敦賀 (港町と駅) の約 60 年前と今

福井県 / 敦賀 (港町と駅)周辺の 1961〜1969 年の空中写真と現在の写真を重ねて比較できます。写真はすべて国土地理院が公開しているものです。

昔と今の比較

1961〜1969 年1961〜69 年 (出典: 国土地理院)
現在今 (出典: 国土地理院)

この年代の見どころ: 画面の左上に、岸から沖へ突き出した細い桟橋が一本立つ。1974〜78 年には同じ場所に、白い倉庫を載せた長方形の埠頭が張り出す

出典: 地理院タイル (年代別空中写真 / 全国最新写真) を加工して作成

この周辺を自由に見る地図を動かして、まわりの昔と今も見比べられます。

この地点で見られる写真の年代

敦賀 (港町と駅)周辺では、次の年代の空中写真を比較に使えます。

写真の年代のタイムライン: 1961〜1969 年 (最初に表示される年代)、1974〜1978 年。右端は今 1961〜1969 年最初に表示される年代 1974〜1978 年 19401960198020002020今
写真の年代のタイムライン: 1961〜1969 年 (最初に表示される年代)、1974〜1978 年。右端は今 1961〜1969 年最初に表示される年代 1974〜1978 年 1940196019802000今

この地点の昔の写真は 1961〜1969 年から 1974〜1978 年までの 2 世代で、最も新しい 1974〜1978 年の写真は 2026 年時点では 48〜52 年前にあたります。これより後で現在の写真より前の年代の写真は、この地点では見られません。年代ごとの違いは空中写真の年代ガイドにまとめています。

年代ごとの提供範囲は地域によって異なります。ここに挙げた年代は、この地点で実際に写真が提供されているものだけを載せています。

敦賀 (港町と駅) のあゆみ

敦賀の市街は、北に開いた湾の奥と、南東に広がる鉄道の構内とのあいだに挟まれた平らな土地に広がる。画面の上部に港の岸壁が、右下に駅と線路の束が写り、そのあいだを細かな家並みが埋める。年代を切り替えると、湾の岸の形と南東の構内の姿が、市街の骨組みよりもずっと大きく動いていく。

北国の都から鉄道の港へ

敦賀は古くから湾の奥の湊として荷を集めてきた。琵琶湖を経て都へ抜ける道筋の入口にあたり、北陸や東北から上方へ送る物資がここで陸に揚げられた。江戸時代には北前船が蝦夷地との間を往復し、ニシンや昆布を収める蔵が海沿いに何十も連なったと敦賀市の資料は伝える。井原西鶴が「北国の都」と書いたのも、この湊のにぎわいである。

明治の鉄道はその地の利を引き継いだ。1882 年に敦賀と長浜のあいだが開業し、日本海側で初めての鉄道が湖の船の経路と結ばれた。北陸線が北へ延びると荷の主役は鉄道へ移り、地元の実業家らの運動を経て、敦賀港は 1899 年に外国貿易の開港場に指定される。1902 年にはウラジオストクとの定期航路が開かれ、1907 年には横浜、神戸、関門と並んで第 1 種重要港湾に指定された。さらに 1912 年には新橋から金ケ崎駅まで、船とシベリア鉄道を乗り継いでヨーロッパへ一枚の切符で渡れる欧亜国際連絡列車が走りはじめた。金ケ崎駅は 1919 年に敦賀港駅と名を改める。1905 年に完成した石油会社の倉庫は輸入した石油を蓄える建物として岸に立ち、のちに赤レンガ倉庫と呼ばれるようになった。

1920 年のポーランドの孤児たちと、1940 年から翌年にかけて杉原千畝の査証を持って渡ったユダヤ人難民もこの航路で敦賀港に上陸し、市はその来歴を人道の港として伝えている。

二つの年代に写る港と構内

暗い湾の水面が、1961〜69 年の画面の上の三分の一ほどを占める。右上の山裾から左へ向かって細い防波堤が長く伸び、湾を外海から区切っている。画面の左上には岸から沖へ突き出した細い桟橋が一本立ち、その付け根の左には白い砂浜が弧を描く。上辺の中ほどの岸には倉庫らしい長い建屋が並び、岸壁の線は湾の奥で緩やかに曲がって右上の山の麓へ続く。山は濃い樹林に覆われ、その奥の右上の隅には四角い建屋がまとまった工場の一角が見える。

