東洋一と呼ばれた団地を空中写真でたどる

公開日: 2026 年 8 月 11 日 / この記事は約 10 分で読めます

「東洋一の団地」と呼ばれた場所

大阪府枚方市の 香里団地 は、1958 年に入居が始まったとき 東洋一の団地 と呼ばれた住宅地です。敷地になったのは旧陸軍の火薬製造施設、東京第二陸軍造兵廠の香里製造所の跡でした。1936〜42 年頃の空中写真は丘の上が斜めの線の重なりに覆われて地表が読めませんが、続く 1945〜50 年の一枚では台地の骨格がはっきり出ます。平行に走る谷が黒い樹林の帯となり、そのあいだの尾根が明るい面として浮かび、尾根沿いには等間隔の細長い建物が並びます。中央のやや上を東西に横切る直線の道も見えます。

1955 年に発足した日本住宅公団は、この台地を用地に選びました。1961〜69 年の写真では、画面の中央がほぼ住棟の列に置き換わっています。数棟ずつを組にして向きを変え、扇状に開く列、弧を描く列、三方に腕を伸ばした小さな棟が混じります。複数の住棟型を組み合わせる設計がここで試され、のちの団地の見本になりました。街路は地形に沿って曲がり、平らな土地を格子で押し切る作り方とは違う考え方が読み取れます。

出発点は、どこも「まだ街ではない土地」だった

大規模団地に共通するのは、戸数の多さよりも前身の土地の性格です。街の外側にまとまった土地があったからこそ、数千戸を一度に置けました。

千葉県松戸市の 常盤平団地 は、下総台地の上の畑と樹林を均して造られました。都心から 20 km 台の距離に平らで広い土地があり、そこへ新京成線が台地を東西に横切っていました。1960 年に入居が始まり、駅の名も開発前の集落の名から常盤平へ改められています。

埼玉県春日部市の 武里団地 の前身は水田です。1961〜69 年の写真では短冊に刻んだ田が隅から隅まで続き、屋敷林をかぶった集落が道沿いと川沿いに点々と乗っているだけで、住棟は一本も写りません。1966 年に入居が始まります。

東京都板橋区の 高島平団地 の前身は、徳丸ヶ原と呼ばれた荒川沿いの低地の水田でした。1961〜69 年の写真でも画面の左半分から中央は田のままで、北の水路ぞいに工場と倉庫が並びます。1968 年に地下鉄が北へ延びて一帯に駅が置かれ、1972 年に入居が始まりました。線路が先に届いていた団地です。

同じ 1972 年に入居が始まった京都府八幡市の 男山団地 は、丘陵の山林と谷の田が前身です。1936〜42 年頃、1945〜50 年、1961〜69 年と三代の写真にわたって、丘の輪郭はほとんど動きません。谷をせき止めたため池が黒い水面として点在し、谷の奥まで棚状の小さな田が枝分かれして入り込んでいます。

入れ替わりは一枚をまたいで起きる

団地の見どころは、完成した姿よりも入れ替わりの前後にあります。年代を一つ送ると、田や山林が街区に化ける瞬間が、挟み撮りのように残っています。

武里団地では、1961〜69 年の一面の水田から 1974〜78 年へ送った瞬間に、同じ長さの棒を斜めに敷き並べたような列が一気に現れます。棟のあいだは白く抜けた地面で、木の影がほとんど落ちていません。植えたばかりの街だと分かります。団地の東と南の縁では、水田の短冊がまだ敷地のすぐ外まで寄せています。

男山団地の 1974〜78 年の写真では、丘を削った土の面が画面を斜めに走り、割られた区画の多くはまだ空のままです。次の 1979〜83 年になると土の色は姿を消し、先に据えられていた住棟の列を核に、その周囲が家々でぎっしりと埋まります。わずか一時代分の間隔で丘が住宅地に置き換わる速さは、二枚を続けて見るのがいちばんよく伝わります。

高島平団地の 1974〜78 年では、田の格子が消えて板状の棟が何列も並び、楕円のトラックを持つ運動場が二面現れます。北東から南西へは、幅の広い道路と高架の線路が二本の帯となって走ります。常盤平団地はもう一段古く、さかのぼれるいちばん古い 1961〜69 年の一枚に、弓なりの棟列がもう完成した姿で写っています。造成前の原野は、写真が届かない時間に属しています。

