この地点で見られる写真の年代

毘沙門台周辺では、次の年代の空中写真を比較に使えます。

写真の年代のタイムライン: 1945〜1950 年、1961〜1969 年 (最初に表示される年代)、1974〜1978 年、1979〜1983 年、1987〜1990 年。右端は今 1945〜1950 年 1961〜1969 年最初に表示される年代 1974〜1978 年 1979〜1983 年 1987〜1990 年 19401960198020002020今
写真の年代のタイムライン: 1945〜1950 年、1961〜1969 年 (最初に表示される年代)、1974〜1978 年、1979〜1983 年、1987〜1990 年。右端は今 1945〜1950 年 1961〜1969 年最初に表示される年代 1974〜1978 年 1979〜1983 年 1987〜1990 年 1940196019802000今

年代ごとの提供範囲は地域によって異なります。ここに挙げた年代は、この地点で実際に写真が提供されているものだけを載せています。

毘沙門台のあゆみ

枠の上半分を、段になって並ぶ屋根の群れが占めている。列は等高線をなぞって弧を描き、列と列のあいだに擁壁の細い影が落ちる。広島県広島市安佐南区の毘沙門台である。空中写真を古い年代から開くと、初めの二枚にこの段は無い。丘の上は森の尾根と小さな谷ばかりで、家は枠の下寄りの谷底にだけ並んでいる。丘の上の住宅地は、探して見つけた平地ではなく、削って作った面の上にある。

森だけの丘と谷底の町

毘沙門台という名は毘沙門天にちなむ。丘の上の古い集落の名を継いだというよりは、丘そのものに付いた名とみられる。1945〜50 年の白黒の一枚では、枠の大半が森である。尾根と谷が細かく入り組み、谷の一本ごとに影が落ちて、丘の表面が皺のように見える。人の手が入っているのは枠の下と右で、谷の底に細かく区切られた耕地が並び、その脇を川が流れる。川床には白い砂や砂利が広く現れ、水の筋は何本かに分かれている。町は川筋に沿って細長く続き、屋根の粒は谷から離れるほど疎になる。

1961〜69 年になっても丘は森のままである。稜線と小さな谷の刻みがはっきりし、暗い緑が枠の中央から北を覆う。右手には南北に細長い谷があり、斜面には段々の明るい区画と小さな集落が写る。下半分は谷底の耕地で、区画の形は前の年代とほとんど変わらない。左下では、まっすぐな二本の線が谷底の耕地を長く横切っている。二枚のあいだに十数年あるのに、丘の上には見分けのつく変化がない。

尾根を削って段をつくる

1974〜78 年は、この地点で色がつく最初の年代であり、丘の様子が入れ替わる最初の年代でもある。枠の上中央に明るい肌色の広い面が現れる。森が剥がれて土がむき出しになった造成地で、そこには直線の道が通り、面はいくつもの区画に分けられている。区画の内側には細い平行の線が規則正しく並ぶ。一区画ずつの敷地の境界であり、区画の線だけが先に引かれ、建物はまだ一つも建っていない。

その南では、曲線に沿った段の上に小さな屋根が並び始めている。さらに手前には、まだ土のままの段が弧を描いて刻まれている。丘の上に住宅地を作る工事は、平らな土地を一枚敷くのではなく、斜面を等高線に沿って何段にも削り、段ごとに道を通して宅地を並べる形で進む。尾根を削り谷を埋める土の量は多いが、傾いたままの斜面よりも家を並べやすい。この一枚には、削り終えた段・建ち始めた段・まだ削っている段の三つが同時に写っている。

屋根で埋まるまでの十数年

1979〜83 年では、裸だった面が小さな屋根で埋まっている。段に沿って屋根の列が幾重にも並び、列の向きは道の向きとそろう。台地の縁には大きな平屋根の建物と広い運動場が加わり、学校らしい形が読み取れる。枠の下半分では谷底の町が目に見えて濃くなり、その中を東西に細長い裸の帯が横切っている。

この地点には 1984〜86 年の写真が無く、次は 1987〜90 年へ飛ぶ。1987〜90 年の一枚では、団地の中心部はすでに建て込み、区画のなかで空いているのは数枚の面だけである。目を引くのは東側で、森の斜面に白い切り開きの道が蛇行し、削られた土の面が枝のように広がっている。造成が次の斜面へ移っていく途中の姿である。谷底を横切っていた裸の帯は幅の広い道になり、枠の右下では大きな環を描く分岐がそれにつながっている。