画面の中央は、屋根の細かい粒が密に詰まった市街である。市街の右上寄りには、家並みのなかでそこだけ黒く沈んだ森がある。北陸道の総鎮守とされる氣比神宮の社叢で、どの年代に切り替えても同じ位置に同じ形で残る。市街の左寄りを細い水路が南北に貫いて港の方へ向かい、さらに左には幅の広い川が堤を伴って海へ出ている。

画面の右下では線路の束が扇のように開き、何本もの線が平行に並ぶ構内が広がる。構内の右手には大きく弧を描く線があり、その外側はまだ田の区画である。画面の下中央には切妻屋根の長い建屋が規則正しく並ぶ工場の敷地があり、左下には田と白っぽい造成地が残る。この構内は、1945 年の敦賀空襲で駅舎を焼かれたのち、戦後に鉄筋コンクリートの駅舎を得て立ち直った駅の足元にあたる。写真の年代のさなかの 1962 年には北陸トンネルが完成し、敦賀と福井のあいだが電化された。山越えの難所を前後に抱えた幹線の結節点に、これだけの数の線路が並んでいたことになる。

港の形が変わるのは 1974〜78 年である。左上にあった細い桟橋の位置に長方形の埠頭が水面へ大きく張り出し、白い大屋根の倉庫が一棟載っている。防波堤は前の年代と同じ線を保つ。画面の右端の丘では樹林が切り開かれ、褐色の地肌が大きく露出している。南東の構内は線の数を保ったまま、周りの田の一部が住宅や工場の屋根に置き換わりはじめた。左の川の堤沿いにも新しい家並みが並び、画面の左下にはまだ緑の田が続く。

埋め立てた岸と新しい駅舎

画面の上部の水面は、今の写真でかなり減っている。上辺の中ほどでは、1974〜78 年に防波堤の外側 (沖の側) の湾だった場所が埋め立てられ、白い屋根の倉庫が並ぶ平らな陸になった。1974〜78 年の防波堤がその埋立地の縁につながり、左上の埠頭には色とりどりのコンテナが並ぶ。湾の奥の岸には半円形の広場が張り出し、岸の線そのものが描き直された。左上の隅にあった白い砂浜は、川の河口の脇に細く残るだけである。海沿いの低い土地や埋立地で想定される浸水の深さは、敦賀市が公表するハザードマップの図に示されている。

駅の側の変化はさらに大きい。2024 年 3 月 16 日に北陸新幹線の金沢と敦賀のあいだが開業し、敦賀は東京から延びてきた新幹線の終着駅になった。扇形に開いていた構内の位置には、線路と並行して長い白い屋根の駅舎が横たわり、その東側には駅前の広場と駐車場が整えられている。画面の右寄りには山裾に沿って南北に走る直線の線が新たに現れた。線路の束は細くなったが、向きは 1961〜69 年の写真と変わらない。

中央の市街は、古い二つの年代と比べても街路の骨組みがほとんど動いていない。氣比神宮の森は同じ位置にあり、左の幅の広い川も堤の緑に縁どられて同じ筋を海へ下る。画面の下中央では、1961〜69 年に切妻屋根の長い建屋が並んでいた工場の敷地に、白く長い屋根の列が同じ向きで残る。湊の町、国際列車の終点、新幹線の駅と、荷と人の出入口は湾の岸から南東の構内へと場所を移してきたが、その両端をつなぐ市街の格子は同じ線の上に残っている。

主な出来事
年出来事
1882 年敦賀と長浜のあいだに鉄道が開業し、日本海側で初めての鉄道となる
1912 年新橋と金ケ崎駅を結ぶ欧亜国際連絡列車が走りはじめる
1940 年杉原千畝が発給した査証を持つユダヤ人難民が敦賀港へ上陸する (翌年まで)
1961〜69 年湾には細い桟橋が一本立ち、駅の構内は扇形に開いている
1969 年敦賀港駅にコンテナ基地が開設される
2024 年北陸新幹線の金沢・敦賀間が 3 月 16 日に開業する
写真の見どころ
年代見どころ
1961〜69 年画面の左上に、岸から沖へ突き出した細い桟橋が一本立つ。1974〜78 年には同じ場所に、白い倉庫を載せた長方形の埠頭が張り出す
1974〜78 年上辺の中ほどで、長い防波堤の外側 (沖の側) に広がる水面を確かめる。今の写真では、そこが白い屋根の倉庫の並ぶ埋立地に変わり、防波堤はその縁につながっている
1961〜69 年と今画面の右下で扇のように開いた線路の束を見る。今の写真では、同じ向きの線路に沿って長い白い屋根の駅舎が横たわる
1974〜78 年市街の右上寄りで、家並みの中に黒く沈む氣比神宮の森を見つける。どの年代に切り替えても位置と形はほとんど変わらない