団地の前身と入居開始
団地前身の土地入居開始
香里団地旧陸軍の火薬製造施設の跡1958 年
常盤平団地下総台地の畑と樹林1960 年
武里団地低地の水田1966 年
高島平団地荒川沿いの低地の水田1972 年
男山団地丘陵の山林と谷の田1972 年

何枚さかのぼれるかは団地ごとに違う

同じ五つの団地でも、たどれる写真の枚数はそろっていません。高島平団地は 1936〜42 年頃から 1987〜90 年までの七つの年代がそろい、五つのなかでいちばん多いです。入居が始まる 1972 年より前の年代が三つあるので、田だった時間を三段階に分けて見比べられます。香里団地は 1936〜42 年頃から 1984〜86 年までの六つ、男山団地は 1936〜42 年頃から 1979〜83 年までの五つで、どちらも入居前の丘の姿が二枚以上残ります。

常盤平団地と武里団地は 1961〜69 年からの五つです。武里はその最古の一枚がまだ一面の水田なので、入居前の土地が一枚だけ残った形になります。常盤平は最古の一枚がすでに団地で、造成前の畑と樹林を写真で確かめる手はありません。街の出発点に立ち会えるかどうかは、入居開始の年と写真の年代の並びのめぐり合わせで決まります。

きめ細かさの数値に出る「前の土地」の顔

空中写真の画素の差から市街地のきめ細かさを算出すると、1961〜69 年から 2026 年時点までの動きが数値になります。香里団地が 21.2 から 47.4、常盤平団地が 19 から 36.7、武里団地が 18.2 から 35.7、高島平団地が 16.1 から 38.2、男山団地が 12.5 から 31.8 です。

注目したいのは到達点よりも出発点の値です。最も低い 12.5 は丘の山林だった男山、次に低い 16.1 は田だった高島平でした。値の小さい写真は、同じ質感が視界を覆っていたことの記録でもあります。樹冠の続く丘や、同じ向きに刻まれた田は、上から見ると変化の乏しい面として写ります。

逆に出発点が最も高い 21.2 の香里団地には、1961〜69 年の時点ですでに住棟が建ち並んでいました。到達点の 47.4 は五つの団地でいちばん高く、出発点の 2 倍あまりに達します。出発点の低さが前身を語るという読み方は、団地の写真を見比べるときの手がかりになります。

1961〜69 年の一枚と 2026 年時点の一枚を重ねて画素の差の平均を取ると、値の並びは少し変わります。高島平団地が 26.9 で最も大きく、武里団地の 22.7、香里団地の 21.4、常盤平団地の 19.9 が続き、男山団地は 15.5 で最も小さいです。低地の田を街に置き換えた二つが上に並び、1961〜69 年の一枚にすでに住棟の写る香里と常盤平がそのあとに来ます。同じ団地でも、到達点の高さと入れ替わりの大きさは別の順序になります。

台地の団地と、低地の団地

前身の違いは地形の数値にも残ります。標高の計測値を見ると、水田を転用した高島平団地は中心付近で 3.4 m、武里団地は 5.2 m で南側は 4.1 m と、1 km 足らずの範囲で高さがほとんど動きません。関東平野の底に近い低平な土地です。

一方、台地や丘陵から起こした団地は桁が違います。常盤平団地は下総台地の上で 26.8 m、香里団地は台地の上で 25.9 m、男山団地は尾根の上で 45.3 m です。男山では北・南・西の計測点が 46.9 m から 51.3 m にそろうのに、東だけ 31.2 m まで落ちます。木津川の低地へ向かう片流れの斜面に街が載っていることが、数値からも読めます。

同じ「団地」と一括りにしても、雨水の集まり方は削られる前の谷筋や埋めた面に従うことが多いものです。国土交通省のハザードマップポータルサイトと、各市が公表しているハザードマップを開いて、自分の通る道がどの谷の延長にあたるかを一度たどってみてください。