丘が屋根で埋まってからも、この街に軌道は通っていなかった。1994 年に軌道が開業し、丘の下に毘沙門台駅が置かれる。道路と自動車で先に街ができ、鉄道が十年以上あとから追いかけた順である。同じ広島市で丘を削って作られた住宅地としては、[高陽ニュータウン](/spot/koyo-nt/) がある。

高さの差と削った形

今の一枚では、段の列がさらに増え、屋根の色は白や淡い青に変わっている。団地の中央には学校らしい施設が二か所あり、長い校舎と体育館らしい大きな屋根、土色の広い運動場、青い長方形の水面が並ぶ。住宅の列のあいだには濃い緑の帯が指のように入り込む。削らずに残された小さな谷で、段の縁を縁取りながら丘の下まで続いている。1987〜90 年に一枚だけ空いていた広い面は、淡い色のまま空いた状態で残っている。反対に、あのとき白く削られていた東の斜面は緑に戻り、造成の跡は木立に覆われて見分けにくい。谷底には大きな平屋根の建物と広い道が集まり、丘の上の家並みとのあいだは緑の帯で隔てられている。

測られた五点のうち、いちばん高いのは北の 140.2 m である。枠の上の縁を占める森の尾根に当たる。いちばん低いのは西の 92.4 m で、中心は 106.6 m、南は 100.0 m、東は 100.8 m である。差は 47.8 m あり、団地が乗る面と、それを囲む山や谷の高さの違いがそのまま出ている。中心の値が段の上の高さで、周りの四点はその外側の斜面を拾っている。斜面を削って段にした土地であるから、雨の水は段のあいだを下って谷の底へ集まる。広島市のハザードマップには土砂災害と浸水の想定が地区ごとに描かれているので、丘の上と谷の底のどちらに当たるかを確かめておきたい。

価格の記録は新しい。安東 2 丁目の住宅地に置かれた調査点で 2016 年に始まり、1 平方メートルあたり 7 万 4,100 円だった。そこから下がった年が無く、2025 年は 8 万 6,900 円である。記録の初めが最も安く、末が最も高い並びで、差は 1 万 2,800 円ほどになる。調査点はこの地点から 659 m ほどのところにある。

五枚を順に開くと、森・裸地・屋根という三つの段階が丘の上で入れ替わっていく。削った段がそのまま残るのがこの土地の形で、屋根の列が描く弧は、工事の道が等高線をなぞった跡である。

主な出来事
年出来事
1945〜50 年丘の全体が森で、耕地と集落は谷の底だけに写る
1974〜78 年丘の上に明るい裸の面が現れ、区画の線が引かれる
1979〜83 年裸の面が屋根で埋まり、学校らしい屋根と運動場が加わる
1987〜90 年東の斜面で次の造成が進み、谷底に幅の広い道が通る
1994 年丘の下に広島新交通 1 号線の毘沙門台駅が開業する
写真の見どころ
年代見どころ
1945〜50 年枠の右下の谷に並ぶ細かい耕地と、白く広がる川床の砂を探したい。丘の上には何も無い
1961〜69 年右手の細長い谷に段々の区画と小さな集落がある。十数年たっても丘の上が森のままだと分かる
1974〜78 年上中央の裸の面に引かれた細い平行の線を見たい。区画だけができて建物が無い状態が写っている
1979〜83 年同じ面が屋根で埋まっている。谷底を東西に横切る細長い裸の帯も見つかる
1987〜90 年東の斜面に白く蛇行する切り開きの道がある。造成が次の斜面へ移る途中である

この地点の標高

毘沙門台の代表地点の標高は 106.6 m です (出典: 国土地理院 標高 API)。あわせて、この地点を中心とした東西と南北の標高の断面を載せています。

周辺の標高断面 (中心から東西 / 南北へおよそ 1 km ずつ)

断面の位置 (縦の緑の線 = 南北 / 横の青い線 = 東西)