この地点の標高

敦賀 (港町と駅) の代表地点の標高 (海抜) は 2.2 m です (出典: 国土地理院 標高 API)。あわせて、この地点を中心とした東西と南北の標高の断面を載せています。

周辺の標高断面 (中心から東西 / 南北へおよそ 1 km ずつ)

断面の位置 (縦の緑の線 = 南北 / 横の青い線 = 東西)

東西の断面: 西端 1.5 m、東端 36.0 m、最高 36.0 m、最低 1.1 m、中心 2.2 m。縦方向は水平の約 12 倍に拡大 西 東西の断面 (縦 ×12 に拡大) 東 0 m 10 m 20 m 30 m 40 m -0.5 km 0 +0.5 km 2.2 m 36.0 m 1.1 m
東西の断面: 西端 1.5 m、東端 36.0 m、最高 36.0 m、最低 1.1 m、中心 2.2 m。縦方向は水平の約 19 倍に拡大 西 東西の断面 (縦 ×19 に拡大) 東 0 m 10 m 20 m 30 m 40 m -0.5 km 0 +0.5 km 2.2 m 36.0 m 1.1 m
南北の断面: 北端 データなし、南端 4.7 m、最高 4.8 m、最低 1.6 m、中心 2.2 m。縦方向は水平の約 12 倍に拡大。途中にデータなしの区間 (水面など) を含む 北 南北の断面 (縦 ×12 に拡大) 南 0 m 10 m 20 m 30 m 40 m -0.5 km 0 +0.5 km 2.2 m 4.8 m 1.6 m
南北の断面: 北端 データなし、南端 4.7 m、最高 4.8 m、最低 1.6 m、中心 2.2 m。縦方向は水平の約 19 倍に拡大。途中にデータなしの区間 (水面など) を含む 北 南北の断面 (縦 ×19 に拡大) 南 0 m 10 m 20 m 30 m 40 m -0.5 km 0 +0.5 km 2.2 m 4.8 m 1.6 m

断面のグラフで線が途切れて空白になっている区間は、標高データの提供がない場所 (海や川などの水面) です。

標高は地表面の値です (駅が地下や高架にある場合も、値は地表面のものです)。標高は防災上の一要素にすぎません。実際の水害リスクなどは、ハザードマップポータルサイトや自治体が公表するハザードマップでご確認ください。

断面の標高タイル:地理院タイルを加工して作成

鉄道でのアクセス

敦賀 (港町と駅) の最寄り駅のひとつは敦賀駅で、次の路線が利用できます。

路線情報の出典:国土数値情報 (鉄道データ / 国土交通省) を加工して作成。

写真から見た変化のようす

1961〜1969 年の写真と現在の写真を機械的に比べると、見た目の変化の大きさは、掲載地点の中では大きい部類 (上位 2 割)です。下のバーは、この地点の変化の大きさが掲載地点の分布のどのあたりにあるかを示しています。

この地点 29 最小 12.5 中央値 23.2 最大 89.6
この地点 29 最小 12.5 中央値 23.2 最大 89.6

変化の大きさは、2 枚の写真の画素の明暗差の平均 (この地点は 29 / 0〜255 の範囲) にもとづきます。また、写真のきめ細かさ (テクスチャ量) は 17.6 から 33.3 へ変わっています。いずれも写真どうしの機械的な比較で、撮影時期や白黒とカラーの違いによる差も含まれるため、あくまで目安としてご覧ください。

地価公示価格の推移

この地点に最も近い地価公示の標準地は「福井県 敦賀市清水町 2 丁目 11 番 8」(直線距離で約 645 m / 用途は住宅) です。この標準地の 1983 年から 2026 年までの公示価格 (1 平方メートル当たり) の推移は次のとおりです。2026 年公示では 72,100 円です。

