1974〜78 年の航空写真 多摩センターは造成のどの段階か
1974〜78 年の航空写真は工程表のどこを写しているか
1974〜78 年の航空写真を何か所も開いていくと、同じ「造成中」でも街の進み具合がまるで揃っていないことに気づきます。土を剥いだ地面に線路や道路だけが走る街、区画の線までは引かれたのに建物が載っていない街、すでに住棟が列をなして並ぶ街。2026 年から数えておよそ 50 年前のこの一枚は、街づくりの工程のちょうど途中を切り取っていて、どこで切れているかは地点ごとに違います。
写っている姿は、地面だけの段、区画だけの段、住棟が立った段の三つに分けられます。丘を削ったニュータウンも、海を埋めた埋立地も、多くはこの三段のどこかに収まります。この世代がカラーになった事情や撮影の時期の幅は 空中写真の年代ガイド にまとめています。
| 地点 | 段階 | 1974〜78 年に写るもの |
|---|---|---|
| 多摩センター | 地面だけ | 桃色の裸地のまん中を幾筋も並んで走る線路 |
| 筑波研究学園都市 | 地面だけ | 斜めに交わる太い直線の街路と、建物の付かない沿道 |
| 千葉ニュータウン中央 | 区画だけ | 画面の左上にひとかたまりの細かい格子の区画 |
| 海浜幕張 | 区画だけ | 護岸の内側の褐色の陸と、四角い街区の道路 |
| 芦屋浜 | 区画だけ | 海へ張り出す二区画の裸地と、内側の直線の区画割り |
| 金城ふ頭 | 区画だけ | 五角形の陸に黄土色の裸地と区画線 |
| 平和島・大井ふ頭 | 区画だけ | 右半分に区画線と道路だけの黄土色の裸地 |
| 高蔵寺ニュータウン | 住棟あり | 同じ向きに揃う住棟の列と、骨格だけの街区 |
| 須磨ニュータウン (名谷) | 住棟あり | 白い裸地のなかで北東の隅にだけ整列する住棟 |
地面だけの段では線路と道が先に来る
最も手前の段にある 多摩センター の一枚では、丘を剥いだ地肌が画面の大半を占め、建物の付かないその面を線路の束だけが横切ります。京王電鉄の年表によれば、相模原線が京王多摩センターまで開通したのは 1974 年 10 月です。街より先に、都心へ向かう線路が丘の上へ届いた順番が、この配置から読めます。
筑波研究学園都市 で先に地面へ置かれたのは道路です。畑の畦とは比べものにならない幅の直線の帯が、二つの向きで斜めに交わりながら何本も走ります。ところが沿道に建物はほとんど付かず、帯に囲まれた内側は畑と裸地のままです。中身より先に骨組みだけがある点で、多摩センターと同じ段に置けます。この地点の街路の格子は、2026 年時点の写真でも 1974〜78 年に置かれた向きと位置を保っています。
さらに一歩手前の姿を見せるのが 多摩ニュータウン南大沢 です。画面は薄い桃色と褐色に沈み、落葉した林と均された地肌の見分けが難しいほどですが、輪郭が直線で切れている面を拾っていくと、工事は尾根を越える道の筋と一部の斜面にとどまっています。同じ多摩ニュータウンでも、拠点の多摩センターは丘ごと裸地になり、南大沢はまだ道の筋だけという差が、同じ世代の写真で並びます。
区画線が引かれた台地
二つ目の段は、地面に区画の線が入り、それでも建物が載っていない姿です。千葉ニュータウン中央 では格子の区画が台地の上の一角にだけ固まり、残りの面は畑の境が消えたところで止まっています。区画線の段と、その手前の地面だけの段が、同じ一枚のなかで隣り合う例です。
護岸の内側に描かれた街区
海を埋めた土地では、区画の段に入る前に陸そのものを造る工程が挟まります。海浜幕張 の 1974〜78 年の一枚は、その二つが同時に写る例です。画面の上半分から中央までが陸に変わり、褐色の裸地と枯れた草地、水の残る窪みがまだらに混じります。そこへ直線の道路が何本も引かれ、四角い街区の輪郭がすでにできています。建物はほとんど見当たりません。中央には白い護岸の線が北西から南東へ斜めに走り、その外側はまだ浅い水面です。右下には盛られたばかりらしい赤褐色の土の帯が波打ち際まで延びていて、埋立が一歩ずつ沖へ進んでいた途中だと分かります。