東西の断面: 西端 22.0 m、東端 89.1 m、最高 118.3 m、最低 22.0 m、中心 106.4 m。縦方向は水平の約 2.4 倍に拡大 西 東西の断面 (縦 ×2.4 に拡大) 東 0 m 50 m 100 m 150 m 200 m -0.5 km 0 +0.5 km 106.4 m 118.3 m 22.0 m
東西の断面: 西端 22.0 m、東端 89.1 m、最高 118.3 m、最低 22.0 m、中心 106.4 m。縦方向は水平の約 4 倍に拡大 西 東西の断面 (縦 ×4 に拡大) 東 0 m 50 m 100 m 150 m 200 m -0.5 km 0 +0.5 km 106.4 m 118.3 m 22.0 m
南北の断面: 北端 180.5 m、南端 15.7 m、最高 180.5 m、最低 8.7 m、中心 106.4 m。縦方向は水平の約 2.4 倍に拡大 北 南北の断面 (縦 ×2.4 に拡大) 南 0 m 50 m 100 m 150 m 200 m -0.5 km 0 +0.5 km 106.4 m 180.5 m 8.7 m
南北の断面: 北端 180.5 m、南端 15.7 m、最高 180.5 m、最低 8.7 m、中心 106.4 m。縦方向は水平の約 4 倍に拡大 北 南北の断面 (縦 ×4 に拡大) 南 0 m 50 m 100 m 150 m 200 m -0.5 km 0 +0.5 km 106.4 m 180.5 m

標高は地表面の値です (駅が地下や高架にある場合も、値は地表面のものです)。標高は防災上の一要素にすぎません。実際の水害リスクなどは、ハザードマップポータルサイトや自治体が公表するハザードマップでご確認ください。

断面の標高タイル: 地理院タイルを加工して作成

鉄道でのアクセス

毘沙門台の最寄り駅のひとつは毘沙門台駅で、次の路線が利用できます。

路線情報の出典: 国土数値情報 (鉄道データ / 国土交通省) を加工して作成。

写真から見た変化のようす

1961〜1969 年の写真と現在の写真を機械的に比べると、見た目の変化の大きさは、掲載地点の中ではやや大きい部類 (上位 2〜4 割)です。下のバーは、この地点の変化の大きさが掲載地点の分布のどのあたりにあるかを示しています。

この地点 24.7 最小 12.5 中央値 23.2 最大 89.6
この地点 24.7 最小 12.5 中央値 23.2 最大 89.6

変化の大きさは、2 枚の写真の画素の明暗差の平均 (この地点は 24.7 / 0〜255 の範囲) にもとづきます。また、写真のきめ細かさ (テクスチャ量) は 23.1 から 44 へ変わっています。いずれも写真どうしの機械的な比較で、撮影時期や白黒とカラーの違いによる差も含まれるため、あくまで目安としてご覧ください。

地価公示価格の推移

この地点に最も近い地価公示の標準地は「広島県 広島市安佐南区安東2丁目1728番1」(直線距離で約 659 m / 用途は住宅) です。この標準地の 2016 年から 2026 年までの公示価格 (1 平方メートル当たり) の推移は次のとおりです。

毘沙門台の最寄り標準地の地価公示価格の推移 (2016 年から 2026 年 / 1 平方メートル当たり) 0 円2.5 万円5 万円7.5 万円 2016 年: 7.4 万円2017 年: 7.5 万円2018 年: 7.6 万円2019 年: 7.7 万円2020 年: 7.8 万円2021 年: 7.9 万円2022 年: 8.1 万円2023 年: 8.3 万円2024 年: 8.4 万円2025 年: 8.7 万円2026 年: 9 万円7.4 万円9 万円201620202026
毘沙門台の最寄り標準地の地価公示価格の推移 (2016 年から 2026 年 / 1 平方メートル当たり) 0 円2.5 万円5 万円7.5 万円 2016 年: 7.4 万円2017 年: 7.5 万円2018 年: 7.6 万円2019 年: 7.7 万円2020 年: 7.8 万円2021 年: 7.9 万円2022 年: 8.1 万円2023 年: 8.3 万円2024 年: 8.4 万円2025 年: 8.7 万円2026 年: 9 万円7.4 万円9 万円201620202026
推移を表で見る
公示価格の推移 (1 平方メートル当たり)
年公示価格
2016 年74,100 円
2017 年74,900 円
2018 年75,600 円
2019 年77,000 円
2020 年78,400 円
2021 年79,300 円
2022 年80,800 円
2023 年82,500 円
2024 年84,500 円
2025 年86,900 円
2026 年90,000 円

出典: 国土数値情報 (地価公示データ / 国土交通省) を加工して作成。公示価格は毎年 1 月 1 日時点の標準地について公表される値で、個々の土地の取引価格を示すものではありません。標準地の選定や所在地は年によって見直されることがあります。

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