敦賀 (港町と駅) の最寄り標準地の地価公示価格の推移 (1983 年から 2026 年 / 1 平方メートル当たり) 0 円5 万円10 万円 1983 年: 10 万円1984 年: 10.2 万円1985 年: 10.3 万円1986 年: 10.4 万円1987 年: 10.5 万円1988 年: 10.5 万円1989 年: 10.5 万円1990 年: 10.7 万円1991 年: 10.9 万円1992 年: 11 万円1993 年: 10.8 万円1994 年: 10.8 万円1995 年: 10.8 万円1996 年: 10.8 万円1997 年: 10.8 万円1998 年: 10.7 万円1999 年: 10.4 万円2000 年: 10.1 万円2001 年: 9.8 万円2002 年: 9.5 万円2003 年: 9 万円2004 年: 8.6 万円2005 年: 8 万円2006 年: 7.6 万円2007 年: 7.4 万円2008 年: 7.2 万円2009 年: 7 万円2010 年: 6.8 万円2011 年: 6.6 万円2012 年: 6.5 万円2013 年: 6.3 万円2014 年: 6.3 万円2015 年: 6.2 万円2016 年: 6.2 万円2017 年: 6.2 万円2018 年: 6.3 万円2019 年: 6.3 万円2020 年: 6.5 万円2021 年: 6.5 万円2022 年: 6.6 万円2023 年: 6.7 万円2024 年: 6.8 万円2025 年: 7 万円2026 年: 7.2 万円10 万円7.2 万円198319902000201020202026
敦賀 (港町と駅) の最寄り標準地の地価公示価格の推移 (1983 年から 2026 年 / 1 平方メートル当たり) 0 円5 万円10 万円 1983 年: 10 万円1984 年: 10.2 万円1985 年: 10.3 万円1986 年: 10.4 万円1987 年: 10.5 万円1988 年: 10.5 万円1989 年: 10.5 万円1990 年: 10.7 万円1991 年: 10.9 万円1992 年: 11 万円1993 年: 10.8 万円1994 年: 10.8 万円1995 年: 10.8 万円1996 年: 10.8 万円1997 年: 10.8 万円1998 年: 10.7 万円1999 年: 10.4 万円2000 年: 10.1 万円2001 年: 9.8 万円2002 年: 9.5 万円2003 年: 9 万円2004 年: 8.6 万円2005 年: 8 万円2006 年: 7.6 万円2007 年: 7.4 万円2008 年: 7.2 万円2009 年: 7 万円2010 年: 6.8 万円2011 年: 6.6 万円2012 年: 6.5 万円2013 年: 6.3 万円2014 年: 6.3 万円2015 年: 6.2 万円2016 年: 6.2 万円2017 年: 6.2 万円2018 年: 6.3 万円2019 年: 6.3 万円2020 年: 6.5 万円2021 年: 6.5 万円2022 年: 6.6 万円2023 年: 6.7 万円2024 年: 6.8 万円2025 年: 7 万円2026 年: 7.2 万円10 万円7.2 万円198320002026
推移を表で見る
公示価格の推移 (1 平方メートル当たり)
年公示価格
1983 年100,000 円
1984 年102,000 円
1985 年103,000 円
1986 年104,000 円
1987 年105,000 円
1988 年105,000 円
1989 年105,000 円
1990 年107,000 円
1991 年109,000 円
1992 年110,000 円
1993 年108,000 円
1994 年108,000 円
1995 年108,000 円
1996 年108,000 円
1997 年108,000 円
1998 年107,000 円
1999 年104,000 円
2000 年101,000 円
2001 年98,000 円
2002 年94,800 円
2003 年90,300 円
2004 年85,500 円
2005 年80,000 円
2006 年75,800 円
2007 年73,700 円
2008 年72,200 円
2009 年70,200 円
2010 年67,900 円
2011 年66,300 円
2012 年64,900 円
2013 年63,400 円
2014 年62,500 円
2015 年62,300 円
2016 年62,300 円
2017 年62,300 円
2018 年62,800 円
2019 年63,500 円
2020 年64,600 円
2021 年65,200 円
2022 年65,800 円
2023 年66,800 円
2024 年68,100 円
2025 年70,100 円
2026 年72,100 円

出典: 国土数値情報 (地価公示データ / 国土交通省) を加工して作成。公示価格は毎年 1 月 1 日時点の標準地について公表される値で、個々の土地の取引価格を示すものではありません。標準地の選定や所在地は年によって見直されることがあります。

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