兵庫県の 芦屋浜 では、陸の形がもっと鋭く出ます。1961〜69 年には一面の水面だった沖に、角の立った白っぽい陸が二区画、海へ張り出しています。表面は舗装も草もない裸地で、内部にうっすらと直線の区画割りが引かれ、建物は数えるほどしかありません。二区画の境には直線の水路が通り、外周は白い護岸で縁取られます。画面の左下には先に街になった別の埋立地が入り込み、色を塗り分けた屋根が整然と並びます。同じ湾の岸で、区画だけの陸と建物の載った陸が隣り合っているのが、この一枚の見どころです。
港の埋立地は荷を置く場所から動き出す
住宅の街と違い、港の埋立地では区画の段と荷役の始まりが前後します。名古屋港の 金城ふ頭 では、干潟だった位置に五角形の平地が現れ、内側は黄土色の裸地と区画線で占められています。それでいて西の縁には細長い上屋が斜めに並び、岸壁には小さな四角い荷が積まれています。中央の左寄りには白い円い屋根の構造物がひとつ、周りより高く目立ちます。陸の内側はまだ区画だけなのに、海に面した縁はもう使われ始めているわけです。
東京湾の 平和島・大井ふ頭 も同じ形をしています。中央の左に倉庫の大屋根が整列し、その南には白い大型の箱型の建屋が載ります。地点の真上はこの建屋の上で、1961〜69 年には水際だった場所です。いっぽう中央から右は一面の黄土色の裸地で、区画の線と幅の広い道路だけが引かれ、埋め残した緑色の水たまりが点々と残ります。右上には細い直線を束ねた線路の一角も見えます。一枚の左半分と右半分で、段がひとつずれています。
神戸の ポートアイランド は、この型をいちばん雑然とした姿で見せます。島の西の縁には岸壁が通って倉庫が列をつくり、貨物船が何隻も横づけしています。ところが島の内側は白っぽい裸地に道の筋がうっすら見える程度で、中ほどには埋め切っていない水面が入り江のように食い込みます。南東の沖へは護岸の線が延び、囲った内側から順に陸にしていく手順が読めます。この島を埋めた土がどこから来たのかは 山を削って生まれた街 で取り上げています。
住棟が立ち、街が一角から埋まり始める
三つ目の段まで進んでいるのが、愛知県春日井市の 高蔵寺ニュータウン です。1974〜78 年に切り替えると、左上から中央の上にかけて同じ向きに揃う住棟の列が現れます。その周りには地肌の出た造成地と、建物の入らないまま街路の骨格だけができた区画が広がり、右上では区画の線の先に田畑が残ります。一枚のなかに三つの段がすべて同居している地点です。春日井市の計画書によれば、日本住宅公団の土地区画整理事業として 1966 年から 1981 年にかけて開発が行われ、最初の入居は 1968 年でした。1974〜78 年の写真は、入居から数年を経てなお工事の続く事業の折り返しを写していることになります。
神戸市の 須磨ニュータウン (名谷) は同じ段でも住棟の占める面積がずっと小さく、削ってならした白い面の北東の隅にだけ住棟の列が寄っています。神戸市交通局の沿革では、地下鉄の名谷〜新長田間の営業開始は 1977 年 3 月です。開業が写真の年代の幅に入るため、この一枚が開業の前か後かは写真だけでは決められません。
丘の街と海の街で段の並び方が違う
| 地点 | 中心の標高 | 1974〜78 年の段階 |
|---|---|---|
| 多摩ニュータウン南大沢 | 115 m | 道の筋だけ |
| 須磨ニュータウン (名谷) | 97.7 m | 住棟あり |
| 高蔵寺ニュータウン | 91.5 m | 住棟あり |
| 多摩センター | 88.6 m | 地面だけ |
| 筑波研究学園都市 | 23.8 m | 地面だけ |
| 千葉ニュータウン中央 | 16.8 m・四方より 5.9〜8.1 m 低い | 区画だけ |
| ポートアイランド | 4.6 m | 区画の手前と港の縁 |
