大川端リバーシティ21の約 60 年前と今
東京都 / 大川端リバーシティ21周辺の 1961〜1969 年の空中写真と現在の写真を重ねて比較できます。写真はすべて国土地理院が公開しているものです。
昔と今の比較
この年代の見どころ: 西の岸から島へまっすぐ渡る橋の線を探し、橋が無い 1945〜50 年と往復すると、渡し船だけの時代との差が出る
操作方法: ドラッグで移動 / 右ドラッグで回転と傾き / ⌘ か Ctrl を押しながらスクロールで拡大縮小操作方法: 2 本指でスライドして移動 / ピンチで拡大縮小 / 2 本指の上下ドラッグで傾き
※ 3D の標高データは現在の測量にもとづくものです。写真の年代当時の地形ではありません。標高タイル: 地理院タイルを加工して作成
3D 表示を読み込めませんでした。通信状態をご確認のうえ、もう一度お試しください。
※ 地形の陰影は現在の測量にもとづくものです。写真の年代当時の地形ではありません。陰影起伏図: 地理院タイルを加工して作成
※ 地図は現在のものです。写真の年代当時の地図ではありません。地図: © OpenStreetMap contributors
出典: 地理院タイル (年代別空中写真 / 全国最新写真) を加工して作成
この周辺を自由に見る地図を動かして、まわりの昔と今も見比べられます。
この地点で見られる写真の年代
大川端リバーシティ21周辺では、次の年代の空中写真を比較に使えます。
年代ごとの提供範囲は地域によって異なります。ここに挙げた年代は、この地点で実際に写真が提供されているものだけを載せています。
この地点の標高
大川端リバーシティ21の代表地点の標高は 2.6 m です (出典: 国土地理院 標高 API)。あわせて、この地点を中心とした東西と南北の標高の断面を載せています。








断面の位置 (縦の緑の線 = 南北 / 横の青い線 = 東西)
標高は地表面の値です (駅が地下や高架にある場合も、値は地表面のものです)。標高は防災上の一要素にすぎません。実際の水害リスクなどは、ハザードマップポータルサイトや自治体が公表するハザードマップでご確認ください。
断面の標高タイル: 地理院タイルを加工して作成
鉄道でのアクセス
大川端リバーシティ21の最寄り駅のひとつは月島駅で、次の路線が利用できます。
- 東京メトロ 有楽町線
- 都営 大江戸線
路線情報の出典: 国土数値情報 (鉄道データ / 国土交通省) を加工して作成。
写真から見た変化のようす
1961〜1969 年の写真と現在の写真を機械的に比べると、見た目の変化の大きさは、掲載地点の中では中ほどです。下のバーは、この地点の変化の大きさが掲載地点の分布のどのあたりにあるかを示しています。
変化の大きさは、2 枚の写真の画素の明暗差の平均 (この地点は 23.5 / 0〜255 の範囲) にもとづきます。また、写真のきめ細かさ (テクスチャ量) は 17.5 から 38.7 へ変わっています。いずれも写真どうしの機械的な比較で、撮影時期や白黒とカラーの違いによる差も含まれるため、あくまで目安としてご覧ください。
地価公示価格の推移
この地点に最も近い地価公示の標準地は「東京都 中央区佃2丁目208番1」(直線距離で約 270 m / 用途は住宅) です。この標準地の 2005 年から 2026 年までの公示価格 (1 平方メートル当たり) の推移は次のとおりです。
推移を表で見る
| 年 | 公示価格 |
|---|---|
| 2005 年 | 650,000 円 |
| 2006 年 | 680,000 円 |
| 2007 年 | 820,000 円 |
| 2008 年 | 970,000 円 |
| 2009 年 | 930,000 円 |
| 2010 年 | 810,000 円 |
| 2011 年 | 840,000 円 |
| 2012 年 | 840,000 円 |
| 2013 年 | 840,000 円 |
| 2014 年 | 925,000 円 |
| 2015 年 | 975,000 円 |
| 2016 年 | 1,090,000 円 |
| 2017 年 | 1,150,000 円 |
| 2018 年 | 1,170,000 円 |
| 2019 年 | 1,230,000 円 |
| 2020 年 | 1,280,000 円 |
| 2021 年 | 1,270,000 円 |
| 2022 年 | 1,310,000 円 |
| 2023 年 | 1,360,000 円 |
| 2024 年 | 1,460,000 円 |
| 2026 年 | 1,910,000 円 |
出典: 国土数値情報 (地価公示データ / 国土交通省) を加工して作成。公示価格は毎年 1 月 1 日時点の標準地について公表される値で、個々の土地の取引価格を示すものではありません。標準地の選定や所在地は年によって見直されることがあります。
近くの地点
大川端リバーシティ21から近い順に並べています。あわせて見比べると、同じ地域がどう移り変わってきたかがつかめます。
地図の印を選ぶと地点名と移動リンクが開きます。
同じ成り立ちの地点
大川端リバーシティ21と同じく工場跡として生まれた街を、離れた地域から選んでいます。土地の使われ方や街の形の共通点を見比べられます。
地図の印を選ぶと地点名と移動リンクが開きます。
この地点が登場するよみもの
さいきん見た街
この履歴はお使いの端末の中だけに保存され、サーバーには送られません。ブラウザの設定によっては、しばらく訪れないでいると自動的に消えることがあります (アプリとして使うと消えにくくなります)。
別の街のうつりかわりも、のぞいてみませんか。
