中心の標高ときめ細かさ
団地中心の標高1961〜69 年2026 年時点
香里団地25.9 m21.247.4
常盤平団地26.8 m1936.7
武里団地5.2 m18.235.7
高島平団地3.4 m16.138.2
男山団地45.3 m12.531.8

地価公示に刻まれた 40 年

団地の周りの地価公示は、入居開始からの時間をそのまま線にしてくれます。以下の値はいずれも 1 平方メートルあたりで、各時点の実例です。

高島平団地から約 860 m の高島平 1 丁目の住宅地は、記録の始まる 1983 年が 29 万 5 千円で、これが最も低い値です。1988 年には 85 万 7 千円が付き、2026 年は 43 万 6 千円。始点の 1983 年と比べると 1.5 倍ほどの位置にあります。

常盤平団地から約 230 m の常盤平 1 丁目は、1988 年の 47 万円、1991 年の 59 万円が記録の頂点で、2013 年の 15 万 6 千円が最も低い値です。2026 年は 21 万 1 千円でした。武里団地から約 380 m の備後東 6 丁目は、記録の始まる 1998 年の 17 万 2 千円が最高で、2021〜2023 年の 9 万 9,200 円が最低、2026 年は 10 万 1 千円です。

男山団地から約 710 m の男山金振は、1983 年の 13 万円から 1991 年に 37 万 7 千円という最高値が付き、2021 年の 9 万 1,300 円が最低、2026 年は 10 万 3 千円で始点を下回ります。香里団地から約 620 m の宮之下町は記録が 2003 年から始まり、その 15 万 9 千円が最高値、2022 年の 12 万 2 千円が最低、2026 年は 13 万円です。記録の幅は団地ごとにまるで違い、一つの線から全体を語ることはできません。

全国に散った同じ形

同じ形の街は全国にあります。宮城県仙台市泉区の 将監団地 は標高 71 m の丘の上で、1961〜69 年・1974〜78 年・1984〜86 年の三つの年代がそろいます。きめ細かさは 11.9 から 36.1 へ動き、出発点の低さは男山と同じ性格です。約 560 m 離れた将監 7 丁目の地価公示は、記録の始まる 2002 年の 8 万 7,300 円から 2012〜2013 年の 6 万 4,900 円まで下げ、2026 年の 13 万 8 千円が最高値になっています。

北海道札幌市南区の 真駒内 は中心で 94.4 m、南側は 110.7 m と傾きのある土地で、1961〜69 年から三つの年代を送れます。約 330 m 離れた真駒内泉町の地価公示は、2014 年の 10 万円から 2026 年の 17 万円へ動きました。神奈川県横浜市磯子区の 洋光台 は五つの年代がそろい、1945〜50 年までさかのぼれます。

大分県大分市の 明野団地 は 1961〜69 年と 1974〜78 年の二枚だけですが、きめ細かさは 8.7 から 34.2 で、出発点の値は五つの団地よりさらに低いです。鹿児島県鹿児島市の 紫原団地 も二枚で、こちらは 1961〜69 年の一枚と 2026 年時点の一枚を重ねた画素の差の平均が 36.6 に達し、五つの団地のどれよりも大きい値です。

全国の大規模団地と空中写真の年代
団地所在さかのぼれる最古の年代年代の数
将監団地宮城県仙台市泉区1961〜69 年3
真駒内北海道札幌市南区1961〜69 年3
洋光台神奈川県横浜市磯子区1945〜50 年5
明野団地大分県大分市1961〜69 年2
紫原団地鹿児島県鹿児島市1961〜69 年2

住棟の列を目印に見比べる

団地は完成した姿だけを見ると、どれも似た住棟の反復に見えます。年代を一つ戻すと、そこにあったのは火薬工場の跡、水田、丘の樹林と、まったく別の風景でした。

入居から半世紀を超えて残ったものは、どの団地でも同じです。棟間の木立が育ち、周りの田や畑は市街に置き換わり、それでも棟の位置と向きだけが最初の一枚と一致します。棟の並びだけが残るという一点に、五つの団地はそろって行き着きます。入居開始の年をまたぐように写真を往復させると、住棟の列がどの地形の上に置かれたのかが見えてきて、街の生い立ちが立ち上がってきます。

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