| 芦屋浜 | 4.2 m | 区画だけ |
| 金城ふ頭 | 4.2 m | 区画だけ |
| 平和島・大井ふ頭 | 3.8 m | 区画だけ |
| 海浜幕張 | 3.7 m | 区画だけ |
標高 80 m を超える丘の上の 4 地点は、道の筋だけの南大沢から住棟の並ぶ高蔵寺まで、段が端から端まで散らばります。同じ丘陵の造成でも、事業に着手した年が街ごとに違えば、同じ世代の写真に写る段も違ってきます。これに対して標高 5 m に満たない埋立地の 5 地点は、そろって区画の段か、その手前にとどまり、地点の真上で住棟の列が写るところは一つもありません。海の上では、まず護岸を回して陸の形を造るところから始まるため、区画線が引かれるまでに、丘の上にはない工程が一つ挟まっています。埋立地の「区画だけ」は、陸が出来上がったという一段を済ませたうえでの区画だけです。
段を分けるのは事業の年表
どの段に写るかを決めているのは、写真の世代そのものより、その街の事業がいつ始まりいつ人を迎えたかです。公式の資料で年を確かめられた 3 地点では、写真の段と年表が対応します。
| 地点 | 確かめた年 | 1974〜78 年の段階 |
|---|---|---|
| 高蔵寺ニュータウン | 1968 年に最初の入居 (春日井市の計画書) | 住棟の列と骨格だけの街区が同居 |
| 多摩センター | 1974 年 10 月に京王相模原線が京王多摩センターまで開通 (京王電鉄の年表) | 裸地に線路だけ |
| 須磨ニュータウン (名谷) | 1977 年 3 月に地下鉄の名谷〜新長田間が営業開始 (神戸市交通局の沿革) | 白い裸地の一角にだけ住棟 |
入居から数年を経た高蔵寺には住棟が立ち、鉄道が着いたばかりの多摩センターは線路しかなく、駅の開業が年代の幅に重なる名谷では一角だけが街になりかけています。逆に言えば、1974〜78 年の一枚でどの段にあるかを見れば、その街が事業の年表のどのあたりにいたのかを、年表を開く前におおよそ当てられます。丘陵のニュータウンを着手の順に追う読み方は 三大ニュータウンの 60 年 でも試しているので、千里・多摩・泉北を並べた見方と合わせると、この世代の写真の位置づけがはっきりします。
裸地の色で段を決めない
段を見分けるときに頼りたくなるのが地面の色ですが、剥き出しの土の色は土地によってかなり違います。多摩センターの裸地は淡い桃色、名谷は光を返す白、金城ふ頭と平和島・大井ふ頭は黄土色、海浜幕張は褐色で、盛ったばかりの土は赤褐色に写ります。
色より確かな手がかりは、輪郭の形です。南大沢の一枚では、落葉した林と均された地肌がどちらも薄い桃色と褐色に沈み、色だけでは区別が付きません。ところが枝の粒が見える面は林で、輪郭が定規で引いたように直線で切れている面は人が手を入れた地肌だと、縁の形で分けられます。区画の段かどうかも同じで、地面に細い直線が格子や平行線をなしているかどうかを見ます。建物の有無は最後に確かめれば足ります。輪郭、線、建物の順に見ていくと、三つの段の境目で迷うことがずっと減ります。
1979〜83 年へ送って次の段を確かめる
ここで取り上げた地点には、どれも 1979〜83 年の写真が続いて用意されています。1974〜78 年で段を見定めたら、一つ新しい世代へ送り、どこまで進んだかを確かめるのが確実な読み方です。平和島・大井ふ頭 では、右半分の黄土色の裸地に草が生えて褐色に変わり、左の倉庫の大屋根の列が伸びていきます。筑波研究学園都市 では、太い街路の両側に、木が点の列になって並びます。逆に 南大沢 では、林が濃い緑に戻って見えますが、これは撮影の季節が違うためで、地面が元に戻ったわけではありません。
気になった地点を開いたら、1974〜78 年と 1979〜83 年の 2 枚を行き来するだけで段の進み方が分かります。区画線が街区に、裸地が屋根に入れ替わる瞬間が、その街の年表の一行になります。