大川端リバーシティ21のあゆみ
隅田川が二つの流れに分かれる、その分岐の真下に細長い島が横たわっている。東京都中央区の佃と石川島である。空中写真を古い年代から順に開いていくと、島の北半分では平行に並んだ長い建屋がまず数を減らし、いっとき裸の地面に戻り、そのあとに白い高層が立ち上がる。大川端リバーシティ 21 と呼ばれる街は、造船の島が住む島へ入れ替わった、その入れ替わりの上に建っている。
漁民の島と人足寄場
佃島は 1644 年に、摂津国佃村から江戸へ移ってきた漁民が幕府から与えられた干潟を築き上げて生まれた。隣り合う石川島に 1790 年に幕府の人足寄場が置かれ、島へ工業の色がついたのはそのあとである。1853 年、水戸藩がこの石川島で洋式の造船を始めた。造船の島という性格はそこから一世紀以上続き、1960 年には石川島重工業と播磨造船所が合併して石川島播磨重工業となっている。明治の半ばには川底をさらった土を積んで南隣に月島の埋立地が造られ、島の連なりは市街の南へ伸びていった。
建屋がそろっていた年代
1936〜42 年頃の一枚では、島の北半分に細長い屋根が何棟も平行に伏せている。棟の向きがそろい、あいだに細い通路が通る。西の岸は碁盤に区切られた市街で、屋根の粒が隙間なく詰まっている。枠の左下の隅には弧を描く大きな屋根が写り、東の側には倉庫らしい大きな建屋が並ぶ。これに対して枠の下寄りは、道路の格子だけが引かれた明るい平地である。埋立が済んで街になる前の土地が、手つかずのまま残っている。
1945〜50 年になっても川の分かれ方は変わらない。島の上には造船所の細長い明るい帯が並び、周りの水面には小さな船が点々と散る。西岸の市街のなかには運河の黒い線が読み取れ、東の側では細長い区画が水面を仕切って何列も並ぶ。材木を扱う場所らしい形である。工場の北側には色の抜けた空き地が一区画あり、建て込んだ周囲のなかで目につく。
1961〜69 年の一枚では、まず水の上に線が一本増えている。西の岸から島へまっすぐ渡る橋である。1964 年に佃大橋が開通し、長く続いた渡し船はその年に姿を消した。島の建屋は一棟ごとに太くなり、屋根の面が広くなっている。左の端では弧を描く屋根の連なりがいよいよはっきりと写り、島の東の水面には小さな形が数え切れないほど群れている。船溜まりの賑わいがそのまま粒になっている。
1974〜78 年は、この地点で色がつく最初の年代である。島の北半分は平行に伏せた工場の屋根で埋まり、北の先端には赤い屋根の建物、島の中ほどには青緑の四角が見える。南半分は細かい家並みで、北との粒の差が一目で分かる。島の南東の角からは相生橋が東の水路を渡り、その先の [豊洲](/spot/toyosu/) 側にはタンクと工場の屋根が並ぶ。下寄りの運河沿いには長い倉庫が続き、水面を仕切った区画の輪郭も残っている。
屋根が消えた三年代
1979〜83 年で、島の北半分の西寄りだけが色を失う。明るい茶色の地面に資材らしい点が散り、北の先端にあった赤い屋根は見当たらない。いっぽう東寄りには平行の長い屋根がまだ立っており、取り壊しが西から順に進んだ形がそのまま写っている。動いた場所と動かない場所がこれほどきれいに分かれる一枚はめずらしい。
1984〜86 年になると、北半分はほぼ一面の裸地に変わる。茶と灰緑のむらのある地面に基礎の跡がうすく残り、西の縁に低い仮設らしい建物がいくつか置かれているだけである。南半分の家並みは建て込んだままで、水路を隔てた工場地帯も屋根を並べている。市街のただなかでこれだけの面積が同時に空く場面は、そう多くない。
1987〜90 年の一枚では、その地面に高い塔がいくつか立つ。棟の影は左上へ倒れ、まだ土のままの区画が塔のあいだに残る。水色がかった四角が新しく現れ、東の水際は直線に整えられて岸沿いを歩ける形になった。右下では相生橋が変わらず水路を渡っており、北西へ渡る橋はこの年代にはまだ無い。島の南では地下鉄の工事が実を結び、1988 年に月島駅が開業した。働くために通ってくる島が、帰ってくる島へ向きを変えていく時期である。
低い土地とその後
今の一枚では、島の北半分に高層が群れ、そのあいだを緑と広場が埋めている。1987〜90 年には無かった橋が枠の左上で西の岸へ渡っており、1993 年に開通した中央大橋である。東の岸に沿う直線の遊歩道、相生橋のたもとに舫われた船、街区の内側にある円い広場の形も見つかる。南半分は細かい低い家並みのままで、骨格を変えずに島の中身だけが二度入れ替わったことが、年代を往復すると分かる。
高さについては、島の内も外も低い。測られた五点は 1.7 m から 2.6 m のあいだに収まり、最も高いのが中心、最も低いのが南である。川と運河に挟まれた埋立地であるから、水に関わる想定は土地の条件として先に押さえておきたい。この一帯へどのような浸水の想定が置かれているかは、中央区のハザードマップで確認できる。
土地の値段の記録は、島の南、佃 2 丁目の住宅地に置かれた調査点にある。この地点からの隔たりは 270 m ほどで、公示された価格は 2005 年に 1 平方メートルあたり 65 万円、2026 年には 191 万円である。最も低い値が記録の初年、最も高い値が末尾にあって、二十一年で三倍近くになった並びである。ただし一本調子の上りではなく、2008 年の 97 万円から 2010 年の 81 万円へ二年続けて下げ、2021 年にも前の年の 128 万円から 127 万円へ下がっている。
造船の島が住む島へ入れ替わる筋道は、七つの年代を順に開けば、そろった屋根・裸の地面・高い塔という三つの段として目で追える。工場が去ったあとの土地に何を置くかという問いに、この島は住まいと水際の道で答えたことになる。